優しくてエモーショナルなギター・サウンドで多くのファンを未知なる世界に導いてくれたスティーブ・キモック。年齢を重ねていくことで深くなっていく音。キモックのライブでは、まさに「音に包まれた」感覚になる。
インタビュー=大木登志也 Interview = Toshiba Oki
文=菊地 崇 text = Takashi Kikuchi写真=林 大輔 photo = Daisuke Hayashi
–––– 最初にギターを手にしたのはいつでしたか?
SK いつだったかはっきりわからないな。でもビートルズの影響であったことは確かだね。私は今年で62歳になる。我々の世代が子どもの頃、ビートルズは偉大だったからね。アメリカでもそうさ。「見ろよ、彼らはクールにギターを弾いている」みたいに憧れの的だったんだ。外的な影響としてはビートルズ。それと家庭では父親がフォークシンガーだったってことが大きいね。小さな頃にいとこの家に遊びに行くと、ピアノやギターがあって父が歌ってくれた。
–––– キモックさんが育ったのはペンシルベニア州のベツレヘムという町です。そしてサンフランシスコにやってくるきっかけとはどういうものだったのですか。
SK 19歳か20歳の頃かな。ある日、近所の酒場の前を通りかかって窓から見ると、なかで演奏している数人の男たちがいた。なかに入ってみたかったんだけど、自分にはお金がない。だから窓から覗いていたんだ。その光景を見た友人が、「彼らと一緒にプレイしてみれば?」と誘ってくれた。演奏していた男たちはスプリングタウンという別の町に住んでいたんだ。数日経ってからそこに行ってね。結局彼らとは、バンドのメンバーになって長い間演奏することになった。2年か3年に一緒にやっているうちに、マネージャーをしていた男がこのバンドをカリフォルニアに連れて行きたいという話になったんだよ。早速荷造りしてカリフォルニアに向かったんだ。カリフォルニアでの最初のライブがこれまた信じられないくらいすごくて。エレクトリック・ホットツナの前座を務めたんだ。
–––– それはサンフランシスコだったのでしょうか。
SK そう。私たち4人は一台のバンで大陸を横断してきたんだ。その素晴らしいライブの後、「やったぜ」とか騒ぎながらゴールデンブリッジを渡ろうとした。その直前でバンが故障して、まったく動かなくなって。車に乗っていた4人のメンバーで、カリフォルニアにいる知人といえばたったひとりの女性しかいない。その娘に迎えに来てもらったんだよ。
–––– グレイトフル・デッドのメンバーとの出会いはどういうものだったのですか。
SK サンフランシスコ北部のラグニタスという町に住んでいたことがあるんだ。ある日電話が鳴って、女性の声で「スティーブ・キモックさんですか?」って聞くんだ。「そうだけど、あなたはどなた?」と聞き返したら「ドナ・ゴドショウです」と。信じられなかったね。ドナといえばグレイトフル・デッドのメンバーで、北カリフォルニアでは知らない人はいない。「こっちに来て一緒にプレイしたくない?」って誘ってくれた。そしてドナのところによく行くようになったんだ。ドナだけではなくキース(・ゴドショウ)とも意気投合し、楽しく演奏した。そのときにドラムを叩いていたのがグレッグ・アントンさ。
–––– ZEROで一緒にバンドを組んでいたグレッグ・アントン?
SK そう。ドナやキースとは一度か2度ライブをやったな。その後、キースが交通事故で亡くなってしまったんだ。一本の電話からはじまって、一緒にプレイして、ライブもして。とてもいいバンドだった。キースが逝ってしまってから、私とグレッグはどうしていいかわからない状態が続いてブラブラしていたんだ。私たちにはもうバンドがなかったからね。グレッグとバンドでもはじめるか、みたいな話に自然となっていって。それがZEROに繋がっていったんだよ。
–––– ZERO、KVHWなど、キモックさんのバンドのライブには多くのデッドヘッズが集っていました。
SK 私たちはグレイトフル・デッドの曲を演奏しなかった。実はデッドについては詳しくはなかったんだ。曲もそれほど知っていたわけでないし。自分はデッドヘッドでもない。たまたまサンフランシスコにいたギタリストのひとりというだけ。もちろんジェリー・ガルシアのことは知っていたし、ジェリーのサウンドがどういうものかも知っていた。そしてジェリーのことがもの凄く好きだった。当時は意図的に距離をおいていたのかもしれない。ジェリーはジェリーのことを、デッドはデッドのことをやって、私は自分のことをやる。その後、ちょっと踏み入ることになったけどね(笑)。デッドのメンバーとの演奏は楽しかったけれど、けっこう難しかったのも確かなんだ。
–––– ジャムをする際にもっとも大切なものとはなんだと思っていますか。
SK 聴くことだね。それとよく聴ける環境であること。みんなが自分自身とお互いの音をよく聴き、さらにそのうえで良い決断をすること。アンサンブルにおいてもっとも重要なのは聞き入ることなんだ。良い決断とすることも大事だ。どのタイミングで誰かに一歩前に出てもらうとか自分が飛び込むとか。自分だけでは思う方向に無理に持って行こうとしたりするようなエゴが大きすぎるとうまくいかない。ある種の忍耐も必要になってくるよ(笑)。
–––– ライブで演奏する曲はどうやって選んでいるのですか。
SK セットリストを作るのは嫌いなんだよ。飛行機のなかで、曲名を大きく描いたインデックスカードをテーブルに広げて、あれやこれやっているよ。
–––– 2017年1月の来日時には、息子さんのジョン・キモックがドラマーとして参加していました。ジョンに対して何かアドバイスはありますか?
SK 今は何もない。ずいぶん前に言ったのは、姿勢と態度がすべてだっていうこと。この世界ではクレイジーな人たちがクレイジーな状況に置かれる場面が多々ある。そこで常に冷静に振る舞うことが大切なんだ。音楽に対しても良い態度で臨むこと。私自身がリスペクトする人たちから学んだことは、彼らの内にはオーラのようなものが備わっていて、彼らがそこにいるだけで周りのムードが良くなったり楽しい気分になったりしているということ。音楽的には「いろいろ悩むな、お前は十分にやっていける、常に前へ進め」と。そのことを常に心がけて欲しい。おそらく15年くらい前になるのかな、こんなことを言ったのは。一緒に演奏していてジョンは成長したこともよくわかるし、実際凄くよくやっているよ。
Steve Kimock
1956年アメリカ東海岸のペンシルベニア州のベツレヘムで生まれた。地元でバンドを組んでいたものの、70年代に新しい音楽を求めてサンフランシスコに移住。グレイトフル・デッドのメンバーであるキース&ドナ・ゴドショウに出会ったことをきっかけに、ベイエリアの音楽シーンに深く関わっていくことになった。80年代に入りZEROを結成。スペーシーなギターサウンドはデッドヘッズの心にも響き、ジェリー・ガルシアのサウンドを引き継ぐギタリストとして人気を獲得していった。〈フジロック〉をはじめ、数多く来日している。10月27日に最新作『SATELITE CITY』がリリースされた。
協力 = Taro Tsuxuki
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