【KondoIMA21(近藤等則)インタビュー】「今」のリアルな音を放出するためにIMA再始動。

80年代後半から90年代中盤にかけて、世界をフィールドに活躍していた日本のバンドがあった。トランペッターの近藤等則を中心にしたIMAだ。ヨーロッパやアメリカへ何度もツアーに出かけ、数多くのフェスに出演を果たした。そのIMAが21世紀の進行形のバンドとして四半世紀ぶりに活動を再開。2月には東名阪のツアーも行う。なぜ再びIMAなのか。70歳を迎えた今もパッションを放出し続ける近藤等則、数多くのバンドやセッションで活動しているピアニストの富樫春生、新生IMAに唯一新メンバーとして参加しているパーカッショニストのKEKUEIに話を聞いた。


文 =菊地崇 text = Takashi Kikuchi


●20世紀のIMAのミッション。

–––– IMA-BANDの結成はいつだったのですか

冨樫 85年です。

近藤 ドラムの山木(秀夫)、ギターの酒井(泰三)、ベースのRECK、キーボードの富樫(春生)というメンバーです。

–––– このバンドをスタートさせたきっかけはどういうものだったのですか。

富樫 当時、近藤さんは海外と日本を行ったり来たりしていたんですよ。「西洋人とばっかりやるのは俺は飽きてしまった。俺は日本人だけのバンドをやりたいんだよ。日本人のバンドで世界に打って出ようぜ」って言い出して。じゃあやりましょうって集まったメンバーなんです。

–––– 当時はオランダをベースにしていたのですか。

近藤 オランダはもっと後で、当時はニューヨークを拠点にしていて。

–––– IMA-BANDは93年までバンドを続けました。活動はライブがメインだったのですか。

富樫 ライブばかりですよ。レコーディングもおもしろいですけど、ライブが一番でした。近藤さんがその頃よく言っていたのは、レコーディングというものはその瞬間に俺らがやっていることをどう記録に残すかっていうことだと。確かにその通りで。とにかく毎日毎日、どう進化しているのか。もしかしたら退化しているのかもしれないんだけど。

–––– ライブをすることでバンドは常に更新されていくわけですから。

富樫 その瞬間瞬間を盤なりに残すことがレコーディングであると。それがお金を生んだり、人に聞いてもらうっていうことだったりにつながっていくんですけど。

近藤 正直に話すけれど、IMA-BANDをやった9年間は、本当に俺たち5人は兄弟のように付き合った。ヨーロッパに行き、アメリカに行き、毎晩のように同じホテルの泊まって、ライブを続けて。

–––– ずっとバンドとして活動を続ける意志が強いものだったのですね。

近藤 IMAとはInternational Music Activity。俺はニューヨークに住んでいて、日本に帰ってきた。東京でやりたかったことは、フリーインプロビゼーションではなくて、東京のファンキーな連中を集めてバンドを組んで、それで世界に出て行くこと。そんなアイデアから生まれたのがIMA-BAND。それを93年までやり続けた。何万人も集まるようなフェスにも数多く出演した。一番多いときは24日で21回ライブしたこともあったから。

富樫 楽器は自分たちでセッティングして、ライブが終わったら自分たちで車に積んで次の街に向かう。ミュージシャンだけの旅。海外へのツアーは20回をゆうに超えていますから。同じことを今やれって言われたら難しいかもしれないけど。みんな若くて、世界に打って出るんだっていう強い気持ちがあったので。

近藤 20世紀のIMA-BANDは、フリージャズ的要素、ロック的要素、ポップ的要素、現代音楽的要素、テクノ的要素…それらを日本人なりに集めて構築していく。日本の伝統的な音楽の要素も入っていく。みんなで工夫していた。それは20世紀までの音楽のまとめだったわけ。それを全部まとめることで21世紀の音楽のイメージが生まれるかと考えていたら、実はそうではないと俺は思ったわけ。20世紀の終わりにすでにIMA-BANDのビートのかっこよさは、白人も黒人も超えていた。これを今の日本人にも再認識してほしい。結局日本人は、ジャズやロックといって、ビートに対するコンプレックスがあるわけじゃないですか。そんなことはなくて、超越できるし、はじめから超越しているかもしれない。冨樫のキーボードはユーモアがあるし。

