2024.10.25 00:00【Rickie-G × HOMERUN SOUND対談】DIGGIN’ UP THE ROOTSに込められた「街で受け継がれている文化の根っこ」。横浜ベイホールで開催される「DIGGIN’ UP THE ROOTS」。横浜〜神奈川に所以のあるミュージシャンがアーティストが集まり、横浜〜神奈川で培われてきたカルチャーを次世代にも繋げていこうというイベントだ。オーガナイザーのHOMERUN SOUNDとライブ出演するRickie-Gが、「DIGGIN’ UP THE ROOTS」への思いを語り合う。取材・構成 = 宙野さかな写真 = 林 大輔NEWSFESTIVALINTERVIEWFEATURE
2024.10.10 07:08【THE NEW MASTERSOUNDS(Eddie Roberts)/INTERVIEW】ソウルフルなグルーヴに満たされたバンドサウンド。デビュー25周年を迎えた世界最高峰のジャズ・ファンク・バンド、ニュー・マスターサウンズ(以下NMS)。99年にイギリス・リーズで結成。2000年代に入り、アメリカのジャムシーンでも人気を獲得していった。18作目となる新作『Old School』をリリース。その新作がセットリストに加えられたライブが早くも日本で実現する。世界中をツアーで回り、オーディエンスを熱狂の渦に導いてきた4人ならではの高速ファンクが、再び日本で展開される。NMSの中心人物であるギターのエディ・ロバーツにインタビュー。NEWSINTERVIEW
2024.10.10 00:25地球に刺さる男の新たな航海。【sasaru kozee】世界を旅する。その旅を記憶と記録に残るものとするために自らがプロデュースしたのが「SASARU」。Google Mapのピンをイメージして自分が大地に刺さる。その旅の様子はSNSで展開され、世界中に拡散されていった。写真(ポートレート) = 須古 恵 photo(portrait) = Meg Suko文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchiー 「地球に刺さる男」について聞かせてください。K ブレイクダンスをやっていたので、ブレイクダンスを通してヒップホップカルチャーに魅せられていったんですね。何も調べずにイメージだけで、「ブレイクダンスならニューヨークだろ」って思って。そして高校を卒業した年にニューヨークに行...NEWSINTERVIEWFEATURE
2024.09.18 03:30【Jah9/来日直前インタビュー】レゲエがもたらしてくれるポジティブな変化を共有する。2010年代後半に盛り上がってきたレゲエ・リヴァイヴァル・ムーヴメント。その最重要女性アーティストとして注目を集めているJAH9が、初来日を果たす。メッセージ性とスピリチュアル性に包まれたライブ。それはレゲエアーティストでありつつ、ウェルネスアドボケイト(健康提唱者)であり、カルチュラルアンバサダー(文化大使)という側面を持っているからに他ならない。来日直前のJah9にインタビュー。–– 出身はどちらですか。 生まれはジャマイカのモンテゴベイで、トレローニー地方のファルマスで幼少期の8年間を過ごしましたが、文化、アートそしてスピリチュアル面でもパワフルな中心地であるキングストンで育ちました。ジャマイカはレゲエの聖地なので、そこで生ま...NEWSINTERVIEW
2024.09.07 23:00【朝霧JAMS’ (堀内 潤/矢部剛史/石飛美郷/小野田麗斗)インタビュー】ボランティアの笑顔と活気がフェスの雰囲気を作り上げる。フェスを通して地元を盛り上げ、地元の魅力を伝えていきたい。そしてフェスをよりいいものにしたい。そんなまっすぐな思いが、朝霧JAMのオーガナイザーとボランティアチームを対等なものにしている。ー それぞれの朝霧JAMS’でポジションを教えていただけますか。堀内 現在、代表を務めさせてもらっています。代表になったのは2019年。2004年からコアスタッフとして活動しています。矢部 2代目の代表で、前の前の代表になります。「朝霧JAM」初年度に飲食で出店させてもらったんです。美郷さんから、「地元ですごいフェスがあるから参加しないか」って声をかけてもらって。ちょっとおもしろそうだなって軽いノリで出店を決めて。参加したら、ボランティアのみなさん...NEWSFESTIVALINTERVIEW
2024.09.05 06:42【森のこしかけインタビュー】フェスを持続させるためのワーカーズコープ設立。長野県飯綱高原でコロナ禍に立ち上がったフェスがある。今年3回目の開催となる「Mori no Koshikake Music & Art Festival」(森のこしかけ)だ。このフェスの開催を中軸に地域の振興や交流をはかることを目的にワーカーズコープ(労働者協同組合)が設立され、このワーカーズコープが2回目以降の主催となっている。おそらく日本初のワーカーズコープ主催による野外フェス。静岡の「頂」や福岡・糸島の「SUNSET LIVE」といった歴史と人気のある野外フェスが今年で終焉するのに対し、どうフェスを持続させていくのか。その方法のひとつとして、ワーカーズコープという存在に注目していいのかもしれない。NEWSFESTIVALINTERVIEW
