【OJO】グレイトフル・デッドの音にプラスされたサイケデリック・アート。カセットにコピーされ、人から人へ渡って行ったグレイトフル・デッドのライブ音源。アルバムジャケットのように、ひとつひとつの音源に「絵」があったのなら…。切り取られた瞬間が、永遠に変わっていく。文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchiー グレイトフル・デッドを聞きはじめたのはいつ頃でしたか。OJO 1973年にデッドに出会って。「ダークスター」を友だちに聞かされてさ。そのときに「このギターの人に一生ついて行こう」と思ったんだ。ジェリー・ガルシアのギターの音をずっと聞いていきたいと。それがはじまり。ー ジェリー・ガルシアやサイケデリックの絵を描くようになったのは?OJO 亡くなってしまったトシロウくんというテーパーと...2024.07.07 15:01FEATURE
DEAD & COMPANY The Final Tour【MANABU(MAJESTIC CIRCUS)/TAKA(DUDE INN)/SHINHA(cetana works)】DEAD & COMPANYのファイナルツアーが2023年5月から7月に行われた。グレイトフル・デッドが描いたカウンターのビジョンと新しい時代の融合。過去を懐かしむのではなく、今を楽しみ未来を築くこと。このファイナルツアーを体験した3人が語る「今のグレイトフル・デッド・カルチャー」。文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi写真 = 山田博行(SF)/林大輔 photo = Hiroyuki Yamada(SF)/Daisuke Hayashi2024.05.08 06:30NEWSINTERVIEWFEATURE
Life with GRATEFUL DEAD グレイトフル・デッドが残すものLife with GRATEFUL DEADグレイトフル・デッドが残すものグレイトフル・デッドとして動きはじめたのが1965年。ジェリー・ガルシアが旅立った1995年までグレイトフル・デッドの「奇妙な旅」は続いた。それから30年近くも経とうとしているのに、今も多くのファン(ヘッズ)が、グレイトフル・デッドの音楽を愛し、彼らが示してくれた世界観を自分なりのアウトプットで表現しようとしている。グレイトフル・デッドが、今に伝え、未来につなげていくものとは何だろうか。Dedicated to Toshiya OkiArt = OJO2023.11.10 01:00NEWSFEATURE
それぞれの小さな日常が集う場。【森、道、市場(岩瀬順子/山田高広)】2021年秋、開催当初から〈森道〉という場を作ってきた岩瀬貴己さんが急逝した。岩瀬さんが望み、築いてきた〈森道〉というスタイルは、確かな意志を持って継続されている。文・写真 = 宙野さかな text・photo = Sakana Sorano2023.05.22 04:47NEWSFESTIVALINTERVIEWFEATURE
コロナ時代を経た新たな日本発のフェスへ。【FUJI & SUN(井出辰之助)、FFKT(坂下真司)、GREENROOM FESTIVAL (釡萢直樹)、ONE PARK FESTIVAL(社長)】2020年からコロナによって揺れた春フェス。中止や延期という決断から、どう次の開催へと意志を向けていったのか。4つのフェスのオーガナイザーが2年ぶりに集って語り合う。文 = 菊地 崇 text = Takashi kikuchi 写真 = 林 大輔 photo = Daisuke Hayashiコロナ禍の3年。ー みなさんには2年前(2021年)に発行した特別号で集まっていただきました。コロナが進行していたこの2年は、それぞれどんな状況でしたか。釜萢 2020年はほとんどのフェスが中止になって、一昨年はやっとやれたっていうか。キャパをかなり削っての開催でしたけど、キャパが多いか少ないかっていうことよりも、開催できたことがうれしかっ...2023.05.10 03:00NEWSFESTIVALFEATURE
