白浜フラワーパークの台風被害からの新たな一歩。【米原草太インタビュー(あわのネ/白浜フラワーパーク】

10月23日に静岡県御前崎付近に上陸した台風21号。この台風によって、南房総にある白浜フラワーパークは、大きな被害を受けた。60年近く前に開園した植物園は、2年前にキャンプサイトもオープン。野外フェスの会場としても使われるようになった。「あわのネ」のオーガナイザーとしてこの場所と出会い、キャンプ場の企画を提案し、その流れで白浜フラワーパークのスタッフとして働くようになったのが米原草太さん。どうにかしてこのキャンプ場を復興させたい、ここで子どもの笑顔が見たいと台風の一週間後にクラウドファンディングを立ち上げた。


南房総の白浜フラワーパークでとの出会い。

–––– そもそも、白浜フラワーパークでで働き始めたのはどういうきっかけがあったのですすか?

草太 働き始めたのは2014年です。そもそもで言うと、「あわのネ」などのイベントをオーガナイズしていて、海沿いでどこかイベントをやれるところはないかなって探しまわっていたんです。ここの専務さんがわりと理解があって、若い人たちのトランスパーティーなどをやっていたことを聞いて。じゃあ面白そうかなと思って来るようになったんです。僕は館山に住んでいるんですが、なかなか来ない場所なんですよね。

–––– 生まれは館山なのですか?

草太 生まれは新宿です。3歳くらいの時にこっちに引っ越してきて。だからほぼほぼ館山が地元のような感覚です。高校を卒業してから東京に出て、古着屋さんとかいろいろ働いて、なぜか311の時にこっちに戻ってきたんです。

–––– 大震災の後?

草太 実際に引っ越してきたのは後です。ただ3月末に家を引き払って、実家に帰るって決めていたんですよ。そんな時に東日本大震災があった。だから荷物もまとめ始めていて。何のタイミングかなと思って。それで一気に東京を離れたんですね。一回、沖縄にも行ったんですけどね。そこからまたこっちでイベントを始めたりしたんです。

–––– 草太さんが働き始めるまではキャンプ場ではなく、観光植物園だったわけですよね

草太 そうです。冬は花を見せて、夏はプールもあって、バーベキューもしてっていう。夜はまったく活用していなかったんですよね。だからもったいないなって思っていて。働き始める前に外部スタッフとしてキャンプ場をやらせてくれないかっていう話からスタートしているんです。一区画だけのゴージャズなキャンプ場をやろうと思って。それで海沿いのプライベートサイトをひとりで開墾して、外部スタッフとして関わるようになったんです。そしていつしか中に入ってしまっていたんです(笑)。次第に全面を使ってキャンプ場をやらせてくれっていう話になって。

–––– キャンプ場としてオープンしたのはいつだったのですか?

草太 2015年の夏ですね。

–––– それまでもイベントやフェスはやっていたんですよね

草太 イベントやフェスは開催していました。2014年に「あわのネ」をここでやって。自分の結婚式もここでやって(笑)。

–––– 結婚式もパーティーっぽい雰囲気で?

草太 そうです。no entryのマーシーさん、SAIRU、ラビラビ、ズクナシなどに出演してもらったんですよ。自分のことなのに超楽しくて。バンドの転換の時間に、式としてのコンテンツを入れて。一日中ライブをやっていましたね。その時の写真も、未だにフラワーパークの宣材写真として使っているんです。そのあたりから、フラワーパークは好き勝手にできる会場だからいいねっていう話が出るようになっていったんです。いろんなフェスの人が「ここ、もったいない」って言ってくれるんですけど、中に入ってちゃんとやる人がいないと、受け皿になれないだろうなって思って。本当に好き勝手にできるので、こんなありがたい職場はないやって今は思っています(笑)。サラリーマンとして給料ももらいながら、いろんな人たちと繋がなりつつスキルアップさせてもらっている。なおかつ田舎にいて、東京の人たちと密に関わりを持てるというか、そういう仕事は館山にはなかったんですね。自分にとって、すごくいい職場だなって思っています。

–––– 東京でもパーティーをオーガナイズしていたのですか?

