京都発の音楽による、新しい未来図の構築。【沖野 修也】

沖野 修也

京都で音楽活動をスタートさせ、東日本大震災後に東京から京都にベースを移した沖野修也。京都にこだわりつつも、俯瞰した視線も持っている。世界基準でどう京都を自分で表現していくか。 京都の新たな未来図を描こうとしている。

文 = 菊地 崇  text = Takashi Kikuchi

写真 = 林 大輔  photo = Daisuke Hayashi


ー 沖野さんは大学時代まで京都で過ごしていらっしゃったということですが。

沖野 京都で生まれて、大学も京都だったんですね。24歳のときに上京して。そして東日本大震災の直後に京都に戻ってきました。


ー 東京に向かった大きな理由はどういったものだったのですか。

沖野 東京に行く前は、すごく東京に対するコンプレックスがあったと思うんです。心の奥底にどうやったら東京に追いつけるかみたいな思いを抱えていた。やっぱり一度出ないことには、自分の実力も証明できないし、京都に何が足りないのかなっていうのもわからないなあと思って移ったんです。東京で暮らし海外で活動することで、京都の価値を再確認したんです。


ー 離れることでわかることってあると思います。

沖野 KYOTO JAZZ MASSIVEと名付けたときに、京都と付けたことが逆に不利になるんじゃないのかっていう不安もあったんです。けれど海外に行ったら、京都の存在は特別なんですよね。東京は、先端の都市としてニューヨーク、ロンドン、パリ、ベルリンと肩を並べる存在になっていました。僕のなかでは京都はそのちょっと下に位置していた。けれど京都の持っているミステリアス感に対する憧れが強いんですよ。京都のブランド力ってすごいなあって実感したこともありましたね。


ー KYOTO JAZZ MASSIVEは、どんな思いを持って名付けたのですか。

沖野 実は自分で付けたんじゃなくて、ジャイルス・ピーターソンっていうジャズのDJに名付けてもらったんです。ロンドンで彼のDJを見たことがあったんですけど、ジャイルスが来日して、日本で彼が回すのをはじめて見に行ったときにサインをねだったんです。彼はトーキング・ラウドというレーベルのローンチで来日していたんですね。会場にそのパンフレットがあったから、そのパンフレットにサインをお願いしたんです。そしたら「To KYOTO JAZZ MASSIVE」と書いてくれました。「KYOTO JAZZ MASSIVEってなに?」って聞いたら「君たちのことだよ」と。なんかカッコイイから名前にしていいって聞いたら、使っていいと。京都に対するシャイな気持ちが、外国人に付けてもらうことですごくステイタスを持てたような感覚になって。この名前にすることよって、あらためて京都から世界に発信することをやろうと決意したんです。


ー 沖野さんにとって、ジャズとはどんな存在なのでしょうか。

沖野 あらゆる音楽にジャズの影響はあると思う。僕にとってジャズとはクロスオーバーすること。異文化との交流だったり異国の交流だったり。ジャズ=黒人音楽って思っている人は多いんだけど、けっしてそうじゃなくて、ブラジルでもニューヨークでもロンドンでもパリでも東京でも京都でも、人種の違う人が言葉を使わずにコミュニケーションすることがジャズなんですよ。人によってはそれがアートかもしれないし。


ー その意味では京都ならではのジャズを沖野さんは表現し続けていると言えるのかもしれないですね。

沖野 京都人が作る今の京都のジャズっていうものを発表したいなあって思っているんです。それが京都の新しいイメージになればいいとも思うし。京都って、どこかマイペースなところがあるんです。マイペースはマイペースでいいんだけど、京都が潜在的に持っている可能性みたいなものを、市民レベルでもっとアピールしていいと思う。それは自分のことだけではなくて。京都って奥ゆかしいことが美徳とされていて、こんなんできんねんみたいなアピールはあまりしないんですよ。


ー 東京に比べ、メディアが少ないということもアピール不足の一因かもしれないですね。

沖野 うねりをひとつのムーブメントとして見せること。アートならアート、ファッションならファッション、クラブだったらクラブ、バンドだったらバンド。京都って人口も少ないから、それらが点在している感じ。京都くらいの都市のサイズだといろんなシーンをまとめてレイヤー的に見せないとシーンとかムーブメントとして見えないと思うんです。


ー 大き過ぎる質問かもしれませんが、どんな京都になっていけばいいと思っていますか。

沖野 京都はもっと発展する可能性があるんです。もちろん発展を目指さないという選択もある。まずは市民がもっと自覚的になるべき。それはビジネスとかアートだけではなく、例えば政治のことにしても。かつての京都は革新府政で、日本のなかでも先鋭的な都市でした。今ではすっかりコンサバティブになっている。京都って反骨精神を持っていると思うんですね。歴史のある都としてのプライドも持っている。京都の持っている潜在的な可能性を市民が意識して欲しいと思います。そして可能性を広げるために、異業種のクリエイターなり表現者が集まるプラットフォームを作ることも必要だと思っています。それはウェブマガジンかもしれないしシンポジウムかもしれないし、フェスかもしれない。そういう人的な交流があれば、もっと京都の持っているポテンシャルが顕在化される。そういう意味では、僕は今まで、ひとりで勝手にいろんなところでアクションをしてきましたけど、次の5年は人と人を結びつけたり、伝統と革新を結びつけたりしていきたいですね。僕も異業種の人とコラボすることによって、作品だったり商品を作っていく。音楽で言えば京都にも70年代はブルース、80年代はニューウェイブ、90年代はアシッドジャズと核があったんですね。じゃあ今はなんやねんって考えてみても思い浮かばない。ジャズなのかヒップホップなのかわからないですけど、京都からおもしろい音楽を、おもしろい文化を発信できたらいいなあと思います。


沖野修也DJ/作曲家/執筆家/選曲評論家/TokyoCrossover/Jazz Festival発起人/TheRoomプロ デューサー。1991年にKyotoJazz Massiveを結成。今までにDJ/アーティストとして世界35 ヶ 国140都市に招聘されている。著書に『職業、DJ、25年沖野修也自伝』。「Black to Kuro ~沖野修也コレクション&クリエーション展~」が4月11日から17日までジェイアール京都伊勢丹で開催された。https://ameblo.jp/shuya-okino/

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