旅のドキュメントを屋久島から発信。【SAUNTER Magazine(国本真治)】

世界自然遺産の地、屋久島。古くから移住者も多いこの場所から発信する旅の視線。都市からであり、自然の懐からでもあり、そのどちらでもない独自の視点が内包されている。

文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi
写真 = 北村勇祐 photo = Yusuke Kitamura


ー 屋久島発の雑誌『サウンターマガジン』。まず屋久島の魅力を教えてください。

国本 屋久島って「島」なんですけど、「山」なんですね。花崗岩の塊。標高2000メートルに近い山が連なっていて、山頂近くでは冬だと雪が降る。麓ではハイビスカスが咲いて、バナナなどの南国のフルーツも採れる。水も豊富で、しかも僕は硬水より軟水が好きなんやけど、屋久島は超軟水。温泉もある。とにかく不思議で、いろんなことが深い島なんです。大阪や東京という都市で暮らし、毎年のようにインドに行っていたんですけど、ここで住むのもいいかなって漠然と思って。


ー そして移住した。

国本 いつを移住というのか、自分でもよくわからないんですけどね(笑)。2013年に嫁と子どもだけ暮らしはじめて、2015年に家を建てて、宿とヨガスタジオをオープンした。け

ど自分は2018年まで東京で会社員をしてましたから。


ー 出版社を立ち上げる前に、宿とヨガスタジオをオープンさせていたのですね。

国本 そっちは嫁の個人事業として立ち上げました。出版は、自分が会社を辞めてすぐに設立したんです。


ー 屋久島という離島での立ち上げに関して、どんな思いがありましたか。

国本 出版しかほぼやってこなかったから。だから自分がやりたいことっていったら、雑誌を作ること、本を作ること。『サウンターマガジン』を創刊する前に、ゆくゆくは本として出せればいいなって思えた企画があったんです。


ー それはどんな企画?

国本 屋久島民謡に「まつばんだ」っていう歌があって、その本を出したいがために出版社にしようと思って。えぐさゆうこさんという方がリリースされたCDをたまたま2013年に島内で手に入れたんですが、そこに「まつばんだ」が入っていました。琉球音階が入った不思議な歌で。けれど琉球文化圏の北限は沖永良部島あたりと言われているんですね。地図で見て貰えばわかりやすいと思うんですけど、沖永良部島と屋久島って、かなり離れている。屋久島は九州本島の南端から60キロしか離れていないんですね。なぜ屋久島に琉球音階が残っていたのかって、説明がつかないんです。「まつばんだ」は1960年代に一度途絶えていて、復活させようという動きが今同時発多発的に島内で出ていますが、フィールドワークとして再検証している人がいないんです。だったら、自分たちでそれをやりたいなって。鹿児島の放送局などに昔の録音がいくつか残っていて、その歌い手の孫たちの大半が今80代で。そんな方々にお話を聞かせてもらってて、今年の夏頃には『南洋のソングライン(仮)』というノンフィクションとして出版します。僕は編集発行人で、著者は音楽ライターの大石始さんです。


ー 屋久島は北からと南からでは、どちらの影響が強かったのかな。

国本 沖縄や与論島の子孫とかも屋久島にはいるのですけど、圧倒的に北、つまり九州からの影響が強いと思います。


ー 住むことで、屋久島という場所が持つ歴史を探っていきたくなった?

国本 屋久島で何ができるのか、屋久島から何を発信できるのかって考えたのは確かですね。そして、ずっと雑誌に関わって来ましたから、雑誌もやりたいって思ったんですね。


ー 雑誌のコンセプトしてあるのは、屋久島発信ということ?

国本 創刊号は屋久島の特集でしけど、2号目は屋久島のことをほとんど取り上げませんでした。屋久島のことを一切載せなくてもいいかなぐらい思ったんですけど、屋久島発ということを大切にしていかなければと再認識して、3号目からは必ず1ネタは屋久島のことをしっかりやろうと。


ー 暮らすことで視点は変わりましたか?

国本 大阪市内出身やし、屋久島に来るまでは都会でしか暮らしてなかったんですね。編集する際の基本としている目線は、今でも変わっていないと思いますよ。自然なものに憧れ、自然なものを求める。それはきっと都市に暮らしている人のほうが強いと思います。屋久島では自然が近くにあることがが当たり前なんですけど、当たり前にあるものと思わないようにはしています。


ー 紙へのこだわりは?

国本 ウェブでも得られる情報を、紙の媒体で出すことの意味って、保存性以外ないと思っていて。永久保存版にしたくなるデザインとコンテンツ。情報の量や速さで勝負することはできないですからね。だから同時性は求めていなくて、普遍性を求めています。第3号までは半年に1回のつもりで頑張ってたんですけど、第4号からは1年に1号を大切に作ることにしました。


ー 「サウンター」と名付けた理由を教えてください。

国本 「サウンター」で商標が取れたことが第一(笑)。『サウンターマガジン』は旅の雑誌です。「サウンター」は、ゆっくり歩くっていう意味なんですね。しかもトボトボ歩くというのとも違って、ポジティブな意味合いを持っているらしいんです。それって、自分の旅のスタイルでもあったんですよ。


SAUNTER Magazine

国本真治2013年から世界自然遺産の屋久島で暮らしはじめ、屋久島にある唯一の出版社として18年に設立。旅のドキュメントマガジン『SAUNTER MAGAZINE』を19年に創刊。当初は年に2回刊行されていたが、昨年から年に1回となった。最新号は「食で繋がる旅」特集の4号。公益財団法人屋久島環境文化財団監修のムック本『屋久島 知の巨人たち』を6月30日に刊行。梅原猛、兼高かおる、C.W.ニコル、養老孟司ら14名が語った屋久島の自然への視野が記されている。https://kiltyinc.com/

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