埼玉県所沢 日本音楽のレジェンドを中核にするフェス。

小坂 忠 vs 工藤昭太郎(空飛ぶ音楽祭/ MOJO)

所沢で新しいフェスがスタートする。出演するのはほとんどがこの町にゆかりがあるミュージシャンたち。所沢で「酒と料理と音楽の店MOJO」を営み〈空飛ぶ音楽祭〉ではブッキングを担当している工藤昭太郎と小坂忠が語る「町の文化」。


文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi

写真 = 須古 恵 photo = Meg Suko



60年代の新しい息吹。

ー 小坂さんは66年にザ・フローラルでデビューなさいました。その翌年に細野晴臣さん、松本隆さんらとエイプリルフールを結成。


小坂 ザ・フローラルっていうバンドはグループサウンズ。それが僕は嫌でね。バンド内でグループサウンズ志向と違う音楽の志向に分かれていて。それで解散することになって。

工藤 僕が小坂さんの存在を知ったのはエイプリルフールでした。同時代に聞いていたわけではないのですけど、それまで聞いていたはっぴいえんどなどとは違うところにある音楽だなって思って。時代に対する起爆剤みたいな印象を受けたんです。ブルースからアバンギャルドまで、やりたいことを全部詰め込んでいる。それが小坂さんに対する最初のイメージでした。

小坂 エイプリル・フールが解散することになって、僕はミュージカルに興味があったから『HAIR』に出演することにした。細野くんたちと一緒にバンドをやるような話をしていたんだけどね。細野くんは大瀧(詠一)を誘って、はっぴいえんどになっていった。

工藤 はっぴいえんどは、日本語ロックの夜明けだっていう言い方をされたりしています。夜明けというのは、ある程度価値として評価が定まった状態であって、その評価が定まる前の混沌としたところに、象徴として小坂さんがいたように感じていました。だから小坂さんありきで日本の音楽シーンが動いているのかなって思っていた時期があったんです。

小坂 そんなことはないんだけどさ。ただ60年代後半っていうのは、僕は一番おもしろい時代だったなと思うんだけどね。音楽だけじゃなく、写真にしろ映画にしろ演劇にしろ、新しいものがどんどん出てきてね。本当に溶岩が噴き出すみたいに、いろんなものがふつふつとしていた時代でね。そういうのが好きだったんですよ。


米軍ハウスからの発信。

ー70年代前半に、小坂さんは東京を離れ埼玉にある米軍ハウスに拠点を移しました。


小坂 Work Shop MU!! というデザイン事務所に居候していたんですよ。大瀧の『ナイアガラ』とかデザインしていたところ。MU!! に飯能出身の人がいてさ。たまたま飯能に帰ったときに、稲荷山の米軍ハウスを日本人に貸し出すっていう情報を得て、みんなで行ったわけ。

工藤 何歳くらいのときのことですか。

小坂 『HAIR』が終わってすぐだから20歳くらいだね。僕らがアメリカ村最初の住人なんですよ。引っ越した頃はまだ米軍、ジョンソンエアベースがある時代。本当にアメリカっぽかった。家と家の間にフェンスがないし、すごく広い感じがするし。だんだん日本人が入ってきて、日本的になっていくわけ。自分のテリトリーをちゃんと囲みはじめて。

工藤 当時、郊外の米軍ハウスに拠点を構えるっていうのがすごいなと思うんです。アメリカ軍がいたから、カントリーやブルース、ロックンロールがあった。基地の近くにいることによって音楽を集める。そういう作業をみなさんがしていたと思うんです。横須賀、厚木、横田と16号線からさほど離れることなく米軍基地が点在している。16号が日本の音楽ラインというか、細野さんとかみなさんが集まって実験を繰り返したことが、今の日本の音楽シーンのひとつの原点じゃないかって思っているんです。

小坂 米軍ハウスは家賃がめちゃくちゃに安かったのよ(笑)。

工藤 文化が生まれるところって、家賃も含めて物価が安くないといけないっていう思いがあります。日本だけでなく、海外もそうじゃないですか。サンフランシスコのヘイト・アシュベリーもそうだし、ニューヨークのグリニッジビレッジもそう。若い人たちがコミュニティを形成しやすい。渋谷であったり新宿であったりの東京が文化の中心と言われていますけど、東京は評価が定まったものが消費されるところ。70 年代前半に文化が生まれたのは、悶々として米軍たちと情報交換しながら、異文化交流していたところだったんじゃないかと思っているんです。

