88年の〈いのちの祭り〉を記録した『NO NUKES ONE LOVE いのちの祭り’88』の版元でもあったプラサード書店。ヒッピーからカウンター、そして〈いのちの祭り〉へとつながっていく時代の熱情を、次世代に残すために。
文・写真 = 菊地崇 text・photo = Takashi Kikuchi
ー 渡辺眸さんの50年に及ぶ写真を収録した『遊行め』が発行されました。
きこり 10年近く前に、ポン(山田塊也)の『アイアムヒッピー』を復刊させた枡田屋昭子と一緒になって、60年代後半に青春時代を過ごした先輩方の話をじっくり聞く会をはじめたんです。先輩方はどんな青春時代を過ごしたのか。そしてそれがどう今につながっているのか。その会の副題は「カウンターカルチャー・アーカイブ」。16人で18回やったんです。
ー そのなかに渡辺眸さんもいらっしゃった。
きこり (渡辺)眸さん、諏訪之瀬島の詩人のナーガ(長沢哲夫)、『名前のない新聞」のアパッチ(浜田光)、〈中津川フォークジャンボリー〉にも出演し〈いのちの祭り〉でも中心メンバーだったナミ(南正人)さん…。十数人が60年代に、どれだけどんなことをしたのか、本にできたらいいなって思うようになったんですね。自分でできることは何かないかなって思ったときに、誰かひとりの本だったら作れるかもしれない。眸さんは、東大全共闘の安田講堂を内部から撮った唯一の人であるばかりではなく、部族の連中との出会いがあって、諏訪之瀬島でも88年の〈いのちの祭り〉でも写真を撮っている。僕らが知っているシーンをたくさん撮っているのに、それが一冊の本になっていないんです。じゃあ、それを作ってみたいって思って。
ー きこりさんがヒッピーカルチャーに興味を抱いたきっかけを教えてもらえませんか。
きこり ヒッピー、フラワーチルドレンっていうのが高校時代。新聞とか雑誌を通じてでした。70年に高校を卒業して、東京に出てきて予備校に通いはじめたんです。安保の年だったんで、多くのデモにも参加してたんです。「ハレンチ学園全狂頭」とか。だけど安保が徐々にしぼんでいくなかで、どうしようかと思っていた頃に「砂川反戦塹壕」っていうのがあるっていうのを知って。今の立川基地ですね。基地に反対する人たちが塹壕を掘って、そこに立てこもっていた。そこでオマツリが開催されるということを聞いて、参加したんです。簡単なアンプでのロックバンドの演奏があったり、パフォーマンスがあったり。開放空間を共有するイベントであり、そんなイベントははじめての体験でした。その後「75キャラバン」をやって。新月と満月のときに集まる場所を決めて、沖縄から北海道まで旅していく。そしてプラサード書店という本屋になって。
ー きこりさんは〈ハチハチいのちの祭り〉にも関わっていらっしゃいます。
きこり 実は88年の〈いのちの祭り〉開催を言い出したひとりなんですよ。
ー その流れを教えていただけませんか。
きこり 80年代前半から、何度か大鹿村を訪ねていたんですね。86年に(内田)ボブが旅から帰ってきて大鹿村に移住した。その日がチェルノブイリ原発事故の日だったんですね。そしてその翌年の夏に、大鹿村に近い標高1800メートルくらいのしらびそ高原で〈隠魂(おに)祭り〉が開催されました。アイヌの山道康子さんや、アメリカ・インディアンの酋長のような方も参加したマツリ。100人か200人くらいだったんじゃないかな。そこにはおおえ(まさのり)さんもいた。夏でもかなり寒かったから、「もう少し過ごしやすいところでオマツリを開きましょう」と提案して。当時「ほびっと村学校」をやっていて、おおえさんはそこでクラスを持っていました。かわら版を自分たちで作っていて、僕は9月に〈隠魂祭り〉の報告みたいなことを書いて、翌月にはおおえさんは新たなオマツリへの準備をはじめるっていう宣言を出したんです。
ー それが〈ハチハチいのちの祭り〉につながっていったのですね。
きこり 喜納昌吉が80年8月8日に夢の島でイベントを開いたのね。そのときに喜納さんは「次は88年8月8日に」と呼びかけたんです。そのことが僕のイメージに残っていて、88年のオマツリなら8月8日にしようって。正式な第1回目の実行委員会が87年の年末に八ヶ岳で行われたんです。そして88年の春に東京チームが加わり、1万人近くの人を巻き込んでいくイベントになっていったんですね。
ー きこりさんにとってのマツリの魅力とはどういうものなのですか。
きこり マツリって、いろんな人たちの問題が、そこでゴチャゴチャになりながら、ひとつのエネルギーになっていく場所だったわけですよね。寝起きを共にして、ある種の村を作っていく。村を包み込むようなバイブレーションが生まれて、それがすごく直感的に伝わっていく。自分たちの選んできたライフスタイルが広がっていくっていうことを展開できる見本市みたいな感じがするんです。これって大事だって、〈ハチハチ〉でつくづく思って。それで〈ハチハチ〉が終わったときに、この体験を残すためにも本にしなきゃいけないって、自分の出版魂みたいなものが起こって。
ー それから36年。今年はどんな〈いのちの祭り〉になると思っていますか。
きこり 本当にいろんな世代が交わって、それぞれがそれぞれの場でやってきたことを新たに一緒に展開していく場になりそうですよ。60年代の活動家のジェリー・ルービンが「30代以上を信じるな」って言ったけど、僕らはその倍以上を生きている。今は世代なんて関係なしにやっていける時代になっているんじゃないかな。
渡辺眸『遊行め』
60年代の新宿、全共闘、70年代のインド~ネパール、そして諏訪之瀬島や宮崎のコミューン。様々な媒体で発表された作品や未発表の写真など、渡辺眸さんの視線を集約させた写真集。日本のカウンター・カルチャーの確かな記録としても重要な一冊。写真構成を完成させるためのサンプルが何度も制作されたという。プラサード書店から2024年5月に刊行。
槙田(きこり)但人
1977年に東京・西荻窪で本屋として開業した「プラサード書店」の初代店長。自然生活、癒し、精神世界などを中心に扱う本屋であり、日本初のセレクト・ブックショップだった。長沢哲夫さんの詩集や山尾三省さんの『聖老人』などの出版も手がけた。1994年にプラサード書店は本屋としての役割を終えたが、今年『遊行め』の刊行のために、出版社として再始動した。https://www.prasadbooks.jp/
「ノーニュークス・ワンラブ」を掲げ、1988年に開催された「いのちの祭り」。12年に1度という他には類を見ないスケジュールで開催が継続されている。カウンターカルチャーをベースに、音楽やアートを通じて、いのちの大切さをあらためて確認する祝祭。
開催日:8月29日(木)~9月1日(日)
会場:鹿島槍スキー場(長野県大町市)
出演:喜納昌吉、HIROKI OKANO、China Cats Trips Band、熊谷門、 犬式、MATSUMOTO ZOKU BAND、RaBiRaBi、児玉奈央、やじぃ&かむあそうトライブス、イマジン盆踊り部、スパンコールズ、ほか
※参加協力券(チケット)、駐車券は8月10日にソールドアウト。近隣の宿泊施設やキャンプ場に宿泊してタクシーなどで自力で来場頂ける方のみ、何らかの方法で受け入れられないか検討中。
渡辺眸『遊行め』発行記念写真展をいのちの祭り2024会場各所で開催
いのちの祭りに関連する写真、書籍、資料、記念品などを展示・販売。
『遊行め』より引用、©渡辺眸
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