【正木高志】森を育て、森に抱かれる暮らし。生命平和というビジョン。

60年代のインド〜ネパールで出会った「TOO LATE」という言葉。手遅れにさせてしまった現代文明から持続可能な地球文明への移行。

文 = 宙野さかな text = Sakana Sorano
写真 = 宇宙大使☆スター photo = Uchutaishi☆Star

— 今の住まいの阿蘇の山麓には、いつ頃から暮らしていらっしゃるのですか。

正木 ここに来たのは1985年頃だと思います。自分で土地を所有したいという思いはなかったのだけど、少なくとも他人の土地じゃないところに根付かないと、自分の場所にはならないなって思って。前の場所では荒れていた畑をやっと使えるようにしたところで、大家さんに返してくれと言われたんです。土地との出会いは、良い悪いではなく、結婚の相手とつながるのと同じように、運命のようなものなんですね。


— 20代の頃にインドなどを旅したそうですが、自然と共生した暮らしは、その旅から導かれたものだったのですか。

正木 そうでもなかったと思います。最初に行こうとしたのはインドじゃないんですよ。インドに行くことが目的ではなく、それまでの暮らしから脱しようとしただけ。それまでの暮らしに対する吐き気、もうこんなところに暮らせないっていう嘔吐感を感じたのが18歳のときでした。若い頃には、多くの人がそう感じるじゃないですか。


— 確かにそうかもしれないですね。違う自分になりたい、違い世界で生きたいという思い。

正木 みんな世の中に対して吐き気をもよおす。それは結局は文明に対する嘔吐。どこに出ようとしているのか。何から離れたいのか。よく考えて見たら、自分のそれまでの思考や概念は、全部言葉でできているんですね。言葉で考えていること、感じていることが全部嫌だとわかって。じゃあ日本語のないところに行けばいいんだって思って、最初はヨーロッパに行ったんです。アフリカを回ったり、旅のなかで暮らした。最後に行ったのがネパールとインドだったんです。そしてそこが好きになった。

— 地球と向き合うという感覚を得たのですか。

正木 現代文明に対する反感、拒絶感みたいなものが基本にあったんですね。それは時代意識だと思う。再び旅に行った1966年のことです。イスタンブールにいたら、多くの人が「あなたもカトマンズに行くのか。カトマンズ・フォー・クリスマスを知らないか」って聞いてくる。西洋のビートたちが、一斉にネパールのカトマンズに集ったんですね。何かがここで動き出すのかもしれないという予感。ある種のギャザリング。作家、絵描き、詩人。多彩な人たちがカトマンズにいたけれど、異口同音に言っていたことが「TOO LATE」という言葉だったんです。もう地球は手遅れだ、と。現代文明が終わるという確信を、みんなが共通して持っていた。それじゃあどういう生き方をしていかなければならないのかって自分に問うたときに、カウンターカルチャーであり、ヒッピーの人たちが求めていた新しいライフスタイルが浮かび上がってきたんです。現代文明は地球を目指していない。それを否定した結果としての自然。地球と向き合うこと。それと同時にインドのスピリチュアルな探求もあって。人の内側に意識の次元上昇する目覚めが必要だという確信。意識の革命を「BE HERE NOW」とか「I AM THAT」という言葉で表していたのです。


— 地球視野で考えるということに自然と到達したということですね。

正木 大勢の人が「TOO LATE」から探しはじめた、それに変わる生き方。自分が地球だっていう意識を持つこと。それが「I AM THAT」なんですよ。地球をリンゴだとすると、リンゴの皮くらいの薄い部分に水系があって、水が循環して命が生まれている。それが45億年とか46億年とか生き続けていると言われている。そこから僕らは生まれて戻っていく。この薄い皮の部分が、僕らにとって実感できる宇宙なんです。その自分たちの大切な宇宙を破壊している今は地球を感覚的にビジュアライズできている。つまり新しい視野を持っているということなんです。これはものすごく大きな文明の変態なんですよ。文明をどう持続可能にするかって言われているけれど、現代文明は決して持続可能じゃないですよ。現代文明が我ありということからはじまるとしたら、これからの地球文明は我なしからはじまる。

— 正木さんは自分の暮らす場所で森をつくっていらっしゃいます。

正木 環境を健康にするということからはじめようという考えですね。きっかけは女房の病気でした。退院してきて、ふたりでこれからどうしようかと考えたときに、木を植えるっていうことを思いついたんです。それが2000年のことです。


— およそ20年で、森はずいぶん豊かになったのですか。

正木 自然に戻すための植林をどうしたらいいのかって、誰も知らなかったんです。営林署の人も林業の人もスギやヒノキしか植えたことがない。未だに何が正解なのかわかりません。実際に木を植えはじめたら、環境問題ということだけではなく、大きな喜びがあったんです。そうこうするうちに、僕は歌を作って歌を歌うようになってね。60歳近くになってからですよ。女房と一緒にその歌を歌うことで、女房の病気も治っていたんです。木を植えることもうれしい。育てることもうれしい。歌を歌えることもうれしい。なんでこんなにうれしいんだろうって最初はわからなかったんだけど、徐々にわかってきたのは、山がうれしがってくれているということ。山というお母さんが喜んでいる。だから抱かれている自分たちもうれしい。歌が降りてくるのも、歌が歌えるようになったのも、お母さんがプレゼントしてくれているからなんですね。

— 正木さんの森を歩いていると、森の生命力を感じます。

正木 森も木も、ここを構成するすべてが喜んでいるんですよ。今までは子どもである人間が自然を壊すことしかしていなかったのに、やっと気がついて木を植えはじめてくれている。だから山というお母さんが喜んでいる。自分たちが木を植えることで、たぶん褒められているのが60点で怒られているのが40点だと思います。少しだけプラス方向に行っている。いい方向に少しでも向かっていれば、循環もいい方向に変わっていく。言葉で言うならば愛を向けるっていうこと。自然に対して100パーセントを僕らがやるのではなく、プラスの方向になるようにちょっとだけヘルプする。多くの人が悪循環という流れのなかに、気がつかないうちに入ってしまっているわけですから。


— 木を植えて森を育てるということから大きな喜びを得られいるのですね。

正木 考えて見たら、人間以外のあらゆる生き物は、みんなつながって生きているんですよ。循環している。生態系そのものが広いサイクルで成り立っている。僕は自分の知識で、自分の経験から導き出されたことをこうして喋っている。自分が見ている世界の問題は、自分だけが見える世界であって、問題なんです。世界を変えることはできないけれど、自分の問題を解決することはできる。それが今に生きる自分たちの義務なのですから。


正木高志
1945年生まれ。60年代半ばからインドを遍歴し、哲学を学ぶ。80年に帰農、阿蘇でアンナプルナ農園をひらいた。2000年から自然林の植林活動を開始。憲法9条をまもる巡礼「ウォーク・ナイン」主宰。2014年から「ふくしま文庫プロジェクト」をスタート。著書に『木を植えましょう』『出アメリカ記』『蝶文明』『空とぶブッダ』など。近著が生命平和の新しい文明を提唱する『地球のマユの子供たち』。この本の印税はすべてヒマラヤの植林のために使われる。http://www.nanpou.com/

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