小坂 東京を離れて狭山に引っ越したでしょ。東京から狭山の距離感が、非常に良かったと思っているわけ。カントリーでもなく都会でもないという距離感がね。



ゴスペルで拡がった音楽の可能性。

ー 小坂さんが教会でゴスペルを歌うようになったきっかけとはどういうものだったのですか。


小坂 娘がひとりいるんだけど、娘が2歳のときに頭から全身熱湯をかぶってしまって大やけどをしてしまってね。病院に連れて行って、手当てをしてもらったんだけど、女の子だし、やけどの跡が残ってしまったらとか心配だったの。僕は当時、宗教とか祈りとかに興味を持っていなかったんだけど、娘のために何かできることがあったら何でもやっておかないとと。家内の祖母がクリスチャンだったから生まれてはじめて教会に行って。娘のことを話したら、みんなが娘のために祈ってくれた。1カ月後くらいに包帯をとったら、きれいに治っている。そのときに、みなさんが祈ってくれたからなんだ、神様っているんだなって感じたの。神を知るのは今しかない、今がチャンスなんだと思ってね。クリスチャンになって、それまで知らなかった音楽があるということもはじめてわかって。つまり人に向かってじゃなくて、神に向けられた音楽なのよ。それでその世界で自分ができることが何かあるのかもしれないって考えるようになって。教会の活動によって、僕が知らない世界にいっぱい出会ったわけ。例えば刑務所に歌いに行ったり、少年院に歌いに行ったり。どんな状況にある人にも、歌が希望を与えたり、励ましを与えたりとか、力になれるんだっていうことがはじめてわかってね。新たに音楽の可能性が拡がって。25年くらい、そういう活動に専念してずっとやっていた。一般的な音楽活動しか知らない人から見ると、僕は何もしていないっていうか、お隠れになった状態になってね(笑)。

工藤 小坂さんの「機関車」という曲が大好きなんです。あれはゴスペルじゃないかって感じることがあるんです。自分がやらなきゃならないこととやらされていることのジレンマなどの苦痛を歌に乗せ、そしてその自分の苦しみを解き放っているというか。

小坂 それはうれしいですね。ちょうどあの歌を作ったのは安保闘争が激しい時代。僕らの世代、団塊の世代は反体制的なスタンスで、安保闘争に何らかの関わりを持っていたわけです。ところがそういう連中が大学を卒業して体制のなかに組み込まれちゃうわけ。それまでのことを否定して新しいものを作りたいっていう思想でしょ。これでいいんだろうか、やり残したことはないんだろうか、このまま前に進んでいいんだろうかっていうような、そういうときに作った歌。

工藤 今の時代にも繋がるメッセージだと思います。文化を発信するっていうことは、自分の価値観を世に問うっていうか。抗うっていう行為であるとともに、いろんな人と混じっていくというか。


フェスからはじまる町づくり。

ー 9月に所沢で〈空飛ぶ音楽祭〉が初開催されます。


小坂 所沢という自分の住んでいる町がもっと文化的に花開いていって欲しいという思いがある。

工藤 所沢の市民の人たちに、小坂さんがどういう人なのか、小坂さんが所沢にいるっていうことを知ってもらいたいんですよね。社会的な価値観とかが凝り固まってしまったとき、新しい見方を示すのが文化だと思っているんです。生活のなかの習慣とかでも、そうじゃない方法もあるんだって提示すること。音楽でも絵でも、こういう表現のものがあるんだと提示すること。そういうことから目をそらしてしまう人が、今は多いと思うんです。だからこの〈空飛ぶ音楽祭〉を出演者として代表してもらうのは、小坂さんしかありえないと思っているんです。

小坂 今の時代、一般的に多くの人が知っているものってビジネスに乗ったものでしかないわけ。だけど日本のミュージックビジネスは、かつては1から育てあげていくっていうビジョンがあった。ビジネスが生まれる前の根っこの部分が、本当はすごく大切でさ。いろんな多様性を持って育っていく環境。僕は文化は環境が育てると思っています。そういう環境、所沢という町がつくっていければいいんだよ。

工藤 町づくりっていうのは、お金をかけて施設を建てることではないんですよね。そこにいる人たちの気持ちがパッと花咲くときに町づくりの基礎が生まれる。共感する仲間が集まって、何かがはじまろうとする機運が生まれることが新しい町づくりの一歩目かなって。その意味で、フェスというのはいろんな世代にメッセージが伝えられる場であり、とても大切な時間になると思うんです。

小坂 所沢でフェスが開催されるっていうのは夢があるし、このフェスがひとつのきかっけになる可能性は大いにあると思うね。




関連情報

小坂 忠

1966年、ロックグループ「ザ・フローラル」で日本コロムビアよりデビュー。後に細野晴臣・松本隆らとともに「エイプリルフール」を結成。71年に初のソロアルバムをリリースした。76年にクリスチャンとなりゴスペル音楽の活動を中心にセミナーやイベントを主宰。2000年、再びティンパンと活動を開始。東日本大震災以降は、継続的に復興支援活動を行っている。7月20日に六本木ビリオンでトーク&ミニライブ、8月3日には下北沢風知空知で佐藤タイジのLIVE FOR NIPPONに出演する。8月27日には、この対談が行われた所沢MOJOで〈空飛ぶ音楽祭〉のプレライブも行われる。http://www.chu-kosaka.com/

空飛ぶ音楽祭

09.24(日)所沢航空記念公園

小坂忠、PANTA~漣、KIKI BAND、上野茂都 柳家小春 二人会、小島麻由美、ジンタらムータ、他 https://www.sora-fes.com/

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