大鹿村第二世代が受け取ったもの。【TAKERU/田村 至】

都市を離れて自然の懐へ。そんな80年代の流れのなかで、理想郷として羨望の的となっていたのが長野県の大鹿村だった。マツリ・カルチャーの源流のひとつがここと言っても過言ではない。その大鹿村で育った第二世代のふたり。親世代から受け取ったものを自分たちの世代にどう調和させていくのか。

文・写真 = 菊地崇 text・photo = Takashi Kikuchi


ー ふたりは長野県大鹿村で小さな頃を過ごしました。ふたりの親世代が、都市の経済圏からの脱出と自由を求めて大鹿村に移住したのが80年代でしたよね。

イタル 大鹿にいたのは小学2年生から中学まで。そして高校を卒業してすぐに旅に出ちゃった。タケルとは10歳くらい違うんですよね。今は10歳の違いをそれほど感じていないけど、18歳と8歳じゃずいぶん違うよね。大鹿のうちらの親世代は、人間関係がすごい近いっていうか。家には親の友達が連れてきた知らない人がいつもいるみたいな。

タケル いつ来て、いつ帰るのかもわからない旅人たち。小さかった自分たちにとっては、遊び相手がいるくらいの感覚で。

イタル 畑もやっていたから、泊まった旅人は畑を手伝っていく。そんなルールみたいなものは決まっていたのかもしれないけどね。


ー 最初のマツリの記憶は?

イタル うちの家は、マツリによく行ってたんですよ。88年の〈ハチハチ〉も覚えているし、その前の年に開催された〈隠魂(おに)祭り〉も覚えている。〈隠魂祭り〉は、〈いのちの祭り〉のヒッピー側というか、山側というか、そういう人たちのなかではいいマツリとして残っているみたいで。近い仲間が集まって、みんなの持ち寄りで純粋な感じで成立したマツリだったらしい。そして翌年にそれを広げる形で〈ハチハチ〉が行われた。〈ハチハチ〉は、子どもの目線から言うと、酔っ払いがいっぱいいたという感じ。酔っ払って喧嘩とかもあったし。

タケル そんな時代だったんだよね。喧嘩することもコミュニケーションだった時代。喧嘩しても翌朝には何もなかったかのように笑って付き合っている。そんなシーンは俺らの世代にはないから。俺のはじめてのマツリが〈ハチハチ〉になるんだろうな。そのときは1歳で、テントでずっと寝ていたって。それ以降の濃い記憶で言えば、イタルがインドから帰ってきて阿蘇で開催した〈旅人の祭り〉の1回目。あまり出かけない家だったんだけど、イタルがやるんだったら阿蘇まで行こうぜっていうことになって。

イタル 99年だから、もう25年前か。

タケル はじめてライブしたのが2000年の鹿島槍での〈いのちの祭り〉。大人たちが小学生だった俺たちの時間をセッティングしてくれていたっていうことがすごいことではあるんだけどね。あそこでライブをやっていなかったら、たぶん俺は音楽をやっていないし、あそこでいろんな人に出会っていなければ、今の自分はないと思っているね。


ー イタルさんは、なぜマツリを開催しようと思ったのですか。

イタル 18歳から旅をして、全国のいたるところに友だちができたんですよね。海外にも友だちができた。会いに行ったとしても、ひとりずつしか会えないじゃないですか。だったら友だちを一カ所に呼べば、一気にみんなに会えるっていうことを思って。開催することを決めた後は、みんなに手紙で連絡して。旅している間は、住所録見たいなものを大切に持っていて、出会って仲良くなった人に住所や連絡先を書いてもらっていたから。みんなに会いたいっていう純粋な気持ち。〈旅人の祭り〉はそんな気持ちではじまったんだけど、どのマツリにもそれと同じような純粋なものがあるんじゃないかな。


ー 会場を阿蘇にしたのは?

