声で聞く詩と文字で読む詩。【ナナオサカキを語る Dialogue 2 - 向坂くじら × ikoma(胎動LABEL)】ナナオサカキの詩を読む。ナナオサカキの詩を聞く。自分の周りから宇宙へ。そしてまた自分のもとへ。 そんな旅に誘ってくれる詩への畏敬と拒否。ヒッピー的な生き方に疑いを持ってしまう世代の社会と自分の関係性。文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi写真 = 須古 恵 photo = Meg Sukoー まずふたりの出会いというか、関係を聞かせてください。ikoma 胎動LABELというレーベルを主宰していて、ポエトリー・リーディングなどのイベントを運営しています。彼女が大学生時代に、詩人として活動している場でたまたま出会って。自分のイベントに出てもらって。それから7〜8年くらいになるかな。くじら 自分の表現のはじまりは...2024.12.02 01:02NEWSINTERVIEWFEATURE
自由な詩が生まれる起因。【ナナオサカキを語る Dialogue 1 - 長沢哲夫(ナーガ) × いとうせいこう】10代の頃に新宿・風月堂でナナオサカキと出会い、 一緒に旅に出てもいた長沢哲夫。ナナオサカキの詩を、今も自身のライブで音源にのせて読むいとうせいこう。旅と詩とナナオサカキを巡るふたりの対談。文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi写真 = 北村勇祐 photo = Yusuke Kitamuraいとう ナナオサカキさんのことをお話していただく前に、まずはナーガ(長沢哲夫)さんのことをお聞きします。どちらの生まれですか。長沢 東京の新宿区です。早稲田大の近く。戦争中は岩手に疎開していましたが。いとう 岩手に疎開なさっていて、終戦後に東京に戻ってきた?長沢 小学校に入るので帰ってきたんです。6歳か7歳か。いとう ど...2024.11.25 01:00NEWSINTERVIEWFEATURE
民謡という手つかずの源泉。【田中克海 民謡クルセイダーズ】多くの人が耳にしたことがあり、口ずさめる「民謡」。多くの人の心に宿っている歌を、ラテン・リズムに融合させて21世紀に再生させる。唯一無二のシン民謡は、日本だけではなく世界に伝播されている。文 = 宙野さかな text = Sakana Sorano写真(ポートレート) = 須古 恵 photo(portrait) = Meg Sukoー 田中さんは、いつから福生の米軍ハウスにいるのですか。 20年くらいになります。はっぴいえんどとか聴いていましたが、音楽と福生がリンクしていなくて。当時は雰囲気がいい街って聞いて、遊びに来た。今と違って、もっと米軍ハウスが多かったんですよね。知人が米軍ハウスに住んでいて、入ってみたら「ここ、ヤバい」っ...2024.11.20 01:00NEWSINTERVIEWFEATURE
ナナオサカキという自由人。近代文明を否定し自然と共存するライフスタイルを創出した「部族」。日本のヒッピーの元祖と呼ばれる「部族」のリーダーだったナナオサカキ。ビートの代表的詩人ゲーリー・スナイダーはナナオのことを「日本から現れた最初の真にコスモポリタンな詩人のひとり」と称している。ゲイリーに呼ばれたアメリカで、ナナオは初の詩集を60年代中盤に出版した。それから遅れること十数年。日本で、日本語のナナオの詩集が出版されたのは80年代に入ってからのことだった。ナナオが生まれたのは1923年1月1日。旅を続け、詩を詠んだ。生きていれば2024年で101歳になる。ナナオとはどんな人物だったのか。詩に託されているものとは何か。2024.11.19 08:00NEWSFEATURE
【Rickie-G × HOMERUN SOUND対談】DIGGIN’ UP THE ROOTSに込められた「街で受け継がれている文化の根っこ」。横浜ベイホールで開催される「DIGGIN’ UP THE ROOTS」。横浜〜神奈川に所以のあるミュージシャンがアーティストが集まり、横浜〜神奈川で培われてきたカルチャーを次世代にも繋げていこうというイベントだ。オーガナイザーのHOMERUN SOUNDとライブ出演するRickie-Gが、「DIGGIN’ UP THE ROOTS」への思いを語り合う。取材・構成 = 宙野さかな写真 = 林 大輔2024.10.25 00:00NEWSFESTIVALINTERVIEWFEATURE
地球に刺さる男の新たな航海。【sasaru kozee】世界を旅する。その旅を記憶と記録に残るものとするために自らがプロデュースしたのが「SASARU」。Google Mapのピンをイメージして自分が大地に刺さる。その旅の様子はSNSで展開され、世界中に拡散されていった。写真(ポートレート) = 須古 恵 photo(portrait) = Meg Suko文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchiー 「地球に刺さる男」について聞かせてください。K ブレイクダンスをやっていたので、ブレイクダンスを通してヒップホップカルチャーに魅せられていったんですね。何も調べずにイメージだけで、「ブレイクダンスならニューヨークだろ」って思って。そして高校を卒業した年にニューヨークに行...2024.10.10 00:25NEWSINTERVIEWFEATURE