草太 東京では、どちらかというと、音楽系ではなく環境イベントだったんですよね。エコブームがあったじゃないですか。ロハスという言葉が囁かれた時代。そういう時に環境問題とか原発問題に興味を持って、自分で越谷レイクタウンで、3000人規模の環境をフィーチャーした無料フェスを一回やったんです。そこから「あ、イベントっておもしれえな」って思ったのは。

–––– イベントはやると面白いんだけど、ドキドキもある。

草太 本当にドキドキでしたよね。なんの金勘定もしなかったですからね。

–––– 何年生まれなの?

草太 昭和61年です。ギリギリ昭和なんです。もうすぐ平成30年なんですよね。年くったなって思いますよ(笑)。レイクタウンでフェスをやったのが2008年でした。

–––– 20歳そこそこでやっていたんだ。

草太 わけもわからずやっていて。開催したことで何に繋がったのかっていうのもまったくわからないんですけど、そこら辺りからネジが外れちゃって。人を集めて何かをやるパワーってすごいなって感じて。

–––– 今年はフラワーパークではどんなフェスが行われたの?

草太 「zipang」をやって「あわのネ」もやって。全体を貸し切るんじゃない、小さなイベントも多かったですね。例年ならグリーンルームをやっていましたね。ここにも2ステージあったんです。

–––– 「zipang」は6月だっけ?

草太 そうです。そして7月頭に「あわのネ」があって。そして9月にヒップホップのイベントがあって。8月はプールの繁忙期ということもあり、9月と10月にイベントが多くなりますね。

–––– どんなキャンプ場を作りたいと思っていたの?

草太 こんなキャンプ場にしたいっていうビジョンはなかったんですけど、自分が好き勝手にできるキャンプ場があればいいなという思いはありました。南房総に帰ってきて、「自然しかないな」って感じていたんですよ。

–––– 海の見える、海が近いキャンプ場って少ないかも。

草太 ここに来れば、毎週ライブをやっているよとか、ナイトマーケットをやっているよとか。南房総の最南端にありながらエッジの効いたことをやっているような場所にはしていきたいなって思っています。

––– 帰ってきてみて、南房総という場所はどうだった?

草太 山もあるし海もあるし、食べ物もなんでもある。本当にいいところなんです。東京から近いから、何もしなくてもある程度のお客さんは夏には流れてきてくる。だけどそれに甘えちゃっていて、すげえぬるま湯みたいな状態になっているように感じました。みんなでどうにかしようと頑張っている他の地域に比べると、一体感というものをないものにしているんですよ。

台風一過の風景を目の当たりにして。

–––– だから、何らかしらのアクションをしたかった。ところで10月に台風が直撃して風景が変わってしまった。その光景を見てどう感じました?

草太 びっくりでしたね。びっくりを超えて、文字通り、立ち尽くしてしまいましたね。プールのあたりは、「少しやられたな、直さなきゃいけないな」という程度だったんですけど、無くなっちゃっているとは思っていなかったんです。立ち尽くしてしまって、いろんなケースを考えてしまって。最悪、経営が順風満帆なわけではないので、このキャンプ場がなくなってしまうかもなっていう気持ちがよぎりましたね。ビーチラウンジという区画は、うちとしては一大決心をしてけっこうお金をかけて作ったんサイトだったんです。「この後、どうしようかな」と思って。ただ、人が死んでいないことが、311とは違うところなんですよね。

–––– 風雨が強くなったのは夜から朝にかけてでした。

草太 その夜は自宅にいて、「風はいつもよりも強いかな」程度の感じだったんですけどね。来てみたら、壊されていたり、流されていたところも多くて。

–––– それでクラウドファンディングを開始することを決意したのですね。

草太 実は温室のジャングルを使ってナイトマーケットを開催しようと企画していたんです。年間に3回くらいのイメージで。夜の遊びがまったくない地域なので、観光客にしても地元民にしても、夜を満たすイベントをやりたいなって思って。それをずいぶん前から考えていて、じゃあ来年やろう、それでクラウドファンディングの登録をしていたんです。その記事をパチパチ書いているうちに、こんな状況になってしまった。一企業がお願いするのは、本当に恥ずかしいことなんですけど、自分たちの資金だけでは復活できないのでクラウドファンディングすることを決めたんです。1年前にキャンプ場としてのブログを始めていて、台風被害の記事をポストした時に、すごく反響があったんですね。その声も後押しになって。10人くらいの方から「クラウドファンディングをやってくれ、支援させてくれ」という声をいただいて。じゃあやらせてもらいますと。それで台風の一週間後にクラウドファンディングを立ち上げて。

–––– クラウドファンディングの締め切りはいつでしたっけ?

