【ローホー(Row Hoo Man)インタビュー】無人島でフェスを開催する。コロナ時代の新たな場所の創出。

「自己完結型一人楽団」として、ライブハウスやフェス、ストリートで歌ってきたローホー(Row Hoo Man)。日本のみならず世界をフィールドとしてきた。2020年のはじめ、ライブハウスの周年イベントのために一夜限りのバンドを結成。そのバンドに未来の手応えを感じ、バンドとして継続させてていくこと決意。そのバンドはNEKOSOGI(ネコソギ)と名付けられた。自分たちで自分たちのライブの場を作る。そのシンプルで根元的な思いの決着点として生まれたのが、自分たちがオーガナイズする野外フェスの開催だった。コロナという時代で、どうフェスを描いていくのか。その方法として選ばれたのがクラウドファンディングという手法だった。


文・写真 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi

— 歌を歌いはじめたのはいつ頃だったのですか。

 たぶん13歳。アコギを持って、パンクの気持ちで歌っていました。社会というか学校への不平不満を字余りのまま。そう考えると、今とあまり変わっていませんよ。

— 歌うこと自分の生業にしようと思ったのは?

 いわゆるミュージシャンとして自覚するようになったのは、けっこう遅くて27歳とか28歳になってから。20代前半の頃は、ライブだけをやって、その辺にぶっ倒れて、人の家で寝泊まりするというような暮らしでした。最後のホームレスが25歳のとき。真面目に音楽をやれって周りの人に言われて、じゃあCDを作ろうと思ってレコーディングして。自主制作で作ったんですけど、それがPヴァインの担当の耳に止まって、流通に乗っけてくれたんです。ほとんど関西でしか活動していなかったんですけど、名前が全国に広がっていった。

— ネコソギはどういう経緯で結成したのですか?

 2019年の「春風」で(DACHAMBOの)EIJIさんにバンドは興味ないの?って言われたんです。実は20歳くらいの頃にはバンドもやっていたんですけど、空中分解してしまって、自分はバンドに合わないって思っていました。しばらくして、高円寺のJIROKICHIから月間で45周年イベントを続けるからそのトップバッターを務めてくれって依頼が来たんです。JIROKICHIは、東京での俺のホームのような場所。Pヴァインからリリースした直後から声をかけてもらっていましたから。思いっきりホームランを打つべって考えて、じゃあバンドでやろうって思ったんですね。その一日だけのスペシャルのバンド。そしてEIJIさんに声をかけてもらっていたことを思い出して。最初にEIJIさんがベースを担当してくれるって決まって、どんなメンバーとやりたい、どんなバンドをやりたいと考えて、浮かんだのがこのメンバーだったんです。

— キーボードがCRO-MAGNONの金子巧、ギターが犬式の三根星太郎、ドラムがdigdaのSKM。みんなローホーより年齢が上。

 逆に年齢が10歳近く離れていることがやりたいなって思った一因かもしれないですね。すごくセンスと技術があるアニキたち。みんなアンダーグランドのライブシーンを作ってくれた人たちじゃないですか。俺が中学の頃には、もうすでに全国でライブを開拓してくれていた人たち。ちょうどJIROKICHIのライブの前日に、DACHANBOが犬式を対バンにしたイベントを横浜でオーガナイズしていたんです。縁と運が重なったバンド、それがNEKOSOGIなんです。

— NEKOSOGIで歌ってみて、どんな感覚があった?

 世界をもろたと思いましたね。日本だけではなく、世界もいろんなところを旅してきた。その感覚として、俺の行った国や街のどのステージでもぶち上げられる。完全にそう思いました。俺は運転手でメンバーはものすごいパワーを秘めたスーパーカー。思いっきりアクセルを踏んで運転したいし、それをやっていいんだっていう実感。すごいものを手に入れたと思いましたよ。やっと自分の理想の音が完成できるって感じられましたから。

— それでも一回きりと思っていた?

 俺はその一回しかないと思ってライブに臨んだんです。終わってから、みんなが一回切りで終わりじゃないよねって言ってくれたんです。このバンドも続けていきたいって。NEKOSOGIっていうバンド名は、そのライブのときには決まってなくて、クラウドファンディングをはじめることになってから決めたくらいでしたから。

— 無人島でフェスをやろうと思ったきっかけは?

