「OSAHO!」でフジロックを再び世界一クリーンでピースなフェスに。自然や他者をリスペクトし、自分の行動に責任を持ち、そのうえで音楽を楽しむ。この〈フジロック〉のスピリットを言葉の壁を超えてすべての人にわかりやすく伝えるべく、「OSAHO(お作法)キャンペーン」が立ち上がった。文 = 加茂 光 text = Hikaru Kamo2018.07.23 03:27NEWSFESTIVAL
何かをつくり、文化を構築している人を応援する方法。Festival View開催への思い。 銀座のギャラリーでDEALオーガナイズで展覧会を。この話が持ち上がった時に、最初に思ったのは「銀座という場は、DEALというメディアに果たしてマッチしているのだろうか」ということでした。別に媒体にカラーをつけたいわけでもなく、むしろどこにでも染まる無色でありたいと思っています。けれど、やはり心のなかで銀座の敷居は高いものでした。 開催するかしないか考えているうちに、ひとつのテーマが浮かび上がってきました。それは「展示した作品を売ることはできないか」ということ。 日本では絵や写真という作品を売る機会が少ないように思います。写真家や画家は、音楽家がそうであるように、自分の絵や写真などの作品を売ったお金で生計をたてることを目標にするべき...2018.07.22 02:25NEWS
海の環境変化を感じてもらうためにビーチで開催されるフリーフェス。【SURF JAM FESTIVALインタビュー】日本サーフィン発祥の地のひとつにあげられる千葉外房のサーフタウンで開催される音楽とアート、スポーツのカルチャーフェスティバルが「サーフジャム・フェスティバル」。日本では珍しい、オンシーズンのビーチで開催される入場無料のフェスだ。温暖化の影響か、砂浜が少なくなるなど海岸線の風景は少しずつ変わっている。海の自然の変化を、毎年フェスを開催することで気づいて欲しいという思いでスタートした。オーガナイザーの迎忠男さんは、秋に千葉のいすみの森で開催される「フォレストジャム・グランデ」のオーガナイザーでもある。2018.07.19 07:00NEWSFESTIVAL
はじまりの夏。終わりの夏。夏は他のどの季節よりも出会いや体験が多くなる時季かもしれない。そして出会いや体験は思いを生み、いろいろなことがはじまる大きなきっかけになる。はじまりがあれば終わりもある。どんな思いを持ってはじまったのか。その思いをどう持続させるのか。そしていつか来る終わりをどう迎えるのか。夏に物語が形成される。photo = Daisuke Hayashi2018.07.19 06:28NEWSFEATURE
宮城の小さな町から食と音のパーティー。【森波インタビュー】宮城県北部にある登米。ここで「森波(しんぱ)」というインディペンデントでエッジのあるフェスが開催されている。今年で10周年。この10年の間に、キャンプインから町の中にある能楽堂に会場を移すなど、スタイルを変えてきた。それはフェス(あるいはパーティー)を小さな町で続ける進化なのだろう。オーガナイザーの柴田道文さんにインタビュー。2018.07.13 01:18NEWS
西日本豪雨。復興へ向けKEENはマッチングペイで支援活動を開始 2018年7月5日(木)から西日本一帯で続いた豪雨。この未曾有の豪雨により、九州から四国、中国、近畿の広い範囲に渡って大きな被害が広がっています。 自然災害では少しでも早い被災地支援が重要です。2016年4月に発生した「熊本地震」、昨年7月の「九州北部豪雨」でも、すぐにマッチングペイという方法で支援活動をスタートさせてKEEN。これは、例えば誰かが1,000円を寄付するとKEENもその同額である1,000円の寄付というシステム。『一般社団法人OPEN JAPAN』宛てに寄付した緊急支援活動への支援金額と同額の現金や物資などをKEENが拠出(マッチング・ペイ)し、『一般社団法人OPEN JAPAN』へ寄付される。2018.07.12 03:00NEWS
生きる目的を 見つけるための場所。【出路雅明(human forum)インタビュー】出路雅明(human forum)持続可能なライフスタイルを目指して立ち上がったmumokuteki。カフェ、ファーム、マルシェ、そしてファッション。さまざまなコンテンツには同じ核が存在している。文 = 宙野さかな text = Sakana Sorano写真 = 林 大輔 photo = Daisuke Hayashiー mumokutekiという名前について、まずお聞きしたいと思います。出路 自分の好きな兄貴分が、三重で無目的ホールっていうものをやっていたんです。多目的ホールはあるけれど無目的ホールってないねってやってはったんです。月に1回か2回、日本中からおもしろい人を集めて、コミュニティみたいな感じでイベントをやっ...2018.07.12 02:00NEWSINTERVIEWFEATURE
音楽の自由。そんなことを感じさせてくれたMMWのビリー・マーティンが8年ぶりに来日。 音楽は自由である。誰もがそんなことを思い、あるいは感じたことがあるはずだけれど、ライブにおいて、もっともそのことを感じさせてくれたバンドのひとつがM.M.W (メデスキー、マーティン&ウッド)のライブだった。その場の空気感を受け取り、そして自分たちの音で支配していく。暗い洞窟のなかを、明かりを求めてさまよい歩く。そんな感覚を、彼ら3人のライブから感じた。 このM.M.W のメンバーのひとりがビリー・マーティン。ドラムスではあるのだけど、グルーブを作りつつも、音を彩っていく。その意味ではパーカッションと位置付けたほうがわかりやすいかもしれない。 そのビリーが、8年ぶりに来日する。妖しい民俗楽器群を使ったソロ・パフォーマンス...2018.07.10 01:44NEWS
台風被害を経てたどり着いたフェスの開催意義。【あわのネ】去年の10月。台風の被害によって、キャンプサイトなどが流されてしまった海辺のキャンプ場、白浜フラワーパーク。再生のためのクラウドファンディングも成功し、ゴールデンウィークから営業を再開させている。この白浜フラワーパークで開催されるのが「あわのネ」。白浜フラワーパークのスタッフでありクラウドファンディングに挑戦した米原草太さんは「あわのネ」のオーガナイザーでもある。2018.07.04 02:15NEWSFESTIVAL
京都発の音楽による、新しい未来図の構築。【沖野 修也】沖野 修也京都で音楽活動をスタートさせ、東日本大震災後に東京から京都にベースを移した沖野修也。京都にこだわりつつも、俯瞰した視線も持っている。世界基準でどう京都を自分で表現していくか。 京都の新たな未来図を描こうとしている。文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi写真 = 林 大輔 photo = Daisuke Hayashiー 沖野さんは大学時代まで京都で過ごしていらっしゃったということですが。沖野 京都で生まれて、大学も京都だったんですね。24歳のときに上京して。そして東日本大震災の直後に京都に戻ってきました。ー 東京に向かった大きな理由はどういったものだったのですか。沖野 東京に行く前は、すごく東京...2018.07.03 01:58NEWSINTERVIEWFEATURE