草太 12月の半ば、17日が締め切りです。

–––– キャンプ場としては、いつ再スタートしたいと思っていますか。

草太 来年の5月には。ビーチラウンジをオープンさせたのが今年の5月だったんです。ちょうど1年後に。また新しく作り直して。

–––– イベントをやったほうがいいんじゃいですか。

草太 ゴールデンウィークの最初の日に考えています。募金だけで誰でもキャンプできて、フリーサイトにしてで、ここでみんな持ち寄りで大宴会をして。台風の写真をプロジェクターで映して、みんなで共有できればいいなって思っています。

南房総であわのネを続ける意志。

–––– 草太さんがオーガナイズしている「あわのネ」のことも聞かせてください。白浜フラワーパークに落ち着く前はどこでやっていたのですか?

草太 いろんなところでやっていましたね。館山の駅前の海辺の芝生広場みたいなところでやっていたりだとか、2年目が沖ノ島っていう歩いて渡れる無人島でやって。そこからフェスとしての「あわのネ」が広まって。3年目の「あわのネ」の時に集客という部分では一番大きくなって。それでも1500人くらいだったかな。2日間やったんですけど。その時は、仕事そっちのけで。午前中だけ清掃の仕事をして、あとはすべての時間をフェスのことだけに費やしていたんですね。3年目で有料化しようといって、それで一人1500円という設定をしたんです。

–––– ボランティアと一緒ですね。

草太 今考えると、マジで何をやっていたんだって思うんですね。その時は自分の中でイベントは無料じゃないと、みたいな考えが頭の中に充満していて。特に田舎でやるから地元の人にも来て欲しいから、結局のところ350万円くらい経費がかかって、集まったのが340万円だったんです。10万円の赤字というギリギリのライン(笑)。さすがに「これ、なんか違うくねえ?」みたいな感じになってしまって。その次の年も館山でやって、5年目からフラワーパークでやるようになったんです。ここは電気もあるし、トイレもあるし水道もあるし、机もあるし椅子もあるし。その時に「イベントってこんな楽にもできるんだ」って感じて。

–––– 5年目が2014年ってこと?

草太 そうです。沖ノ島には、電気もないし、水道もないしトイレもないし、どうしようって思って。無人島にディズニーランドを作ろうとしいているのか俺らはって思うくらいでしたよ。

–––– 苦労した方が、思い出深くはなるよ。それがあっての今だと思う。

草太 本当にそうだと思います。沖ノ島の時なんて、何度も感動して、涙を流すことなんて何回もありましたから。あの時は人生限界を超えていたかもしれないですね。

–––– 無茶をしちゃう若手が出てこないと、文化は継承されていかないから。

草太 来年はこれはもう無理だよっていうことの繰り返しで。最初は地元の中学の卒業生でメンバー構成していたんですよ。それが10人くらいいて。和気藹々と昔話をしながら一回目を開催して。2年目から移住してきた人が入ってきたり、続けられなくなった地元の仲間が離れていったりして。4年目には地元の仲間はほぼいなくなって移住者ばかりでしたからね。悲しいかな。

–––– やっぱり移住者と地元の人をミックスしたいという気持ちはあるわけでしょ?

