地球に刺さる男の新たな航海。【sasaru kozee】世界を旅する。その旅を記憶と記録に残るものとするために自らがプロデュースしたのが「SASARU」。Google Mapのピンをイメージして自分が大地に刺さる。その旅の様子はSNSで展開され、世界中に拡散されていった。写真(ポートレート) = 須古 恵 photo(portrait) = Meg Suko文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchiー 「地球に刺さる男」について聞かせてください。K ブレイクダンスをやっていたので、ブレイクダンスを通してヒップホップカルチャーに魅せられていったんですね。何も調べずにイメージだけで、「ブレイクダンスならニューヨークだろ」って思って。そして高校を卒業した年にニューヨークに行...2024.10.10 00:25NEWSINTERVIEWFEATURE
大鹿村第二世代が受け取ったもの。【TAKERU/田村 至】都市を離れて自然の懐へ。そんな80年代の流れのなかで、理想郷として羨望の的となっていたのが長野県の大鹿村だった。マツリ・カルチャーの源流のひとつがここと言っても過言ではない。その大鹿村で育った第二世代のふたり。親世代から受け取ったものを自分たちの世代にどう調和させていくのか。文・写真 = 菊地崇 text・photo = Takashi Kikuchiー ふたりは長野県大鹿村で小さな頃を過ごしました。ふたりの親世代が、都市の経済圏からの脱出と自由を求めて大鹿村に移住したのが80年代でしたよね。イタル 大鹿にいたのは小学2年生から中学まで。そして高校を卒業してすぐに旅に出ちゃった。タケルとは10歳くらい違うんですよね。今は10歳の違い...2024.08.24 04:30NEWSFESTIVALINTERVIEWFEATURE
「虹」に込められたビジョン。【Dr.A.SEVEN】60年代後半から続いている日本のカウンター・カルチャー。そこには多種多様な表現やメッセージも内包されていた。「虹」をコンセプトとした数々のマツリやイベントは、人を混ぜ込んで行く時間にもなった。そしてそこから新しい希望が生まれていった。文 = 菊地崇 text = Takashi Kikuchi写真 = 林大輔 photo = Daisuke Hayashiー いわゆるマツリと呼ばれているものに、いつ頃から関わっていらっしゃるんですか。セブン ベトナム反戦運動や安保闘争の狭間で1969年にアメリカで〈ウッドストック〉が行われ、日本でも開放的なフェリーフェスが多発していた。日比谷野音で〈10円コンサート〉などが開催されてね。この〈10円...2024.08.20 00:15NEWSFESTIVALINTERVIEWFEATURE
世代をつなぐマツリ・カルチャー。【井出 正・教子・天行】2000年の鹿島槍で作られた「ウーマンズ・ティピ」。男性中心のマツリではなく、女性のための空間が企画された。マツリとしての多様性を保持するために「ウーマンズ・ティピ」が生まれたのは必然だったのかもしれない。都市を脱出した親と都市から戻った2世のマツリ・カルチャー。文・写真 = 宙野さかな text・photo = Sakana Soranoー 2000年に鹿島槍で開催された〈いのちの祭り〉には「ウーマンズ・ティピ」という場所がありました。どんなきっかけがあって、そこが生まれたのですか。教子 松本にある神宮寺というお寺でプレイベントがあったんです。そこは広島の原爆の火をずっと灯してきたところ。プレイベントは、音楽もあり、ミーティングも...2024.08.15 23:00NEWSFESTIVALINTERVIEWFEATURE
日本のカウンター・カルチャーを伝すること。【槙田(きこり)但人】88年の〈いのちの祭り〉を記録した『NO NUKES ONE LOVE いのちの祭り’88』の版元でもあったプラサード書店。ヒッピーからカウンター、そして〈いのちの祭り〉へとつながっていく時代の熱情を、次世代に残すために。文・写真 = 菊地崇 text・photo = Takashi Kikuchiー 渡辺眸さんの50年に及ぶ写真を収録した『遊行め』が発行されました。きこり 10年近く前に、ポン(山田塊也)の『アイアムヒッピー』を復刊させた枡田屋昭子と一緒になって、60年代後半に青春時代を過ごした先輩方の話をじっくり聞く会をはじめたんです。先輩方はどんな青春時代を過ごしたのか。そしてそれがどう今につながっているのか。その会の副題は「...2024.08.13 00:55NEWSFESTIVALINTERVIEWFEATURE
