小笠原の近未来を フェスで描く。【斎藤崇志(Ogasawara Music Festival)】

斎藤崇志(Ogasawara Music Festival)
〈OGASAWARA MUSIC FESTIVAL〉を島発信の文化にすべく、できる限りのアクションとアイデアを注ぎ込んだ。島という特性を生かしたフェスのあり方を探り、自分たちでもより楽しめるフェスを作り上げた。

文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi  

写真 = 林 大輔 photo = Daisuke Hayashi


ー 小笠原にはいつ来たのですか。

斎藤 昨年の12月で6年になりました。


ー 小笠原に来る前はどんなことをしていたのですか。

斎藤 私立の高校で英語を教えていたんです。ある授業で「将来やりたいことをいっぱい書きましょう」っていうアンケートをしたんです。おもしろいそうだなって思って自分でもいろいろ書いていったんですね。50個出そうと思ったんですけど、結局30個くらいしか出てこなくて。ロンドンでDJをしたいとか映画を作りたいとか。そのなかのひとつに無人島に行きたいというのがあったんですよ。担任の生徒が卒業のときに、なんかしんどそうな顔をしているのが多かったんですよね。「漫画家になりたいんだけど、まだ無理なので調理の世界に行きます」とか「外国に行きたいんだけど、英語ができないから」とか。みんなやりたいことを持っているのに、それを抑えこんでしまっている。生徒たちの顔を見ていたら、自分のやりたいことを実現させなきゃと思って仕事を辞めたんです。


ーそれで小笠原に?

斎藤 そして向かったのがヨーロッパでした。あわよくばそのまま住もうかと思っていたんですけど、結局半年くらいヨーロッパを転々として。自然の写真を撮りたいっていうのもリストに入っていたんです。貯金も底をついて日本に帰ってきて。旅しているときに自然なら小笠原がいいよって誰かが言っていたことを思い出して、小笠原のことを調べたら、無人島の仕事があるっていうのを見つけて。「これじゃん」って思って。


ーその無人島の仕事というのは?

斎藤 聟島での外来種の駆除の仕事でした。一週間くらい島にいて、2日くらい父島に戻ってくる。聟島ではテント暮らしです。それを半年くらい続けたかな。聟島では楽しみを自分で作らなければならないから、楽器を少しずつ持ち込んでいって。プロジェクターを持ち込んで映画の上映会もして。最後は打ち上げと称してスピーカーとDJ機材も持ち込んで、みんなが撮った写真をスクリーンに投影して。


ー無人島パーティーですね。

斎藤 そんなこともあって、父島でもパーティーをやらせてもらえるようになったんです。

ーそして「Ogasawara MusicFestival」の実行委員長になったのですね。

斎藤 1回目と2回目はスタッフとして関わっていたんです。その2回ともすごく良かったんですけど、それ以上にもったいないという気持ちが大きくて。3回目は小笠原が日本に復帰して50周年を記念するイベントでもあったので、もったいないという気持ちを味わいたくなかったから、自分でやるんだったらこうやるということをプレゼンしたんです。


ーもったいないというのはどんな点だったのですか。

斎藤 小笠原には、音楽のイベントだけではなく、相撲だったりカヌーだったりサーフィンだったり、独自のイベントがけっこうあるんです。それらに比べて、小笠原らしさっていうところまで行っていないんじゃないかと。


ーそれをどう構築していくのか。今回参加させてもらって、小笠原らしいフェスだと感じていました。

斎藤 みんなが主人公みたいなパーティーが好きなんです。来た人みんなが表現活動をしているような状態が理想なんです。今回、フェスのなかで移動することを浸透させたいって思って3ステージにしました。新聞みたいなものも作って。フェスでどういうふうに遊べばいいのかってひとりひとり考えてもらって、ちょっとずつでもみんなで楽しむ空気を作り出せればなって思って。じゃあサーフボードを持っていこうとか、シャボン玉を持っていこうとか、楽器を持っていこうとか。そういう気持ちがどんどん集まってくればいいなって。


ー実行委員長として達成感はどうでしたか。

斎藤 デコレーションにも気を配ったりして、ちょっとは伝えられたかなって思いますね。テントサイトをもっと充実させれば良かったですね。確実に一歩は前進していると思います。


ーそういえば、小笠原ではテント泊は禁止なのですよね。

斎藤 会場にテントを張ることはかなりグレーですよ。小笠原ではキャンプが禁止ですから。でもそれは昭和のかなり古い時代に決まったルール。聟島でキャンプ生活をしていましたけど、自然のなかでキャンプできる価値っていうのはすごいじゃないですか。小笠原でキャンプができなのはもったいないですから。


ー次はどんなフェスを目指していますか。

斎藤 しょうもない話なんですけど、聟島でターンテーブルを出したのは、僕が人類初だと思うんです。なんかワクワクしますよね。小笠原ではバカげていると思えることでも実現できるんです。内地では恥ずかしくてできねえよっていうことでも、意外とオーケーですから。他の場所では考えられないこと、まだ思いついていないことっていっぱいあるはずなんです。そこに音楽の楽しみ方をプラスさせていければ。船に乗船できるのは最大で800人弱。続けていけば船が満席になることも実現可能です。そしてフェストリップとしての展開を、島全体として考えていければと思っています。

斎藤崇志
「Ogasawara Music Festival」実行委員長。小笠原に移住した当初は聟島の外来種の駆除に従事し、その後観光協会に勤務。プライベートでも数々のパーティーを小笠原でオーガナイズしてきている。小笠原返還50周年記念事業として制作された『Bonin Times』というドキュメント映画にも参加している。2019年の「Ogasawara Music Festival」は有志スタッフの自主開催として10月11日(金)12日(土)に行われる。http://ogafes.com/

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