大鹿村第二世代が受け取ったもの。【TAKERU/田村 至】都市を離れて自然の懐へ。そんな80年代の流れのなかで、理想郷として羨望の的となっていたのが長野県の大鹿村だった。マツリ・カルチャーの源流のひとつがここと言っても過言ではない。その大鹿村で育った第二世代のふたり。親世代から受け取ったものを自分たちの世代にどう調和させていくのか。文・写真 = 菊地崇 text・photo = Takashi Kikuchiー ふたりは長野県大鹿村で小さな頃を過ごしました。ふたりの親世代が、都市の経済圏からの脱出と自由を求めて大鹿村に移住したのが80年代でしたよね。イタル 大鹿にいたのは小学2年生から中学まで。そして高校を卒業してすぐに旅に出ちゃった。タケルとは10歳くらい違うんですよね。今は10歳の違い...2024.08.24 04:30NEWSFESTIVALINTERVIEWFEATURE
「虹」に込められたビジョン。【Dr.A.SEVEN】60年代後半から続いている日本のカウンター・カルチャー。そこには多種多様な表現やメッセージも内包されていた。「虹」をコンセプトとした数々のマツリやイベントは、人を混ぜ込んで行く時間にもなった。そしてそこから新しい希望が生まれていった。文 = 菊地崇 text = Takashi Kikuchi写真 = 林大輔 photo = Daisuke Hayashiー いわゆるマツリと呼ばれているものに、いつ頃から関わっていらっしゃるんですか。セブン ベトナム反戦運動や安保闘争の狭間で1969年にアメリカで〈ウッドストック〉が行われ、日本でも開放的なフェリーフェスが多発していた。日比谷野音で〈10円コンサート〉などが開催されてね。この〈10円...2024.08.20 00:15NEWSFESTIVALINTERVIEWFEATURE
世代をつなぐマツリ・カルチャー。【井出 正・教子・天行】2000年の鹿島槍で作られた「ウーマンズ・ティピ」。男性中心のマツリではなく、女性のための空間が企画された。マツリとしての多様性を保持するために「ウーマンズ・ティピ」が生まれたのは必然だったのかもしれない。都市を脱出した親と都市から戻った2世のマツリ・カルチャー。文・写真 = 宙野さかな text・photo = Sakana Soranoー 2000年に鹿島槍で開催された〈いのちの祭り〉には「ウーマンズ・ティピ」という場所がありました。どんなきっかけがあって、そこが生まれたのですか。教子 松本にある神宮寺というお寺でプレイベントがあったんです。そこは広島の原爆の火をずっと灯してきたところ。プレイベントは、音楽もあり、ミーティングも...2024.08.15 23:00NEWSFESTIVALINTERVIEWFEATURE
日本のカウンター・カルチャーを伝すること。【槙田(きこり)但人】88年の〈いのちの祭り〉を記録した『NO NUKES ONE LOVE いのちの祭り’88』の版元でもあったプラサード書店。ヒッピーからカウンター、そして〈いのちの祭り〉へとつながっていく時代の熱情を、次世代に残すために。文・写真 = 菊地崇 text・photo = Takashi Kikuchiー 渡辺眸さんの50年に及ぶ写真を収録した『遊行め』が発行されました。きこり 10年近く前に、ポン(山田塊也)の『アイアムヒッピー』を復刊させた枡田屋昭子と一緒になって、60年代後半に青春時代を過ごした先輩方の話をじっくり聞く会をはじめたんです。先輩方はどんな青春時代を過ごしたのか。そしてそれがどう今につながっているのか。その会の副題は「...2024.08.13 00:55NEWSFESTIVALINTERVIEWFEATURE
新しい生き方を実践していくための場づくり。【おおえまさのり・わかこ】60年代のニューヨーク、70年代前半のインド。異国での暮らしや旅のなかでの体験を、映像や本をはじめとした様々なカタチでアウトプットしてきた。その根幹にあったのは「カウンター」としての魂だろう。「いのちの祭り」初代実行委員長として、今につないでいるものは何なのか。文・写真 = 菊地崇 text・photo = Takashi Kikuchiー 1988年の 「いのちの祭り」。「ハチハチ」と今も呼ばれているこのマツリ開催に向かって、動き出したきっかけとはどういうものだったのですか。おおえ 大きなきっかけになったのは1986年に起きてしまったチェルノブイリ原発事故。それまでも反原発の呼びかけや運動はあったんだけど、あらためて原発事故の恐ろ...2024.08.07 23:04NEWSFESTIVALINTERVIEWFEATURE
マツリをつなぐ Matsuri Cultureマツリをつなぐ Matsuri Culture88年8月8日に八ヶ岳で行われた「いのちの祭り」。8888人が集まったとも言われ、日本のマツリ〜フェス文化の分岐点となった伝説のマツリだ。「いのちの祭り」は新世紀を迎える2000年、福島原発事故の翌年の2012年に開催。奇しくもその3回はすべて辰年だった。そして辰年の2024年。4回目の「いのちの祭り」が行われることになった。カウンター・カルチャーの源泉にある「自分たちらしい生き方」は「いのちをどう考えるか」と同意語かもしれない。カウンター・カルチャー第一世代から第二世代へ。マツリ文化は紡がれている。photo = 今 和明2024.08.05 23:00NEWSFESTIVALFEATURE