2024.08.24 04:30大鹿村第二世代が受け取ったもの。【TAKERU/田村 至】都市を離れて自然の懐へ。そんな80年代の流れのなかで、理想郷として羨望の的となっていたのが長野県の大鹿村だった。マツリ・カルチャーの源流のひとつがここと言っても過言ではない。その大鹿村で育った第二世代のふたり。親世代から受け取ったものを自分たちの世代にどう調和させていくのか。文・写真 = 菊地崇 text・photo = Takashi Kikuchiー ふたりは長野県大鹿村で小さな頃を過ごしました。ふたりの親世代が、都市の経済圏からの脱出と自由を求めて大鹿村に移住したのが80年代でしたよね。イタル 大鹿にいたのは小学2年生から中学まで。そして高校を卒業してすぐに旅に出ちゃった。タケルとは10歳くらい違うんですよね。今は10歳の違い...NEWSFESTIVALINTERVIEWFEATURE
2024.08.20 00:15「虹」に込められたビジョン。【Dr.A.SEVEN】60年代後半から続いている日本のカウンター・カルチャー。そこには多種多様な表現やメッセージも内包されていた。「虹」をコンセプトとした数々のマツリやイベントは、人を混ぜ込んで行く時間にもなった。そしてそこから新しい希望が生まれていった。文 = 菊地崇 text = Takashi Kikuchi写真 = 林大輔 photo = Daisuke Hayashiー いわゆるマツリと呼ばれているものに、いつ頃から関わっていらっしゃるんですか。セブン ベトナム反戦運動や安保闘争の狭間で1969年にアメリカで〈ウッドストック〉が行われ、日本でも開放的なフェリーフェスが多発していた。日比谷野音で〈10円コンサート〉などが開催されてね。この〈10円...NEWSFESTIVALINTERVIEWFEATURE
2024.08.15 23:00世代をつなぐマツリ・カルチャー。【井出 正・教子・天行】2000年の鹿島槍で作られた「ウーマンズ・ティピ」。男性中心のマツリではなく、女性のための空間が企画された。マツリとしての多様性を保持するために「ウーマンズ・ティピ」が生まれたのは必然だったのかもしれない。都市を脱出した親と都市から戻った2世のマツリ・カルチャー。文・写真 = 宙野さかな text・photo = Sakana Soranoー 2000年に鹿島槍で開催された〈いのちの祭り〉には「ウーマンズ・ティピ」という場所がありました。どんなきっかけがあって、そこが生まれたのですか。教子 松本にある神宮寺というお寺でプレイベントがあったんです。そこは広島の原爆の火をずっと灯してきたところ。プレイベントは、音楽もあり、ミーティングも...NEWSFESTIVALINTERVIEWFEATURE
2024.08.13 00:55日本のカウンター・カルチャーを伝すること。【槙田(きこり)但人】88年の〈いのちの祭り〉を記録した『NO NUKES ONE LOVE いのちの祭り’88』の版元でもあったプラサード書店。ヒッピーからカウンター、そして〈いのちの祭り〉へとつながっていく時代の熱情を、次世代に残すために。文・写真 = 菊地崇 text・photo = Takashi Kikuchiー 渡辺眸さんの50年に及ぶ写真を収録した『遊行め』が発行されました。きこり 10年近く前に、ポン(山田塊也)の『アイアムヒッピー』を復刊させた枡田屋昭子と一緒になって、60年代後半に青春時代を過ごした先輩方の話をじっくり聞く会をはじめたんです。先輩方はどんな青春時代を過ごしたのか。そしてそれがどう今につながっているのか。その会の副題は「...NEWSFESTIVALINTERVIEWFEATURE
2024.08.07 23:04新しい生き方を実践していくための場づくり。【おおえまさのり・わかこ】60年代のニューヨーク、70年代前半のインド。異国での暮らしや旅のなかでの体験を、映像や本をはじめとした様々なカタチでアウトプットしてきた。その根幹にあったのは「カウンター」としての魂だろう。「いのちの祭り」初代実行委員長として、今につないでいるものは何なのか。文・写真 = 菊地崇 text・photo = Takashi Kikuchiー 1988年の 「いのちの祭り」。「ハチハチ」と今も呼ばれているこのマツリ開催に向かって、動き出したきっかけとはどういうものだったのですか。おおえ 大きなきっかけになったのは1986年に起きてしまったチェルノブイリ原発事故。それまでも反原発の呼びかけや運動はあったんだけど、あらためて原発事故の恐ろ...NEWSFESTIVALINTERVIEWFEATURE
2024.08.01 00:56【OJO】グレイトフル・デッドの音にプラスされたサイケデリック・アート。カセットにコピーされ、人から人へ渡って行ったグレイトフル・デッドのライブ音源。アルバムジャケットのように、ひとつひとつの音源に「絵」があったのなら…。切り取られた瞬間が、永遠に変わっていく。文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchiー グレイトフル・デッドを聞きはじめたのはいつ頃でしたか。OJO 1973年にデッドに出会って。「ダークスター」を友だちに聞かされてさ。そのときに「このギターの人に一生ついて行こう」と思ったんだ。ジェリー・ガルシアのギターの音をずっと聞いていきたいと。それがはじまり。ー ジェリー・ガルシアやサイケデリックの絵を描くようになったのは?OJO 亡くなってしまったトシロウくんというテーパーと...NEWSINTERVIEWFEATURE