他のものではない、ラビラビという人生。【RABI RABI】

2021年11月に結成20年を迎えたラビラビ。長く3人体制での活動が続いていたけれど、2018年にグルーヴを支えたPIKOが脱退。ふたり体制になっても、変わらずにラビラビとしての旅は続いている。

文・写真 = クリススカル
text & photo = Sukaru Kurisu


ー 2021年11月11日に、ラビラビは結成20年を迎えました。

az3 今とは違うメンバーとふたりでスタートさせたんですけど、やっていくうちに方向性が変わってしまって。それでNanaが入ったんですね。20年はNanaが入ってからです。


ー 旅をするようになったのは?

az3 原宿のギャラリーで、自分たちが出したアルバムの曲を、いろんなアーティストがアートとして表現するという作品展をやったんです。そこにカナダ人の映像作家がいて。彼がカナダに帰ってから、パブとかをはしごするようなスタイルのフェスがモントリオールで開催されているんだけど、そこに来ない?って誘ってくれたんです。それでカナダ行きを決めた。

Nana それまではライブは月に1回程度。ほとんどが都内のライブハウスかクラブ。初ツアーがいきなり海外で、パスポートもそのときに取ったんですよ。

az3 シカゴにも友達のミュージシャンがいたので、せっかく行くのだから、モントリオールとシカゴをロードトリップしたいなって思ったんです。


ー その北米ツアーの体験で旅するバンドになった?

az3 日本ではライブハウスにノルマを払ってライブをしていました。ノルマを捻出するためにバイトをする。その循環がどうしても解せなかったんですね。でもシカゴでは違っていた。お店が自立していたんです。楽器を持ち込んで自由にやりな、チャージも自分たちで決めていいよって。そのことが「すごい」って感動したんです。ノルマのためのバイトというループから抜け出せる。帰りの飛行機のなかで、来年から1年で即興で100本ライブをやってロードトリップをするって宣言したんです。それが2006年夏のことです。

ー その決心を10年以上も続けることになったのですね。

az3 あるときNanaが、九州でゴールデンウィークにこんなフェスがあるって見つけてきたんです。〈虹の岬祭り〉です。出させてくださいって連絡して。もう枠が埋まっているからダメだって言われたんですけど、開催の1週間前になって、バンドがひとつキャンセルになってしまったから出ないかって電話が来たんです。そして九州にはじめて行ってライブをした。

Nana 誰もうちらのことを知らない。誰も聞いたことのないその場で生まれた音楽をステージで演奏した。そしたら、徐々にみんなが踊り出していったんですね。

az3 必死にやったらめちゃくちゃ盛り上がって。その後の物販にも行列ができて。CDを買ってくれるのと同時に、うちのお店でもライブをしてくれってオファーされて。〈虹の岬祭り〉でのブッキングをメインにして、全国のライブがやれそうないろんなところを探して。結局、1年目のライブは87本で、2年目から100本を超えました。


ー 即興のライブとはいえ、ライブにのぞむ前に何かを決めたりはしているのですか。例えばテーマとか。

Nana 何も決めない(笑)。例えばキーはこれにするとか、こういうイメージで行こうとか、何かしら手がかりになるようなことも話しませんね。


ー 2007年からドラムふたりとボーカルという3人組で音の旅を続けてきたけれど、ドラマーのひとりであるPIKOさんが2018年に脱退しました。

az3 2011年に肺気腫を患っているっていうことがわかって、本当にちょっとずつなんですけど、演奏でのキレも悪くなっていったんですね。演奏も、旅することも支障が出てきてしまった。ラビラビを卒業したほうがいいと私から言ったんです。もちろん、本人がそのことをもっとも自覚していて、ラビラビから離れることになったんです。


ー ふたりになって変わったことは?

az3 Nanaはペアでやっていたので、いろいろ感じるものはあると思います。PIKOが離れてからは、ふたりであることの良さみたいなところだけを見続けていたと思います。ちょっと頑なまでに。20年にあたってアルバムを作ったのですけど、そこにはPIKOがエンジニアとして参加しています。3人でやれることはまだあるし、逆にふたりの良さも生きてくるんだなって改めて思えたんですね。ふたりでも大丈夫なんだって、アルバムを作って安心したところはあります。


ー コロナ禍によって、それまでの旅のスタイルは止まってしまったわけですよね。

az3 全てが止まってしまったように見えるけれど、実は何も止まっていないってずっと思っているんですね。ライブができなくて塞ぎ込んでしまったとしても、それは自分の心のなかだけのもの。宇宙は変わらずに、ものすごいスピードで進んでいるんですから。ライブができなくなったとしても、それはちょっと軌道が変わってしまっただけのこと。

Nana コロナの前から、ライブの本数にはこだわらなくなっていたんですよ。


ー ラビラビは、ラビラビとして続いている。

az3 私の人生に名前をつけるとしたら、たぶんラビラビになってしまう。Nanaも、自分で自分のことをラビラビって言うんです。

Nana ミュージシャンとか音楽家の定義がよくわからなくて。でもラビラビの定義は、自分ではよくわかる。言葉ではうまく説明できないんだけど、自分ではわかっている。

az3 ラビラビをやっていることが、一番変わらずに来られたことのような気がします。


『Rashinta』
海外を含む大型音楽フェスをはじめ、カフェ・社寺など様々なシチュエーションで、自然や場と一体となり音楽で自在に祝祭空間を創りあげる。直感的で壮大なライブパフォーマンスは「縄文トランス」の異名を持っている。現在は声のaz3(azumi)と打楽器のNanaのデュオ体制。2021年11月に活動20周年を迎え、アルバム『Rashinta』をリリースした。http://www.rabirabi.com


LIVE INFORMATION

07/22(金)大重祭 @ オンライン出演

07/24(日) Mud Land Fest2022@千葉県山武市

08/14(日)満月祭2022@福島県川内村

ALBUM INFORMATION

07/21 PIKO 65th BD   PIKO NEW ALBUM RELEASE!!!


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