–––– それだけツアーできるということは、ヨーロッパでもアメリカでも認められた存在であったということですね。

近藤 やりたいことの半分もできなかったね。けれどIMA-BAND海外に行ったエビデンスは実際に残っているわけ。白人のなかにいても黒人のなかにいても、いつも我々はファンキーで、冗談ばかり言い合っていたけどベストの演奏をしていた。数えきれないほどのライブをしているけれど、失敗と思えるものはひとつもなかったから。

富樫 ライブでは失敗も成功のうちですから。

近藤 IMA-BANDの特徴は5人の個性がまるっきり違っていたこと。俺は大学までの学校のなかで中学のクラスが一番好き。50人くらいの同級生がいろんなタイプの人間がいてグチャグチャだったから。高校は進学校だったから受験がみんなの根本にあって、大学に行ったらもっと同じような人間ばかりになった。中学校のクラスのような、なんでもありのファンキーなバンドを作りたいなって思って。5人のキャラクターがまったく違っていて、その違いがおもしろいテイストを生み出していたんだと思う。

●25年ぶりの再始動の意義。

–––– バンド解散から25年が経って、なぜ再びIMA-BANDをやろうと思われたのですか。

近藤 去年の2月のはじめに、いつも俺がやっている「地球を吹く」を富士山でやったんですよ。そこに集まってくれたファンのなかのひとりが、突然にIMA-BANDの復活を言い出した。そのときは「へえ?」と思っただけだったんだけど、1ヶ月半くらいひとりで考えたの。そこで出てきたのが、IMA-BANDは20世紀後半の世界で一番かっこいいサウンドスタイルを作りたいと思って結成して、ある程度成果を残せた。今再びやれって言われているのは、20世紀の焼き直しではなくて21世紀の世界で一番かっこいいバンドのひとつになることなんじゃないか。そう思えた瞬間に「うわあ、これは楽しい」と思って、それで冨樫に連絡し他のメンバーにも連絡して。4月の下旬に自分のスタジオにみんなが集まってくれた。そして俺の気持ちを話した。結果としてRECKは「今はできないわ」って言ってくれた。

–––– 富樫さんはその構想を聞かれて、どう思われましたか?

富樫 一回断ったんだけど、なぜか新曲が頭に浮かんじゃって(笑)。

–––– メロディが頭のなかで鳴っていたわけですね。

富樫 寝ても起きてもそのメロディがずっと鳴っていて。俺はいろんなメロディが鳴るんですけど、鳴ったときにこのメロディはどのバンドのものだって、全部自分ではっきりわかるんです。これは近藤さんがトランペットを吹く曲だなって思って。やばいな、俺はやらないって言ったのになんでこのメロディがずっと鳴っているのか。これは神からの啓示じゃないかって思って。そんなに神様の存在を信じているわけじゃなく、神ってある部分では自分のことだと思っているんですけど。こんなにしつこくずっと鳴っているのは、まずは近藤さんに送らないとと。そこから先は近藤さん決めてもらおうと思ったんです。

近藤 呪いをかけたんだよ(笑)。

富樫 近藤さんが90歳になっても吹けるようなメロディ(笑)。20年吹けるようなメロディですよ。

–––– それでIMA-BANDに再び参加することになった?

