【Kads MIIDA】音楽とアートのリンク。人のための絵の創出へ

ジャマイカでの体験によってスピリットが覚醒し、東日本大震災によって自分たちが生きている日本の文化を再認識するようになった。自由であること、自然の一部であることをテーマに描き続けている。

文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi
写真 = 須古 恵 photo = Meg Suko

ー本格的に、自分の絵を描くようになったのはいつ頃だったのですか。

 京都出身なんですけど、美大に入りたくて20歳の頃に東京に出てきたんですね。高校時代はモッズが好きで、ルーツを探ってう行くうちにブラックミュージックにたどり着いた。リズム&ブルースとかを聞いていると、その音楽の元ネタとしてスカとかロックステディとかジャマイカの音楽があることを知って。ジャマイカの音楽や文化から「自分の描きたいのはこれだ」ってなってしまったんですね。クラブやイベント会場で、自分で作ったTシャツを勝手に売ったりしていました。それが80年代中盤から後半にかけてのことです。


ー当時、東京にもレゲエクラブがいくつかありましたね。

 東京ではクラブジャマイカとかピジョンとか。横浜の本牧にはゼマっていうレゲエクラブがあったんです。そのゼマの内装の絵を描いた。ゼマが閉店することになって、サウンドシステムだけが残ってしまったんです。そのサウンドシステムを横浜の他のクラブに持ち込んでパーティーをはじめた。自分はミュージシャンではないから音楽で参加することはできない。絵で参加させてくれって言ってライブペインティングをやらせてもらったんですね。それがおそらく自分のはじめてのライブペインティング。


ージャマイカには行ったことがあったのですか。

 それまではなくて。ぼんやりとジャマイカから受けるイメージを描いてたんだけど、90

年代はじめにジャマイカに実際に行って、バシッと合致したんです。

ーライブペインティングをする際は、テーマを決めて描きはじめることが多いのですか。

 イベントの趣旨に合わせて、そこから派生するキーワードとかを探って描くことが多いですね。描く時間が短いときには下絵を描いて完成までのプロセスをある程度自分で練って挑むし、まっさらな何もない状態ではじめることもあります。自由に何時間でもいいっていう場合は、その場の雰囲気でゆっくり描いたりしますね。


ーどちらが描きやすいですか。

 自分の場合は、ライブペインティングはフリーな意味ではじめたんで、何もなく、そのときに受け取る感覚を頼りに描いていくほうがおもしろいかもしれないですね。60年代にハプニング美術というものが起こって、その流れのなかに今のライブペインティングが位置しているのかなと思っているんです。いかにその場で受け取ったものをパッションとして提出していくか。


ーライブペインティングをしているときに見られているという意識はるのですか。

 やっぱりパフォーマンスとしての要素は考えますよ。伝統的なアートとは分離して、パーティーやクラブなど音楽とリンクすることで絵がより生きてくる。日本の歴史を振り返ると、葛飾北斎も出版本のプロモーションとして大きな絵を寺で描いて、みんなに見せていたという文献も残っているんです。これも立派なライブペインティングですから。


ー江戸時代にもストリートカルチャーがしっかり存在していたのですね。

 江戸時代は雑誌を買うような感覚で絵が売れていたらしいんです。江戸が、世界で最も大衆アートが盛んだったように思います。大衆アートって、いわばストリートアートですよね。ライブペインティングも、スプレーで街に描くのも、Tシャツもフライヤーも、ストリートアートだと思っています。

ーMIIDAさんは、今もライブペインティングを続けている。30年以上にわたってライブペインティングを続けてこられたモチベーションって、どんな要因があると思いますか。

 絵って個人的な作業じゃないですか。描いているときはひとりで誰とも話さない。音楽への憧れがあり、音楽と一緒に何かやりたいっていうシンプルな想いからスタートしているんですね。アナログレコードが人気なのも、ジャケットという存在があることも一因だと思うんです。ジャケットを見ながら音楽を聞く。ジャケットと音楽がリンクしている。その感覚が好きで、ずっと続けているんじゃないかな。ライブという現場で、音楽と絵をリンクさせたいっていうか。


ー今後はどんな絵を描いていきたいと思っていますか。

 東日本大震災のちょっと前に悩んでいた時期があったんです。それまでアートは自己表現だと思っていた。自分を出すものだと。けれどいつでも自分を出せるわけでもなく、ひとつひとつを出すことで逆に自分の内面が枯れていくように感じたんですね。あるとき、スイッチを変えて、人のために描こうと思ったんです。そしたらすごく楽になった。そして震災が起こって、その思いは間違いなかったと実感した。これからはいろんなところで人のために描くぞって。


ー被災地の石巻などでも店のシャッターなどに絵を描いていました。

 呼ばれればどこにでもいくぞっていう感覚です。震災から来年で10年。今年はコロナという状況になって、個人で何かを発信したいと考える人も増えてきている。その人のために絵を描いたり、ロゴを作ったり。人のためにまだまだ頑張りたいと思っています。

取材協力 = ペパカフェフォレスト(東京・吉祥寺)



Kads MIIDA 1980年代後半、東京造形大学在学中にイラストレーターとして活動を開始。92年には2 ヶ月間ジャマイカ体験によって、絵の方向性が明確になった。絵画制作を主体に、絵本の出版など創作活動は多岐に渡る。東日本大震災以降、それまで海外に向くことの多かった目を国内に向け、日本全国を巡り再見聞。各地で出会った人々と共に次世代へ向けてのメッセージを込めた作品制作に邁進している。現在、リズム&ブルースやスカなど多様な音楽をミックスするバンドSoulcrapのメンバーとしても活動中。1月30日に川崎・元住吉のPOWERS2にてライブが予定されている。http://www.kads.net/

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