80年代から続く鼓童と佐渡(小木)の祭り。【洲崎 拓郎、菅野 敦司、上之山 博文|鼓童Production Notes】太鼓の演奏などを中心とした芸能集団として、日本のみならず世界で公演を続けてきている鼓童。ベースとなる「鼓童村」を佐渡・小木に開村する際の村祭りとして、〈アース・セレブレーション〉がはじまった。文・写真 = 菊地 崇 text・photo = Takashi Kikuchiー まず御三方が鼓童に入ったきっかけから聞かせてください。菅野 82年に公演を見に行った際に、パンフレットに鼓童村構想が書かれていたんです。その文章を読んで、「ここしかない、自分はここだ」と。それで入れてくださいとお願いしたんです。ー 鼓童村構想のどんなところに魅かれたのですか。菅野 私はカウンターカルチャーみたいなものを探していたというか、そんな思いもあってカリフ...2025.08.08 01:30NEWSFESTIVALINTERVIEWFEATURE
叩いて音を響かせるという魔力。【住吉 佑太、菅野 敦司、齊藤 栄一|鼓童Players Talk】太鼓に魅せられて、鼓童に入団したメンバーたち。時代が動いていくスピード感がどんどん速まっているのに対し、メンバーひとりひとりの内には変わらないものがある。文・写真 = 菊地 崇 text・photo = Takashi Kikuchi2025.08.04 01:00NEWSFESTIVALINTERVIEWFEATURE
鼓童 ~Earth Celebrationの歩み~鼓童~Earth Celebrationの歩み~インバウンドという言葉が囁かれるはるか前から、〈アース・セレブレーション〉を体験するために、海外から多くのファンが佐渡を目指した。米国ニューヨークタイムス紙では「日本で最先端のワールドミュージックイベント」と評されたこともあるという。鼓童が生まれて、来年で45年を迎える。佐渡から鼓童が発信しているものを探る。2025.08.01 03:00NEWSFESTIVALFEATURE
復興のカタチ復興のカタチいつどこで起こるかわからない自然災害。起こってしまった自然災害から何を学んでいくのか。時間を経ることで、どうしても薄れていってしまう復興支援への思い。遠く離れた場所にいても、ひとりひとりができることは必ずある。2025.07.22 05:45NEWSFEATURE
【CANDLE JUNEインタビュー】フェスを再構築する場としての「Beyond」フジロックが開催される1週間前に、ピラミッドガーデンでフェスが開催される。このエリアを2010年からオーガナイズしてきたCANDLE JUNEが、フェスを再構築するためにスタートさせるフェスだ。福島や能登などでの数々の支援活動も「Beyond」にはつながっている。2025.07.08 00:00NEWSFESTIVALINTERVIEWFEATURE
自由は自分でつくるもの。【BEAUTIFUL PLANET(西林浩史)】年代後半から新しいミレニアムに入った頃。日本にスケートボード・カルチャーを広めた大きな要因のひとつがシューズブランドの「IPATH(アイパス)」だった。そのカルチャーを再び魅力あるものに進化させるために「Beautiful Planet」が生まれた。文・写真 = 菊地 崇 text・photo = Takashi Kikuchiー2000年代初頭に、スケートボードシューズ・ブランドとして人気を集めたアイパス。日本でのアイパスの人気は、当時の輸入代理店だった西林さんの功績が大きかったと感じていました。シューズを売るだけではなく、カルチャーとして広めたというか。スケートボード・カルチャーとはどんな出会いだったのですか。西林 1992年に...2025.05.12 01:17NEWSINTERVIEWFEATURE
半世紀も続けられた感謝を伝える時間。【春一番(福岡嵐)】1971年にはじまった〈春一番〉。中断はあったものの、半世紀以上にわたって続いてきた関西のみならず日本を代表する野外コンサートが今年5月で幕を降ろす。昭和、平成、令和。〈春一番〉の主催であり支柱だった福岡風太の息子・福岡嵐が、その決断をくだした。文・写真 = 菊地 崇 text・photo = Takashi Kikuchiー嵐さんの〈春一番〉の最初の思い出はいつになるのですか。嵐 1995年に復活したときですね。そのときは中学1年で、母に連れられていったのが最初の思い出です。〈春一番〉は71年にはじまって79年にいったん終わっています。僕は82年生まれだから、70年代の〈春一番〉は生まれていなかったですから。70年代を知らない世代...2025.04.21 04:34NEWSFESTIVALINTERVIEWFEATURE