 基本的にはオーガナイザーは絶対にやりたくないんです。人の管理をできるタイプじゃない。自分はネコソギでツアーをやろうと思っていたんですね。でもコロナで全部が飛んでしまった。ライブができずに、バンドの時間をダラダラ過ぎていかせるのは絶対に嫌だって思ったんです。ゼロ密で野外だったらライブができるんじゃないか。自分たちでライブをオーガナイズするんだったらフェスしかないと。

— そして無人島に出会った。

 これも縁でした。正確に言えば、キャンプ場を管理している何人かは島で暮らしているんだけど、そこには街がない。電波からも少し離れている。都会には目に見えない強烈な波が空中に敷き詰められているじゃないですか。

— 実際に電磁波などのいろんな波が見えたとしたら、都会人はものすごいところに住んでいると思う。

 いろんなものが空中を飛び交っていて、それが肉体や脳に突き刺さっている。それがちょっとでも少なく、肉体と精神の負担が少なく、裸足で過ごせるような場所。人と人が会いにくい今の時代に音を感じてもらうには、いろんな質が多角的に高くなっていくことがきっといいことなんじゃないかと思って。そのためには都会ではやっぱりダメで、自然の中であり、その中でも島という存在が浮かび上がってきたんです。

— クラウドファンディングにした理由は?

 商品を売る側と買う側っていう関係を前から崩したいと思っていたんです。みんなでお金を集めて、お客さんも一緒にフェスを作る。これは新しいライブの形なんじゃないかなって。誰にも迷惑をかけない。規模も自分たちの範囲で完結できるようにする。自分たちのDIYですよね。それをコロナ禍のタイミングで、アーティストの誰かが自らやる必要があると思ったんです。

— 祭りもフェスも、はじまりはみんなで作るということだったと思う。規模が大きくなっていくにつれて、作り手と受け手という境界がはっきりとしていく。

 何かをはじめるときって密度が高いんでしょうけど、お客さんが増えて大きくなることでその密度が薄くなってしまうのはしょうがないことだと思います。だからより個人に還る。ただひとりでは実現しないから、仲間とともに一から作っていく。そこでは密度の高いものが生まれる。それがまたはじまっていく感じがしています。

— コロナはローホーにどんなことをもたらしたのですか。

 多くの困っている方や、今も頑張っている医療関係の方々には申し訳ないのですけど、ある部分ではありがたかったです。はっきりと鏡の前で叩きつけられた時間。いろんなものが、すべて整理された。頭がスッキリして、今やるべきことは何なのか。次にみんなと何をやりたいのか。全部をはっきりさせてくれたんです。すべての人の健康や安全を祈りながらですけど、俺はこの時代に感謝しています。

— 戻ることはできない。変われなければならないってことを突きつけられたわけだし。

 社会全体がなぜか止まれなかったんですよね。ここから行っちゃいけないっていうことがはじめて目の前に現れて、みんなが止まった。止まったときにみんなが見た景色が意外と近かった。俺らアーティストは、時代の流れとか空気とかを読まずに、自分の偏見でもいいから発信していったほうがいい。そのことによって絶対に誰かの心を救う。

— 無人島でフェスをやるって、無謀というか無茶というか。誰もやらなそうなことだからこそワクワクしています。

 これをひとつのきっかけに、みんながクラウドファンディングという方法をひとつの選択肢として、野外だったりフェスだったりが広がっていけばいいと思っています。一緒に新しい文化を作っていきましょうっていう感じですよ。

舟で行く無人島フェス

開催日:2021年4月17日 (オールナイト)

開催場所:岡山県鹿久居島

出演:ONEDER、B.I.G.JOE&KODAI THE MONK、CHOZEN LEE、元晴、三宅洋平、空中水泳、鎮座DOPENESS、チプルソ、MARTIN-KINOO、ボンクラ街道、ジャパニーズマゲニーズ、NEKOSOGI

NEKOSOGI 舟で行く無人島フェス開催大作戦(クラウドファンディングページ)

12月21日23時59分59秒まで


0コメント

  • 1000 / 1000