表裏一体?都市と自然の多拠点ライフ。【松岡俊介(ARIGATO FAKKYU)】

伊豆とは思えないうっそうとした森のなかに潜む山小屋と東京という世界有数の大都市。日常と非日常、弛緩と緊張、あるいは陽と陰。それぞれが違う効用を与え、未来をもたらしてくれるのかもしれない。

文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi
写真 = 宇宙大使☆スター photo = Uchu Taishi ☆ Star


ー 伊豆に引っ越したのは10年くらい前だということですが。

松岡 生まれも暮らしもずっと東京で、東京の人間なんだけど、まだドリルが三宿にある時期に横須賀に引っ越したのね。遠い距離を移動して生きることにトライしてみようと。やってみたら、「これはいけるな」って実感して。そして結婚することになって、物件を探しているうちに見つけたのが、今住んでいるこの家で。


ー ネットで見つけたってこと?

松岡 そう。物件の紹介に変わったことが書いてあってね。「絶対に見に来るな」「行ったとしても周りの人と話すな」とか。ふたりでその家を探しに行ったわけですよ。住所が書いてあるけれど、まったく見つからない。たまたま通り掛かった郵便屋さんに付いて行って、やっと辿り着いて。


ー 確かにこの先に家があんの?っていう細い道をずっと登ってきて、やっと家にたどり着いた。

松岡 帰るときにはここだって決めていたね。自分の価値観で生きてきていて、数少ない「これ何? すげえ」っていう家であったわけで。当時は、仕事の時間を減らしているほうが、人間として偉いというか高尚だと思っていた。今でもそう思っていて、遊びながら仕事もうまくできている状態がハイだし、それを見せることでみんながある種の羨望の気持ちを抱くわけ。俺も誰かに対してそう感じだんだろうけどね。それをやりたいっていう気持ちがつのってきて。

ー そして東日本大震災があり、ドリルは浜松に行き、松岡家はネパールに行く。

松岡 震災は伊豆に家を決めてから2年後くらいだったね。東京でそのまま店をやっていいのか。ドリルを引っ越さないと示しがつかないぞっていう気持ちになってきて。震災によって、どこかにずっと暮らすということが崩れてしまった。どこに住むんだ、どこに落ち着くんだっていう落ち着かない状況もしばらく続いていて。そして断捨離してネパールに行ったんだけど、ネパールでも大地震にあってしまって。


ー ネパールから戻ってきてから、伊豆をベースにするという気持ちが固まって行った?

松岡 周りの空気が変わっていったのは、こっちがずっとここに住むっていうことを決めたからじゃないかな。たぶんそれが伝わって行ったんだと思う。例えば震災が起これば違うところに移っていかなきゃいけないって思っていたんだけど、今は何が起こったとしてもまずは伊豆を拠点にしようと思っているし。チェーンソーを持って、道を開いたりする係はやらなきゃなっていう気持ちは持っているから。マインド的には地域に関わるように変わっているね。


ー 住んでみて、伊豆南のいいところってどんな部分に感じています?

松岡 例えばバリとかに行って、空港を出たときの「はあ〜」っていうような得も言われぬような開放された気持ちが、世界で何番目かの大都市からわずかな距離なのに得られちゃう。それがまずかけがえのないものだよね。それとこの伊豆南は、人を受け入れてきた歴史もあるし。「なんだ、このおじさんは?」っていう人がいっぱいいて(笑)。

ー 暮らすことが豊か。そう思わせてくれる場所なのかもしれない。

松岡 都市にいれば情報過多になってしまう。選択肢も多い。それは恵まれた話ではあるんだけどね。だけど今はそういうことばかりが求められる時代だから、逆に行っていたほうが安定感があるのかもしれない。


ー 伊豆南は移住者が多くなっているということだけど。

松岡 自由な移住者たちがコミュニティを構築している。東京にいる頃は、大きなコミュニティを作らなきゃいけないって思っていたんだよね。だけど小さなコミュニティをいっぱい作っていけばいいという考え方に変わって。歴史を見ると、みんなのマインドを変えて、社会も変えていくっていうことは何百年という時間がかかっているわけじゃん。何代にもバトンタッチされていくことで根付いていくものなんだと気づいてからは、なんか焦らなくなったね。


ー その意味では伊豆南にはいろんなコミュニティがあるように今回の取材で感じています。

松岡 カウンターカルチャー・ピープルというかオーガニック・ピープルと一般の人の融合が、この伊豆南では実現できるかなあなんて思えるし。小さなコミュニティのなかでそれぞれが考えて、実行して、つながって、合わさっていけば、その輪は大きくなっていくはず。それが最先端のライフスタイルなんじゃないかなって思う。


松岡俊介(ARIGATO FAKKYU)
東京の三宿でDrillを運営していた10年前に都市半分田舎半分の暮らしを思い描き松崎の山のなかに住まいを移した。震災後にネパールを拠点にしたもののそこでも大地震に。伊豆南をベースで生きて行くことを決心。今年春に新しいブランド「ARIGATO FAKKYU」を立ち上げた。 https://www.arigatofakkyu.com/


0コメント

  • 1000 / 1000