新章へ。TAKE a NEW STEP新章へ。TAKE a NEW STEP長きに培ってきたキャリアを見放し、次に向かっていく。それは過去を捨てるのではなく、まっさらな感覚で今の自分と向き合うこと。年月を重ね、いろんな出会いがあり、様々なことを体験してきたからこそ踏み出したくなる新しい扉。自分を見つめた先にあるものは何だったのだろうか。その一歩を踏み出すきっかけはなんだったのだろうか。2025.04.09 05:00NEWSFEATURE
声で聞く詩と文字で読む詩。【ナナオサカキを語る Dialogue 2 - 向坂くじら × ikoma(胎動LABEL)】ナナオサカキの詩を読む。ナナオサカキの詩を聞く。自分の周りから宇宙へ。そしてまた自分のもとへ。 そんな旅に誘ってくれる詩への畏敬と拒否。ヒッピー的な生き方に疑いを持ってしまう世代の社会と自分の関係性。文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi写真 = 須古 恵 photo = Meg Sukoー まずふたりの出会いというか、関係を聞かせてください。ikoma 胎動LABELというレーベルを主宰していて、ポエトリー・リーディングなどのイベントを運営しています。彼女が大学生時代に、詩人として活動している場でたまたま出会って。自分のイベントに出てもらって。それから7〜8年くらいになるかな。くじら 自分の表現のはじまりは...2024.12.02 01:02NEWSINTERVIEWFEATURE
自由な詩が生まれる起因。【ナナオサカキを語る Dialogue 1 - 長沢哲夫(ナーガ) × いとうせいこう】10代の頃に新宿・風月堂でナナオサカキと出会い、 一緒に旅に出てもいた長沢哲夫。ナナオサカキの詩を、今も自身のライブで音源にのせて読むいとうせいこう。旅と詩とナナオサカキを巡るふたりの対談。文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi写真 = 北村勇祐 photo = Yusuke Kitamuraいとう ナナオサカキさんのことをお話していただく前に、まずはナーガ(長沢哲夫)さんのことをお聞きします。どちらの生まれですか。長沢 東京の新宿区です。早稲田大の近く。戦争中は岩手に疎開していましたが。いとう 岩手に疎開なさっていて、終戦後に東京に戻ってきた?長沢 小学校に入るので帰ってきたんです。6歳か7歳か。いとう ど...2024.11.25 01:00NEWSINTERVIEWFEATURE
民謡という手つかずの源泉。【田中克海 民謡クルセイダーズ】多くの人が耳にしたことがあり、口ずさめる「民謡」。多くの人の心に宿っている歌を、ラテン・リズムに融合させて21世紀に再生させる。唯一無二のシン民謡は、日本だけではなく世界に伝播されている。文 = 宙野さかな text = Sakana Sorano写真(ポートレート) = 須古 恵 photo(portrait) = Meg Sukoー 田中さんは、いつから福生の米軍ハウスにいるのですか。 20年くらいになります。はっぴいえんどとか聴いていましたが、音楽と福生がリンクしていなくて。当時は雰囲気がいい街って聞いて、遊びに来た。今と違って、もっと米軍ハウスが多かったんですよね。知人が米軍ハウスに住んでいて、入ってみたら「ここ、ヤバい」っ...2024.11.20 01:00NEWSINTERVIEWFEATURE
ナナオサカキという自由人。近代文明を否定し自然と共存するライフスタイルを創出した「部族」。日本のヒッピーの元祖と呼ばれる「部族」のリーダーだったナナオサカキ。ビートの代表的詩人ゲーリー・スナイダーはナナオのことを「日本から現れた最初の真にコスモポリタンな詩人のひとり」と称している。ゲイリーに呼ばれたアメリカで、ナナオは初の詩集を60年代中盤に出版した。それから遅れること十数年。日本で、日本語のナナオの詩集が出版されたのは80年代に入ってからのことだった。ナナオが生まれたのは1923年1月1日。旅を続け、詩を詠んだ。生きていれば2024年で101歳になる。ナナオとはどんな人物だったのか。詩に託されているものとは何か。2024.11.19 08:00NEWSFEATURE