草太 ありましたね。ありましたけど、僕の技量が足りなかったんでしょうね。みんなに魅力的なゴールとか、やりがいとかを共有してやれなかったんだなって思っています。今は本当に慣れた4人くらいのメンバーでやっていますよ。逆に感動はだいぶ減りましたけどね。それはバランスとして本当に難しいと思っていて。何かにチャレンジして苦労しないと達成感は味わえないんだけど。もちろん「あわのネ」も、毎年のようにそれなりの苦労はするし、みんなが集まって楽しそうな顔をしていると、「やっぱりやって良かった」ということになりますけど。ルーティーンのように感じてしまうと、モチベーションもなかなか上がらない。人間って、本当に面白い生き物だと思いましたよ。

–––– 今年の「あわのネ」はどのくらい入ったのですか。

草太 一回1500人まで行って、そこからペースダウンして、その次の年から1000人を割って。その時代って5ステージくらいあったんですよ。自分たちでも、なんでこんなにステージを作っているのって思うくらいに。どこに行っても音がかぶっていたし。リスクもあるし、それを一回やめようということになって。

–––– 続けていると、あれもこれも追加しようっていう気持ちになってしまう時がある。常に足し算の感覚。

草太 そうなんですよね。その方向を一度考え直して、それで1ステージのフェスに戻したんですよ。「ひとつのステージの方が、なんか、まとまるね」みたいな話になって。それで今は2ステージですね。交互に音を出している。今年は大戸くん(AUTO&MST)がひとつのステージを担当してくれたんです。それがすごくハマって。今までの「あわのネ」になかったヒップホップのビート系。もうひとつのステージが、今までの「あわのネ」の生音バンド。すごくいいミックスが生まれて。すげえ気持ちいいなって思って。それで関係者を入れても400人か500人じゃないですかね。

–––– お客さんはほとんどがキャンプ?

草太 はい。でもおもしろいことにヒップホップのイベントだと、テント泊が少ないんですよね。10張りくらいしかいなくて。「あわのネ」だと区画が足りねえぞみたいになるんですけど。ほぼ同じくらいの人数が来ているのに。ヒップホップには、まだキャンプという文化がないんですね。

–––– イベントの時にはキャンプサイトはフリーサイトになるわけでしょ?

草太 そうです。「あわのネ」の時には詰めてもらって。ただ今年から海沿いのビーチラウンジができたので、オートキャンプ区画を増やすことができたんですよ。去年までは、みなさん手持ちで運んでもらっていたんです。車を乗り入れることができたら、お子さんがいるファミリーも参加しやすいだろうし。結果、オートキャンプ区画が人気になってくれて。「あわのネ」の時は全部で50張りくらいですかね。規模感はいいですよ。日曜の朝はヨガはプールサイドでやって、DJを昼くらいまでやって、あとは緩やかに解散する。「あわのネ」は、ここにきてからははすごく調子がいいですね。でも実は10年で止めようとも思っていたんです。

–––– 来年が10年?

草太 再来年が10回目なんですよ。10年の時には沖ノ島でもう一回やろうかなって思っていたんですけど、こんな状況になってしまって、まずはフラワーパークを立て直さないとまずいなって思って。10年以降もやろうかという思いになっていますけどね。

–––– 10年って、いいタイミングなんだよね。

草太 そうなんですよね。終わらせるには本当にいい区切りなんですよね。

–––– 「あわのネ」は続けていく?

草太 今のペース、今の雰囲気で続けられたらいいなと思っています。1500人という数になったこともあったんですけど、場所を含め、僕らのキャパシティを超えちゃうんですよね。じゃあ運営会社を入れるかっていうほどお金があるわけじゃないし。人が増えてしまうことのマイナスも確かにある。目指しても500人くらいでいいねっていう規模のフェス。それが顔が見えるくらいの人たちに集まってもらって続けられたらいいなって。以前はそれこそ1000人以上を集めるぜ、行くぜ、みたいなノリはありましたけどね。トータル的に気持ち良く感じてくれる人が減っちゃうと、人を集めてもやっている意味がないだろうなっていう思いもあるので。「あわのネ」も、もともとは地元がつまらなすぎてこういう遊びをやってみないっていう感じでやり始めたのがきっかけなんです。

–––– 地方でフェスをやる、イベントをやる人って、そういうモチベーションの人が多いかもしれない。自分で起こさないと、何も始まらないという。

草太 そうなんです。それでスタートさせて。結局のところ、関わってくれる地元民もいるんですけど、多くの地元民が斜めに見ている感じあんんですよね。

–––– 地元に密着していったほうが、きっといいんだろうけどね。

草太 その溝を埋めたいですけどね。おもしろいことには、おもしろそうなことをキャッチするアンテナがある人しか寄ってこなくて。そんなこともあって、ナイトマーケットは、フェスや音楽ではなく、マーケットという主体でいって、それで地元の人にも足を運んでもらう場になればいいなと思っています。

