【中村雄紀 (町分オルタナギャラリー/満月祭)】満月祭を引き継ぎ、次世代に残していく意志。

オーストラリアで出会ったヒッピーのライフスタイルに導かれて〈満月祭〉へ。この祭りを手伝いたいという思いを持っての移住。オーガニックなライフスタイルをアクトローカリーで築いていくことを見据えている。

文 = 菊地 崇 text = Takashi kikuchi
写真 = 宇宙大使☆スター photo = Uchutaishi☆Star

ー 震災後に福島に引っ越してきたとのことですが、川内村に来たのはいつだったのですか。

中村 福島に来た理由は、奥さんがいわき出身で結婚を機にまずいわきで暮らしはじめたんです。奥さんとは〈満月祭〉で知り合って。いわきには1年半くらいいて、いっそのことこっち(川内村)に移住しようと。


ー 福島に移住するにあたって、悩みはありませんでしたか。

中村 当時は原発事故の真っ只中という状況でした。ヒッピーカルチャーに影響を受けた友だちも多く、事故が起きる前にも原発反対のデモなどにも参加していたんですね。自分なりに調べて、ガイガーカウンターを手に入れて、空間線量を測りに行ったりとかもして。「なぜ原発の近くに行くんだ」なんてことを言われたこともありました。どこにいてもリスクってあると思うんです。リスクをどうとらえるのか。川内村で言えば放射能のリスク。自然災害も多い日本ではどこにでもリスクがあって、ここに住めば大丈夫っていう場所はないなって思って。自分が好きなところ、自分たちが納得できるところに住むのが、精神的には一番かなって思ったんですね。

ー 〈満月祭〉に最初に来たのは?

中村 2009年です。20歳のときに、ワーホリ(ワーキングホリデー)でオーストラリアに行ったんですね。そこでヒッピーカルチャーに出会って、そのライフスタイルにすごく共鳴したんです。オーストラリアでは日本にヒッピーカルチャーが息づいているなんて知らなかったんですけど、帰国して日本のヒッピーカルチャーを辿って行ったら、〈満月祭〉に行き着いたんです。自分にとって〈満月祭〉はすごい衝撃でした。日本全国から集まってくるいろんな人たち。「生きる」を実践している人たちにはじめて会ったというか。

ー 〈満月祭〉を手伝うということも、川内村に移住した理由のひとつ?

中村 それが自分の中心にあったことは確かです。川内村に来て、いろんなところで働きました。だんだんと自分の居場所ができてきて。ここに来て変わったことは、単純に心が安らいだということ。

ー そして町分オルタナギャラリーを作った。

中村 引っ越してきた2014年は、やっと帰村宣言が出されたばかりでした。人も帰って来ねえし、村も活気がねえ。俺たちでどうにかして村を盛り上げようと「川内盛り上げっ課」というグループができたんです。獏原人村の(風見)マサイさんに誘われて、そこに顔を出すようになったんです。最初はただ単に集まって話しているだけだったんですが、マサイさんが「話し合いばかりじゃ進展がないから、ワークショップみたいな講座を開催してはどうか」って提案したんですね。コミュニティセンターを借りてワークショップがはじまったんですけど、自分たちの場所があるといいね、じゃあ場所を見つけよう、みたいな流れになったんです。そして幼稚園の廃園だった場所が見つかって、町分オルタナギャラリーとしてオープンしたんです。


ー オルタナギャラリーをどんな場所にしたいと思っているのですか。

中村 ゴールを決めないっていうか。その都度、やりたいことが思いついたらやっていくみたいなスタイル。「みんな楽しく、自分も楽しく、世界も楽しく」みたいな感覚でやっている場所なんです。ただ固定費も必要なので、泊まったり、ここを使ったりする人からサポートしてもらう。そんな思いで、イベントスペースと民泊をしています。


ー 去年から〈満月祭〉の主催を担っています。

中村 移住してきた頃は、〈満月祭〉の中心となって動いている若い人って、ひとりもいなかったんですね。〈満月祭〉が好きだから、何かお手伝いできればなあっていう思いだけで、獏原人村の草刈りとかに行っていました。数年前から、マサイさんが「ユウキくん、主催をやらないか」って言い出したんですね。〈満月祭〉はみんなのものってマサイさんは言うけど、やっぱりマサイさんが築いてきた祭りなんですね。引き継ぐことに自信がありませんでした。自分自身にはみなさんをまとめるだけの能力がないと、今でも思っています。主催という大事なことを自分がやれる気がまったくしなかったんですけど、その逆の思いも混在していて。自分みたいな人間がやれるとしたら、みんなも同じような大事な役回りを担う可能性があるっていうか、みんなが前向きになれるんじゃないかって思って。それでチャレンジする気持ちが大きくなって引き受けました。


ー そして去年はコロナ禍のなかで開催された。

中村 開催するかどうかはすごく悩みました。開催するのも大変で、でも大変だったぶん、生み出された力はすごくて。


ー 今後、〈満月祭〉をどういう場にしていきたいですか。

中村 あらゆる世代がいて、交流できるっていうことが〈満月祭〉の魅力だと思うんですね。いろんな世代の人と会える場所って少ないじゃないですか。〈満月祭〉はいろんな経験をしている人が集ってくる。それが、俺らからすれば生きるヒントなんですよね。去年は正直〈満月祭〉っぽさがあまり感じられなかった。お客さんもミュージシャンも、全部が世代交代する必要はないんですよね。みんなの参加したいっていう気持ちと今までの気持ちを取り入ればがら、新しい風も入れてブラッシュアップしていければ。引き継いだからには30年は続けたいと思っています。今37歳なので67歳まで(笑)。


中村雄紀(町分オルタナギャラリー/満月祭)
原発事故で全村避難となった福島県川内村に、帰村がはじまって間も無く移住。築50年の保育所をリノベーションし、「町分オルタナギャラリー」として2016年12月にオープン。現在はイベントスペースと民泊として活用している。40年近く続いている〈満月祭〉を2020年から引き継いだ。〈満月祭〉はコロナ禍で多くのフェスが中止となった2021年夏もキャンプインで開催された。

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