ロックンロールを奏でるファミリーバンド、キティ・デイジー&ルイス。末っ子であるキティ・リヴがソウルフルでファンキーなファースト・ソロアルバムをリリースしたのが24年夏。その直後にフジロックのステージに立った。そして年が明けた1月に初の日本ツアーが待っている。時間をかけて制作したというそのアルバムや家族からの影響などを聞いた。
photo = Dean Chalkley
text = Sakana Sorano
–––– 最初に手にした楽器は何でしたか?
6歳のとき、父にドラムセットが欲しいと頼んだら、屋根裏から古いドラムを持ってきてくれました。とても古いものだったけれど音はすごくよかったんです。ちょうどその頃、ハーモニカも始めました。
–––– 当時のことを何か覚えていますか?
ドラムスティックを使うのがあまり好きではなかったので、代わりにブラシでスネアをスティックみたいに強く叩いたときに出た音が好きだったのを覚えています。初めてライブをしたとき、私はドラムを叩きながら歌うことができなかったんです。なので姉のデイジーが同じようにドラムを叩き始めたんだけど、そこから彼女は独自のスタイルを作り出したんです。私は歌うだけで何も演奏したくなかったので、父からハーモニカを渡されました。父は私が「Mean Son of a Gun」のハーモニカ・ソロを初めて演奏したとき、観客がサッカーの試合でゴールが決まったようなリアクションをしたのを思い出すと言っていました。
–––– 小さい頃から家には音楽があふれていたと思います。家族からどんな影響を受けましたか?
私の最大の影響は家族だと思っています。成長する過程で、一緒に音楽を演奏する家族がいたことをとても幸運に思っています。音楽は私たちにとって大好きなことだったし、自分たちを楽しませる最高の方法でした。何時間もジャムをするのが大好きだったし、一緒にR&Bやロックンロールを演奏するのは信じられないほど楽しかった。それは今でも変わりません。
–––– 初めて作曲したのは何歳の時ですか?また、それはキティ・デイジー&ルイス(KDL)のためでしたか?
初めてちゃんとした曲を作ったのは、12歳くらいのときの「(Baby) Hold Me Tight」でした。2008年にクリスマス・シングルとしてリリースしたこの曲は、私たちの伝説のトランペッター、エディ'タン・タン'ソーントンを初めてフィーチャーした曲でした。
–––– KDLのキティ、ソロ・アーティストとしてのキティ・リヴ。どんな違いがあると思いますか?
KDLとして演奏することは常にホームのように感じられるし、私たちはそれぞれ交代でスポットライトを浴びるような形態です。ソロ・デビュー・アルバムは、よりパーソナルなものになりました。このアルバムは、私が影響を受けたものや私のソングライティングの、よりソウルフルな面を表していると思います。私はソロ活動を始めたばかりなので、ある意味、一人でフロントマンを務めることにまだ慣れていないんです。今のところ反応は素晴らしいし、ライヴを重ねるごとに、脚光を浴びることに少しずつ自信を持てるようになってきたと思います。まだ慣れてはいないですが。
–––– ファースト・アルバム『Easy Tiger』が24年7月に日本で発売されました。ソロ・アーティストとしてアルバム制作を始めた経緯を教えてください。
デイジーが2人目の子供を産んだとき、私たちはツアーからしばらく離れていました。ルイスと私は、スタジオで他のバンドのプロデュースやレコーディングをすることが多かったです。私は幾つか曲を書いてデモを作っていたのですが、今まで公にしてきたものとは全く違うものだったので、誰にも見せるつもりはなかったんだです。それをある夜ルイスに聞かせたら、ソロアルバムを作ることを勧めてくれたんです。その経緯もあって一緒にレコードを制作することになりました。
–––– ソロアルバムを作るにあたって、どんなアルバムにしたいかというコンセプトはありましたか?
このアルバムはとてもパーソナルなもので、当時抱えていた不幸な恋愛について書かれたものでした。でも、ライブで演奏するようになってから、曲が新たな意味を持つようになり、今はもっと幸せな生活を送っているので、演奏することをとても楽しんでいます。レコーディングでは、バンドのエネルギーを表現したかったので、すべてのパートを自分で演奏したくありませんでした。ですから、ドラムと鍵盤を弾いてくれるふたりの友人、ベースをルイスに頼みました。最初のテイクは4人で一緒に部屋で生演奏して、残りのパートをオーバーダビングしてベース・ラインをいくつか書き直しました。この方法でレコーディングしたことで、より楽しく、曲と音楽に本当に合ったエネルギーが生まれたと思います。
–––– その『イージー・タイガー』の制作には5年ほどかかったと聞きました。それだけ時間をかけたということは、ソロ制作にかなりの情熱を注いでいたということでしょうか?
はい、確実に情熱を注いでいました。このアルバムは私のまた違った一面を表現していて、私の見せたことも聴かせたこともない部分なので、急ぎたくありませんでした。私はKDLで演奏をするかたわら、他のプロジェクトにも取り組んでいたので、『イージー・タイガー』はコンスタントに制作するのではなく、5年間、オン・オフを繰り返しながら制作しました。作業したくなったらまた戻って来て、部分的に録音し直したり、私があちこち書き直したりしていました。
–––– KDLとして何度も来日しています。そして昨年のフジロックではソロとしてステージに立ちました。バンドとソロではステージから見える景色は違いますか?
昨年のフジロックでの演奏は最高でした。KDLと一緒にフジロックで演奏したときの素晴らしい思い出も蘇りましたが、ソロで演奏するのとはまた違った気分でした。観客が私たちにたくさんの愛を注いでくれたことがとても嬉しいし、私にとって魔法のような瞬間でした。
–––– あなたにとってライブとは?
ライブで演奏することは、ステージであろうと家であろうと、私にとって音楽で最も重要です。レコードを作るのも楽しいけれど、バンドがロックしていて、みんなが一緒に歌っているときほど、私にとって素晴らしい感覚はありません。KDLだけでなく、私のソロプロジェクトでも、兄がベースで、夫がドラムで一緒に演奏してくれているので、それを経験できるのは幸運なことです。ステージに出て、大好きな人たちと一緒に演奏するのは最高の気分だし、最高の時間を過ごすことができると思っています!
–––– あなたにとって音楽とは?
音楽は私の人生のすべてです。他のことをしているのは考えられません。曲を書くのが大好きだし、いつも新しいことを学んでいます。
–––– 日本のファンにメッセージをお願いします。
日本は私の大好きな演奏場所です。ソロアーティストとして初めてのクラブ・ライヴができることをとても楽しみにしています。エネルギーに満ち溢れ、みなさんのために私の曲を演奏することでまた夢が叶います。来て、踊って、歌って、楽しんでください、それがいい音楽というものです!
ロンドン生まれの3兄弟によるロックンロール・バンド、キティ・デイジー&ルイス。共同フロントマンとして世界中をツアーで周ってきたキティ・リヴ。バンド活動休止中にソロ作品の制作をスタートして、2024年夏に初のソロアルバムをリリース。同年のフジロックへの出演も果たした。このソロプロジェクトでは初の来日ツアーが2025年1月に予定されている。
開催日:2025年1月30 日(木)
会場:SHIBUYA CLUB QUATTRO(東京・渋谷)
開催日:2025年1月31 日(金)
会場:Shangri-La(大阪・梅田)
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