新しい生き方を実践していくための場づくり。【おおえまさのり・わかこ】60年代のニューヨーク、70年代前半のインド。異国での暮らしや旅のなかでの体験を、映像や本をはじめとした様々なカタチでアウトプットしてきた。その根幹にあったのは「カウンター」としての魂だろう。「いのちの祭り」初代実行委員長として、今につないでいるものは何なのか。文・写真 = 菊地崇 text・photo = Takashi Kikuchiー 1988年の 「いのちの祭り」。「ハチハチ」と今も呼ばれているこのマツリ開催に向かって、動き出したきっかけとはどういうものだったのですか。おおえ 大きなきっかけになったのは1986年に起きてしまったチェルノブイリ原発事故。それまでも反原発の呼びかけや運動はあったんだけど、あらためて原発事故の恐ろ...2024.08.07 23:04NEWSFESTIVALINTERVIEWFEATURE
マツリをつなぐ Matsuri Cultureマツリをつなぐ Matsuri Culture88年8月8日に八ヶ岳で行われた「いのちの祭り」。8888人が集まったとも言われ、日本のマツリ〜フェス文化の分岐点となった伝説のマツリだ。「いのちの祭り」は新世紀を迎える2000年、福島原発事故の翌年の2012年に開催。奇しくもその3回はすべて辰年だった。そして辰年の2024年。4回目の「いのちの祭り」が行われることになった。カウンター・カルチャーの源泉にある「自分たちらしい生き方」は「いのちをどう考えるか」と同意語かもしれない。カウンター・カルチャー第一世代から第二世代へ。マツリ文化は紡がれている。photo = 今 和明2024.08.05 23:00NEWSFESTIVALFEATURE
TALKING about TABI 旅についてTALKING about TABI旅について日常を離れ、自分にとっての未知の場所に踏み入っていく。この体験から得られた視野は、自分の生き方さえをも変えるほどの大きな意味を持っていることも少なくない。なぜ人は旅に向かうのか。そこで何を見たいのか、どんな体験をしたいのか。世界を知り、自分を知るための「旅」。「旅(たび)」という言葉に導かれ、「旅」に赴いていく。バーチャルな世界観に支配されていきそうな未来の「旅」のあり方を考える。2024.08.05 01:00NEWSFEATURE
【OJO】グレイトフル・デッドの音にプラスされたサイケデリック・アート。カセットにコピーされ、人から人へ渡って行ったグレイトフル・デッドのライブ音源。アルバムジャケットのように、ひとつひとつの音源に「絵」があったのなら…。切り取られた瞬間が、永遠に変わっていく。文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchiー グレイトフル・デッドを聞きはじめたのはいつ頃でしたか。OJO 1973年にデッドに出会って。「ダークスター」を友だちに聞かされてさ。そのときに「このギターの人に一生ついて行こう」と思ったんだ。ジェリー・ガルシアのギターの音をずっと聞いていきたいと。それがはじまり。ー ジェリー・ガルシアやサイケデリックの絵を描くようになったのは?OJO 亡くなってしまったトシロウくんというテーパーと...2024.08.01 00:56NEWSINTERVIEWFEATURE
DEAD & COMPANY The Final Tour【MANABU(MAJESTIC CIRCUS)/TAKA(DUDE INN)/SHINHA(cetana works)】DEAD & COMPANYのファイナルツアーが2023年5月から7月に行われた。グレイトフル・デッドが描いたカウンターのビジョンと新しい時代の融合。過去を懐かしむのではなく、今を楽しみ未来を築くこと。このファイナルツアーを体験した3人が語る「今のグレイトフル・デッド・カルチャー」。文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi写真 = 山田博行(SF)/林大輔 photo = Hiroyuki Yamada(SF)/Daisuke Hayashi2024.05.08 06:30NEWSINTERVIEWFEATURE
Life with GRATEFUL DEAD グレイトフル・デッドが残すものLife with GRATEFUL DEADグレイトフル・デッドが残すものグレイトフル・デッドとして動きはじめたのが1965年。ジェリー・ガルシアが旅立った1995年までグレイトフル・デッドの「奇妙な旅」は続いた。それから30年近くも経とうとしているのに、今も多くのファン(ヘッズ)が、グレイトフル・デッドの音楽を愛し、彼らが示してくれた世界観を自分なりのアウトプットで表現しようとしている。グレイトフル・デッドが、今に伝え、未来につなげていくものとは何だろうか。Dedicated to Toshiya OkiArt = OJO2023.11.10 01:00NEWSFEATURE
それぞれの小さな日常が集う場。【森、道、市場(岩瀬順子/山田高広)】2021年秋、開催当初から〈森道〉という場を作ってきた岩瀬貴己さんが急逝した。岩瀬さんが望み、築いてきた〈森道〉というスタイルは、確かな意志を持って継続されている。文・写真 = 宙野さかな text・photo = Sakana Sorano2023.05.22 04:47NEWSFESTIVALINTERVIEWFEATURE