富樫 決めたというか、そこから先は流れですよね。川の水が上流から下流にしか流れないように。

近藤 RECKがいない。そこでひらめいたのがリズムを変えればいいんだということ。25年前のIMA-BANDは、山木のドラムが背骨のようにビートを叩いて、RECKのベースと酒井のギターが核になり、その上に富樫のキーボードが乗るっていうスタイルが多かった。RECKと酒井のリフを効かせる新しい曲ができなくなったわけだから、KAKUEIのエレクトリック・パーカッションと山木のビートを絡ませたら、マルチなビートスペースになってよくなるかなって思った。そういう構成を考えたのが5月になってからだったかな。

–––– 21世紀の新メンバーであるKAKUEIさんと近藤さんが一緒にやるようになったのは、どういうきっかけがあったのですか。

KAKUEI 一昨年の冬にホテルで演奏するイベントのオファーがあって、絶対におもしろいことをやりたいなっていう思いがあったんです。ちょうどその頃に近藤さんの古い映像を見て圧倒されてしまっていて。たまたま知り合いが近藤さんとつなげられるっていうんで、紹介してもらって、スタジオに遊びに行って一緒にやってもらえないかとお願いしたんです。ホテルのイベントでは井上薫さんと近藤さんと僕の3人で演奏しました。そのユニットは1回で終わってしまったんですけど、僕は近藤さんのスタジオにガンガン遊びに行くようになって。あるとき、近藤さんから全部電子でやろうぜっていう言葉をもらって、押し入れのなかで放置状態だったエフェクターなどを全部出してきた。電子音楽に憧れはあったんだけど、パーカッショニストとしてなかなか手をつけられなかった。そして流れのなかで、Flying Earthというユニットをふたりでやろうという話をもらったんです。そのうちにIMA-BANDが復活するという話になり、リスナーとして早く聞きたいと思っていたんですね。RECKさんが不参加になったこともあって声をかけていただいて。ぜひやらせてください、と返事をさせてもらったんです。

–––– エレクトリックと生とはまったく違うものなのですね。

KAKUEI それはまったく。180度違うって言ってもいいくらい。だからOAUとか他のバンドとはまったく違うから、やっていておもしろいですよ。

近藤 年をとった俺から偉そうなことを言わせてもらうと、こうやって集まってくれることがうれしい。例えば10人の個性的なミュージシャンや表現者が集まったら、それだけでおもしろいことができる。今は外国からもいっぱい入ってきているから一緒にやればいいんだよ。IMA-BAND、Free Electro、Flying Earthという3つのバンドを形成しているけれど、全部がメルトダウンしてもいいわけ。なんのためかっていったら、サムシンググレイトを作らなければいけないから。それだけの話なんだ。

●21世紀の音を放出するために。

–––– 2月にKONDO IMA21として初のライブツアーが行われます。もうリハーサルはスタートさせているのですか。

近藤 リハなんてほとんどしないよ。

富樫 100回リハーサルするよりも1回ライブするほうがより高みに行けるから。

–––– ライブをしているときはどんな状態になっているのですか。無心になっている?

近藤 無心なんてことはなくて、あいつのギターの音がしっかりしていないなとかベースが鳴っていないなとか、バンドの気配を感じながらいつも演奏している。一緒に音を作っているんだから。9年IMA-BANDを続けて、ヨーロッパやアメリカでもライブをやって、4人が出してくるバイブスが本当に大好きだったんだ。俺は黒人とも白人ともいっぱいやってきたからね。バイブスの感覚はいろんな人から吸収してきているんだけど、IMA-BANDのバイブスはぴったり俺にハマっちゃったんよ。

–––– そういう音のマジックみたいなものがあるからこそ、バンドは真のバンドになるんでしょうね。

近藤 まさにその通りで「バンド・イズ・ファッキン・マジック」なんだよ。マジックが起こらなければ、バンドをやっていてもおもしろくないわけだし、マジックがあるからこそ次に向かいたくなる。