イタル 旅の間に「99年9月9日、まだ誰もやろうとしていなけど、どうする?」っていう話になって。話の流れで「99だから九州でやろう」っ言ったんです。それが言い出しっぺとなって、九州でやることになって。〈ハチハチ〉は八ヶ岳だったから、〈キュウキュウ〉は九重でっていう話もあったけど、結局は阿蘇に収まって。九州は〈虹の岬まつり〉に行って、そこでマツリの楽しみ方を覚えたところだったんです。主催のDADA CHILDのロクロウさんは〈ハチハチ〉にも出演していたこともあって仲良くなってもいたし。


ー 2024年の今回の〈いのちの祭り〉では、イタルさんが共同代表、タケルさんがステージ制作を担っています。

イタル 声をかけてもらって、中心メンバーのミーティングにはじめて参加した際に「何をやるんですか?これがやりたいっていうことがあって開催するのですか?それとも2024年が12年に1度のサイクルだから開催するのですか?」って聞いたんです。そしたら「12年に1度と決めているわけじゃない」と。けれど、今年やらなかったら次はないのかなとも思って。みんなでひとつのマツリを作り上げる。〈ハチハチ〉はそうやって行われたけれど、実はいろんな問題や分断があったと聞いています。2000年も2012年も。親世代が方向性の違いによって分裂したんだけどね。今回はリセットという部分も確かにあるなって思っていて。

タケル 確かに受け継ぐときではあるんだよね。前のことを丸ごと受け継ぎたいわけではないけれど、大事なこともいっぱい含まれているから。正直、俺は12年に1度なんてどうでもいいと思っているけれど、〈ハチハチ〉世代の人にとっては、今回が最後だと思って参加する人も少なくないだろうし。いいタイミングなんだと思う。

イタル 新しいものとつながってきたもののバランスをいかにとるか。それが親世代とも話せる俺たち世代の役目なんだと思う。


ー 今年の〈いのちの祭り〉が、どんな場に、どんな時間になればいいと思っていますか。

イタル 今回の〈いのちの祭り〉も、純粋に友達に会いたいっていうのは一番なのかなって思っています。イベントとしてのクオリティを高くすることや何らかの波を起こすことよりも、古い友だちとしっかりと話ができる場所を用意していくことが一番大事なのかなっていう。SNSを通して近況を知っているつもりにはなっているけれど、実際に何年ぶり、何十年ぶりに顔を合わせて、言葉にならないニュアンスみたいなものを交換することがすごい必要じゃないかって。価値観を共有する仲間たちと会う機会ってどんどん少なくなってきているから。

タケル 今という時代に開催されるっていうことも、とても大事なことだと思うんですよ。例えば〈いのちの祭り〉の当初からの大きなテーマとして「ノーニュークス」がある。2011年には福島で原発事故があって、「ノーニュークス」を超えたところに今はいなければならないと思っているんだよね。そんなの当たり前じゃんっていう。「ノー」ではなく、共有できる希望。88年とも、2000年とも、2012年とも、参加する人のテンションは違う。子どもたちの未来に何を残せるか。それって、今もみんなが統一できる心だと思う。だからその心を持ってユナイトしていけたらいいんじゃないかなって。

ー 〈いのちの祭り〉が掲げていた「ノーニュークス・ワンラブ」というメッセージをバージョンアップさせていくということ?

イタル 大鹿に来た親世代は、安心して生きていける場所を作ることが最終目標だったと思うんです。今では田舎暮らしがポピュラーになってきている。〈いのちの祭り〉には、いろんなところで、いろんな体験をしている人たちが集まってくると思う。

タケル それぞれの暮らしを持ち寄って欲しいよね。それぞれの暮らしのなかの大事なものをみんなが持ってくる。そんな人たちが数多く参加してくれたら、OKなんじゃないかなって思っていて。頼れる仲間たちが来たら、何の問題もねえやみたいな気持ちに当然なれるしね。

イタル いろんな生き方があるんだっていうことがわかればいいのかなっていう。選択肢が多ければ多いほど、その人の幅も広がると思うし。〈いのちの祭り〉では「ワンラブ」、あるいは「いのち」というコンセプトのもとに、いろんな考えの人がひとつの場所に集まってくるわけだから。そこには知らない世界もいっぱいあると思うし。


ー バトンタッチされている感覚はあります?

