移住第一世代から、未来につなげられる視線。【正司ベン(ケグラニアン)】

正司ベン(ケグラニアン)
東京で働き続けることに疑問を感じ南伊豆に移住して30数年。ずっと新しい移住者たちを迎え入れ、南伊豆で暮らすことの豊かさを自分のライフスタイルによって伝えてきた。その暖かい視線は、今も移住者たちの大きな支えになっている。

文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi
写真 = 宇宙大使☆スター photo = Uchu Taishi ☆ Star


ー 最初に南伊豆に来たきっかけはどういうものだったのですか。

ベン 東京でステンドグラスの工房をしていたんですね。めちゃくちゃ忙しくて、徹夜が何日も続く、そんな感じで仕事をしていたんです。 5年後10年後を想像したら、この生活は続けられないと思うようになって。田舎に行って自分のペースで仕事をしたいという気持ちがだんだん大きくなっていったんです。そして長野、三浦半島、東京でも檜原村とか、あちこち探して。どういうわけか南伊豆に来ちゃったんです。


ー それは何年くらいのことだったのですか。

ベン 82年か83年か。見晴亭もあって、見晴亭には友だちがいたからちょこちょこ遊びに行っていました。移住者は少なかったですね。本当にカントリーでおしゃれなお店なんて全然ないし。見晴亭にいた連中も含め、ごく少数の移住者たちがそれぞれの家に行って、今日はこっちで飲んで、明日はあっちで飲んでっていう感じでしたよ。


ー ヒッピー的な人も多かったのですか。

ベン コミューン暮らしをしている奴らもいましたからね。80年代後半になると反原発の運動も広がっていって。下田や南伊豆では何度も集会が行われていたんです。その流れもあって、88年の〈いのちの祭り〉に行こうっていうのが、このあたりにはゴロゴロいたんです。

ー ベンさんも88年の〈いのちの祭り〉に参加したのですか。

ベン 行きましたね。その後の北海道の幌延を目指したインディアンランニングにも一部参加して。


ー 工房やご自宅など、ベンさんはセルフビルドしていると聞きました。

ベン 水も引いてきたんですよ(笑)。 家は建前までは大工さんにやってもらったんだけど、それ以降はほとんど自分でやりましたね。


ー どのくらいの日数がかかったのですか。

ベン 2年4カ月くらいかかりましたよ。その間に展覧会があったり、子どもが生まれたりして、まったく手つかずだった期間もありましたけど。ちょうど50代を迎える頃のことで。家を建てたことはすごく大変なことだったけれど、やってよかったとすごく思いますね。家を自分で建てたっていうことが、自分にとって何かの自信になっているし。大変な思いもしないと、人間はダメですね(笑)。


ー ガラスの作品は、時代ごとにテーマを設たりしているのですか。

ベン 最初にテーマがあるわけじゃないですよね。ガラスっていう素材で何ができるかっていうことをいつも考えていて。ずっと考えているうちに、何かをきっかけにひらめくものがあって。その方向でやってみようとか、作品はそんな感じで作っていますね。

ー ベンさんにとってのガラスの魅力を教えてください。

ベン なんだろう。ガラスってすごくきれいだけど、頑固で扱いづらい素材なんですよね。割れるときは一瞬にして割れちゃうし、切ったり削ったりするのも大変だし。だけど大変な思いをするんだけどできあがったものものは非常に美しい。そのギャップが魅力なのかもしれないですね。


ー 作品を作るとき、どんな思いを込めているのですか。

ベン ガラスっていう素材と僕の関わり。そのなかで何ができるのかっていうものをいつも考えながらやっていますね。そのときどきで感じたことも影響しているんだろうと思いますけどね。あまり構えないで、気持ちがリラックスした状態で自然と出てくる。そんな感じがいいかなあ(笑)。


ー 30数年、南伊豆に暮らしてこの地域にどういう思いを抱いていますか。

ベン 故郷っていう感じはしないけど。でも他のところ、例えば東京での暮らしはもう忘れちゃっているし、今から戻れないと思います。自分のいる場所はもう東京ではないし、ここでしかないですよね。


ー ベンさんのような移住の先輩がいることも、ここに移住する大きなきっかけになっているように思います。

ベン 自分はとんでもない奴ですけどね(笑)。移住者が増えて、みんなゆるい、いい感じで地域や人と付き合っているんですよね。それぞれがいろんな経験を持っている人たちだから。それが交流することで、新しいものや新しい地域の文化を作ろうっていうエネルギーが生まれようとしているように思います。そういうところが、今はとてもおもしろく感じていますよ。けれど最低限のルールっていうものも存在しているわけです。それとどう付き合っていくか。それを無視しちゃう人もなかにはいて。いくら自由だからといっても、そういうところは折り合いをつけていかないとね。


ー それが地域社会のなかで暮らすということなんでしょうね。

ベン 自分が来た頃のことを考えると、今のような状態になるって全然想像できませんでしたから。若い人たちたちはみんなしっかりしている。そんな若い人たちが増えて、南伊豆はどんどんおもしろくなっている、よくなっていると思いますよ。


正司ベン(ケグラニアン)
ステンドグラスの工房を東京で営んだ後、80年代前半に南伊豆に移住。南伊豆の毛倉野に、ガラス工房&ギャラリーの「ケグラニアン」を設立。工房もギャラリーも、セルフビルドで建てられた。見晴亭時代を体験している南伊豆レジェンドのひとり。http://kegranian.com/

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