島と都市をつなぐためのフェスという時間。【OGASAWARA MUSIC FESTIVAL】

OGASAWARA MUSIC FESTIVAL
本土復帰50周年イベントとして開催された〈OGASAWARA MUSIC FESTIVAL〉。島という場所でのフリーフェスに流れていたものとは。小笠原という特別な場所での特別な時間。

文= 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi

写真 = 林 大輔 photo = Daisuke Hayashi


 小笠原でフェスが開催されているのを知ったのは、初回が行われた2016年の開催直前のことだった。出演するサックスプレイヤーの元晴さんのフェイスブックがその情報源だったと思う。当時は〈OGASAWARA ISLAND JAZZ〉という名称だった。小笠原で開催されるフェスってどんな雰囲気なんだろう、どんな人たちが集うんだろう。そんな興味を抱いた。


 第二次世界大戦終戦によって、連合国軍の施政権下にあった小笠原が本土に復帰したのが1968年。50年にあたる2018年に〈OGASAWARA MUSIC FESTIVAL〉が開催された。幸運にも、この記憶にも記録にも残るであろうフェスに参加することができた。


 小笠原に本土から入港する定期船は6日に一便。出演するミュージシャンも、必然的に観光客やフェスに参加するファンと同じ船に乗船することになる。24時間にも及ぶ船の旅。行きの船内では、フェスに出演するミュージシャンのライブも行われた。船での時間からすでにフェスがはじまっている。


 東京から南へ1000キロ。海の色が明らかに変わり、秋から夏に季節が戻ったように感じる。船が到着する父島の人口は2100人余り。船は定員は900人弱だ。この船で生活物資も運ばれている。10月の小笠原の日中の平均気温は26度ちょっと。昼はTシャツ、夜になればシャツを羽織る程度の気温。暑すぎるわけでもなく、湿気でむしむしするわけでもない。台風が来なければ本当に心地よい季節だ。

 フェスの会場の大神山公園は船が到着する二見港の大村地区にある。スーパーや土産物店、宿も多い、小笠原一番の市街地だ。宿も大村地区で、歩いて数分もかからない距離だった。野外フェスなのだから雨対策もしていたのだけど、雨具を常に持参する必要はなく、雨が降ってきたら宿に戻ればいい。他のフェスでは考えられないほど、街とフェスが隣接していた。


 メインステージのほか、ステージは前浜とゲゲゲハウスと呼ばれている休憩広場の計3つ。メインステージのお祭り広場に飲食などのブースも並んでいた。現在の小笠原には、移住でやってきた人たちのほうが多くなっているという。小笠原に限らず、都市を離れて自然豊かな場所に移住したいと考えている人は少なくない。それを実行に移せる人たちは、自分の暮らし方に対して、何らかのビジョンを持っているのだろう。芯を持っていると言い換えてもいい。そんな人たちにとってフェスという場は、都市の風を感じられる時間でありライブは自分に戻れる大きな楽しみに違いない。印象としては、小さな子どもと一緒にフェスを楽しむファミリー層が多かった。ライブではママたちがもっとも元気。

〈OGASAWARA MUSIC FESTIVAL〉に出演したのは、SPEAK NO EVIL、HOME GROWN、Spinna BILL、エマーソン北村、山内アラニ雄喜、松永希など。島のミュージシャンも多い。小笠原返還50周年を記念したイベントでもあったので、父島だけではなく母島でも開催された。母島に出演するミュージシャンたちは、日曜の朝に船で母島に向かった。


 近いけれどそれぞれ違う雰囲気を持ったステージを行き来しながら、小笠原でのフェスの未来を考えてみた。このフェスの開催を心から願っているのは島に住んでいる人たちだろう。いろんな島の人がフェスを楽しんでいた。島の日常から少しだけ開放させてもらえる時間。船で訪れる我々からは小笠原でしか成立しないフェスという空間。その両方が叶えられる可能性が、小笠原という特別な場所には残っているように思った。他のどこにもない小笠原だけでしか実現しないフェス。フェスを入り口とした自然への誘いが小笠原ならできるだろう。フェスという場をどう位置づけ、どうその場所から広がりを持たせていくのか。〈OGASAWARA MUSIC FESTIVAL〉は島と都市を結び、人と人をつなぐフェスだった。そして島に暮らす人たちの未来を感じさせてくれる豊かな時間がそこには流れていた。

0コメント

  • 1000 / 1000