タケル 次の世代に任せてみようっていう雰囲気は伝わってくるし、〈ハチハチ〉世代の人だけではなく、多くの人と話せているという感じはしています。

イタル 決定権がこちらにあるからこそ、先輩たちの気持ちも踏みにじらないようにしないと。


ー 12年に1回ということが、やっぱり大きいのかもしれないですね。

イタル 12年前に、次の年も開催しようと誰かが声を上げたとしても実現しなかったと思う。その意味では12年っていう時間は、やっぱり大きいですよね。

タケル 今回は今回として、本当にいい場所を作って、いいマツリにしちゃえばいいんだってシンプルに思っているから。きっと開催が近づいてくれば、自然とうねりが起こってくる。参加したみんなから終わった後に「楽しかったね」って言ってもらえれば、それでいいと思う。

イタル この社会って、実はひとつのなかでしか生きていけないんじゃないかって思う。もうひとつの生き方と言っても大きな屋根の下での違う何かなんだと。

タケル 〈いのちの祭り〉に参加することで、何かのきっかけになれば。

イタル これから生きていくうえで、プラスっていう言い方は合ってないかもしれないけど、すごい蓄えになる人たちと出会える場所になるんじゃないかな。いろんな人と会うことで、幅が広がっていくことは確かだと思う。そういう意味では可能性があるイベントなのかなって思っているし。体験や出会いが財産だとすれば、〈いのちの祭り〉は財産を蓄えるのに適した場所になるだろうし、それをみんなが減らない財産として日常に持ち帰ってもらえたらいいなと思っています。

タケル とにかく、いい村になるといいよね。



田村 至
高校卒業後に5年に及ぶ国内外の旅へ。各地で出会った人との再会を目的に1999年に阿蘇で〈旅人の祭り〉を開始。〈旅人の祭り〉は現在も長野県のキャンプ場などで継続的に開催されている。2000年に佐久に移住。現在はアースデイ in 佐久の実行委員長も務めている。〈いのちの祭り2024〉では共同代表。ベンガルの民族音楽バウルの奏者でもある。https://www.facebook.com/itaru.tamura
TAKERU
音旅人。自給自足のなかで育ち、12歳から曲作りをはじめる。 10代後半から都会で暮らしたものの、東日本大震災をきっかけに育った大鹿村に戻った。音楽と共に旅し、畑を耕し、薪で火を焚き、無農薬野菜も売る。レゲエバンドのANBASSAのフロントマンとしても活動中。自身も大鹿村で〈ここから祭り〉をオーガナイズしている。https://www.facebook.com/takeru.anbassa

いのちの祭り2024

「ノーニュークス・ワンラブ」を掲げ、1988年に開催された「いのちの祭り」。12年に1度という他には類を見ないスケジュールで開催が継続されている。カウンターカルチャーをベースに、音楽やアートを通じて、いのちの大切さをあらためて確認する祝祭。

開催日:8月29日(木)~9月1日(日)

会場:鹿島槍スキー場(長野県大町市)

出演:喜納昌吉、HIROKI OKANO、China Cats Trips Band、熊谷門、 犬式、MATSUMOTO ZOKU BAND、RaBiRaBi、児玉奈央、やじぃ&かむあそうトライブス、イマジン盆踊り部、スパンコールズ、ほか

※チケットはソールドアウト。当日の販売はなし。

麦ワラブラザーズ

8月29日(木)13:30〜@信州旅人ステージ

ANBASSA

8月30日(金)18:30〜@太陽と土の広場


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