–––– 今、マーケットというのは大きな柱になるかもしれない。食べ物などのライフスタイルに密着しているのがマーケットなんだろうし。イベントに参加するための敷居は低くなる。

草太 マーケットの中で、アーティストにライブしてもらって、通りすがりの人にも聞いてもらうようにすることが、地元にアタックするのにはいいかなって。ナイトマーケットは地元に目線を向けてスタートしたいなって思っていたんです。

自然災害を乗り越えたキャンプ場へ。

–––– 台風から2ヶ月。今、一番必要なものはボランティアなどの人の手ですか。

草太 ボランティアにお願いする仕事はだいぶ落ち着きました。プール掃除も終わったし、手でやらなければならないところはみんなで一通り終えて、次は重機を入れるという作業です。その後になって、例えば芝生をみんなでひこうとか、撤去よりも創作的なことをみんなで一からやれればと思っています。その時期に来たら、ボランティアは必要になりますね。

–––– 草太さんにとっての白浜や白浜フラワーパークのでの好きなところとは?

草太 自由にできるところですかね。あとはまだダサいところとか、やれば可能性が潜んでいるところですかね。湘南とか伊豆のように、できあがってはいないんですよ。そういった部分では、僕的にはいいなって思うところはありますね。ゆるさだったり、音がオーケーだったり。

–––– フラワーパークで仕事として関われるようになったことが大きな一歩だったかもしれないですね。

草太 本当にラッキーだったと思います。ある部分、路頭に迷っている時もありましたから。「あわのネ」はやり続けていましたけど、ない頭を使って、どうにか仕事にならないかなって考えて。3年目くらいまではそうして考えていましたけど、結局は「無理無理」ってなって。これは仕事ではなく活動っていう割り切りをして。じゃあ仕事はどうするっていう状況になった時に、外部的にキャンプ場の運営をやらせてくれとか、いろんなチャレンジをした中で、ここに落ち着くことができて。本当に天職のように感じていますよ。

–––– 中心になっている人が本気になっているイベント。そんなイベントには自然と、人が集まってくると思う。

草太 今はちょうどいい感じですね。僕も無理することなく、白浜フラワーパークの広告部門として「あわのネ」が開催できています。

–––– 来年の5月に向けて、どういうふうにフラワーパークを変えていきたいと思っています?

草太 ビーチラウンジは残っているので、またやり直して。やり直しっていうか、子どもたちと一緒に新たに作っていって、みんなの思いが詰まったサイトになればいいなって。貸切区画は流されて無くなってしまったので…。犬を連れたお客さんにも人気でした。なんとか復活させたいんですけど、場所は変わってしまうかもしれないですね。地面が土じゃなくなって、岩場になってしまっていますから。土を外部から入れて作り直したとしても、気持ちよさっていう部分では違うかなって。流されてしまったままにして、別のところに作ろうかなって思っています。プールサイドは削れてしまったところを補修して、デッキにしちゃおうかと。そこをフラダンスのステージしたりだとか。リゾート感満載のところになったらいいなと思っています。

–––– 自然災害ってリセットというわけじゃないけど、何かを再スタートするきっかけになればいいよね。

草太 本当にそう思います。人が亡くなっていないというのが一番なんですね。だからこそ次の行動へポジティブに転換できた。それこそみんなが応援して復活したキャンプ場ということで、再スタートした時にはもっとファンが多くなってくれたらうれしいですね。自然災害を克服して、いろんな人たちが関わってくれるキャンプ場になったらいいなと思っています。

–––– キャンプは自然と付き合わなければならないわけだし。自然には抗えない。

草太 多くの人に自然災害の後を見てもらいたかったですね。自然ってすごいってことがわかる。こんな岩まで運んできちゃうんだぜって。復活後は小規模イベントを増やしていきたいんですね。キャンプ場なんだけど面白いことをやっているなっていうことを打ち出していきたいと思っています。

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