東北にともったフェスカルチャーの継続。【ARABAKI ROCK FEST. 23(菅 真良)】東北にフェスカルチャーを根付かせることを目的にはじまり、いつしか東北を代表するフェスに成長していった。その東北のフェスの灯火をともし続けていくために。文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi 写真= ARABAKI ROCK FEST./菊地 崇–––– 菅さんが<アラバキ>をはじめようとしたそもそものきっかけから教えてください。 80年代から90年代にかけて、宮城県のスポーツランドSUGOというところで<ロックンロールオリンピック>というイベントが開催されていたんです。–––– RCサクセションが出演した初回に行きました。 僕は出身が福島なんですけど高校時...2023.04.27 23:30NEWSFESTIVALINTERVIEWFEATURE
レイドバックした時間を楽しむ約束の場所。【Hyde Park Music Festival 2023(麻田 浩)】アメリカの雰囲気が漂っていた狭山という町に、70年代には多くのミュージシャンやアーティストが移り住み、数多くの作品を生み出していった。時代を経てもその輝きは失っていない。文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi 写真 = 須古 恵 photo = Meg Suko2023.04.25 09:00NEWSFESTIVALINTERVIEWFEATURE
【結い市/結いのおと(野口純一)】ローカルな部分にこそ残されている町の個性。街中マルシェ・街中フェスという新しいスタイルで多くの人を集めている茨城県結城市。それぞれの町にある魅力をどう発信していくか。場作りを継続させることで波紋は広がっていった。文・写真 = 菊地 崇 text・photo = Takashi Kikuchi2023.03.02 01:42NEWSFESTIVALINTERVIEWFEATURE
自分を無価値と考えることからの卒業。【鎌仲ひとみ】長野県辰野町に移住したことで知ったメガソーラー建設の現実。地域住民にとってのプラスはなになのか。日本という社会から見えてくる原発やメガソーラーという経済システムから脱却するための一歩とは。文・写真 = 宙野さかなtext・photo = Sakana Soranoー 2020年に東京を離れ、長野県辰野町で暮らしていらっしゃいますが、この場所との出会いを教えてもらえませんか。鎌仲 神奈川県大和市になないろ畑という有機農園があるの。社会的な取り組みもいろいろやっているところで、そこで私の映画の上映をしてくれた。お金がないから野菜で払わせてくれと。それを了承したら、毎週野菜が送られてきた。いつまで続くのかと思っていたら、およそ1年も続いた...2023.02.10 06:00NEWSINTERVIEWFEATURE
〈頂〉が示したバイオディーゼルの方向性。【小野晃義(頂)】フェスにおいても、できるだけ地球に負荷をかけない。自分たちができることから実践させていく。不要になった天ぷら油をフェスに持って来させる呼びかけは、日常の暮らしとフェスをオーガニックなつなぐ道しるべになったのかもしれない。文 = 菊地 崇text = Takashi Kikuchi2023.01.25 06:00NEWSINTERVIEWFEATURE
自分たちでエネルギーを自給していくためのアイデア。【大塚尚幹(自エネ組)】原発事故によって目の当たりにした「お金の無価値感」。自分や家族だけではなく、日本という国がエネルギーを自給するためには、ローテクなアイデアを無理せずに継続させていく方法が真っ当な道なのかもしれない。文・写真 = 宙野さかなtext・photo = Sakana Soranoー 大塚さんが共同代表を務められている自エネ組はいつ立ち上がったのですか。大塚 福島原発事故があった翌年の春あたりに、自エネ組っていう名前をつけたのがはじまりです。自分たちで自給できることはしていきましょうと。その中心となる要素がエネルギーでした。できる限り独立電源で暮らしていこう。このメッセージは全国に広まっていきましたね。ー 自エネ組が関わったなかで、どのくら...2022.12.27 01:27NEWSINTERVIEWFEATURE
電気を作る人と使う人がつながる電気のコミュニケーション。【長島遼大(みんな電力)】毎日食べるものは「顔の見える生産者」から購入したい。そこには顔が見えることによる安心でつながれている。食べものだけではなく、電気も生産者を選びたい。地球に優しい電気を使いたい。そんなシンプルな思いがみんな電力のベーシックに存在している。文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi写真 = 須古 恵 photo = Meg Suko2022.12.01 05:42NEWSINTERVIEWFEATURE