–––– 次のライブも、近藤さんがマジックを引っ張ってきそうですね。

近藤 メンバーたちが俺にマジックを投げかけてくれて、俺も楽しませてもらっている。それはある意味で究極の贅沢(笑)。

富樫 おまかせください(笑)。

近藤 はっきり言いたいのは、KONDO IMA21では世界中にロックでもジャズでもない、新しいバンドサウンドを俺は提示したかったわけ。

–––– そのスタンスは80年代のIMA-BANDもKONDO IMA21同じですよね。

近藤 かつては20世紀の音楽をまとめるエビデンスとしてIMA-BANDを作った。25年を経て、次は21世紀のバンドサウンドを作ろうと、その意志を持って集まったんだと思っている。前は20世紀のバンドサウンド、今回は21世紀のバンドサウンド。我々日本人が作るバンドサウンドこそフューチャー感がある。いろんな音楽、メロディ、ハーモニー、リズム、音色を超えて、そこまで自由にやっているのかということを表現したいよね。世界の誰が聞いても最高のニュースタイルだと俺は思っている。それが5人で集まってもう1回できたってことは、本当にバンドが持つマジックだと思う。その音をちゃんと聞いて欲しい。

–––– 近藤さんにとって21世紀はどういう時代になっていますか。

近藤 20世紀は人類の歴史がはじまって以来の大都市文明が世界で開かれて、ニューヨークやロンドンとかの大都市から音楽のイマジネーションが作られたわけだよね。21世紀はそれが終わっている。自然、人間の魂、テクノロジー。その三位一体から次の音楽の想像力が生まれてくるんだと俺は思っている。20世紀で忘れてしまった自然というキーワード。これは21世紀には絶対に必要。その次に行けるとしたら宇宙なんだよ。だから21世紀の音楽はスペースミュージック。我々はこれから宇宙の音楽を作っていく。ロックでもジャズでもなく、スペースミュージック。地球っていうのは我々のお母さんじゃないですか。マザーアース。お母さんの懐から石油や石炭やウランなどの、いわば小遣いをいっぱい掘りまくって。人類が地球に対して、何かお返ししているのか? 

–––– お返しはまったくしていないですね。

近藤 男だったら、20歳を過ぎたら「母ちゃん今までありがとう」って言ってお礼をするだろ。それをするのが当たり前だろ。今の今まで、地球というお母さんに人類は小遣いをねだっているだけで、何もお返ししていない。原子爆弾を落としたり放射能で汚染したり、お母さんの肌を火傷させている。こんなことありえないんだよ。じゃあ音楽はどうあるべきかっていうことを俺たちは考えなきゃいけないんだよね。地球っていうお母さんに対して音楽は何ができるのか。音楽を作っているやつらの役割は、お母さんに対してきれいな服を着させてあげることなんだよ。音楽はお母さんに対して恩返しができる可能性があるわけ。

–––– それが近藤さんが続けていらっしゃる地球を吹くに繋がっている?

近藤 俺がIMA-BANDの後にスタートさせたのが地球を吹くというプロジェクト。自然に包まれたなかで、人間というお客さんの前ではなく、地球と一緒に吹いている。

富樫 当たり前のことばかりやっていても音楽はおもしろくならないじゃないですか。音楽で人を騙してあげる。騙すっていうのは表現が悪いかもしれないけど、音楽によって未知の世界に導く。それって大事なことだなって思います。

–––– 音楽って形があるものじゃないですからね。イメージを膨らませてくれるもの。

富樫 音楽は何も目に見える形はない。形はないけれど、実際にはあるものですから。

近藤 人の魂を奪うのが音楽の役割だから。音、あるいは音楽って素晴らしいものなんだ。


近藤IMA21 復活ライブ 〜魂を宇宙に飛ばせ〜

2月18日(月)

東京 LIQUIDROOM

2月19日(火)

大阪 umeda TRAD

2月20日(水)

京都 UrBANGUILD

2月21日(木)

名古屋 ell FITS ALL

Band member:

Toshinori Kondo 近藤等則 (トランペット)

HAL Oh Togashi 富樫春生 (シンセサイザー)

Taizo Sakai 酒井泰三 (ギター)

HIDEO Yamaki 山木秀夫 (ドラム)

Kakuei (エレクトリック・パーカッション)

※Kakueiは東京・京都・大阪公演のみ


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