どこかで不要になったものを生かす循環型オーガニック農業。【野原健史(のはら農研塾)】

人間が作り出した「不要」なものが循環する社会。その一歩目として選んだのがオーガニック農業だった。消費社会の不都合をプラスに変えていく農業による挑戦。

文 = 宙野さかな text = Sakana Sorano
写真 = 宇宙大使☆スター photo = Uchutaishi☆Star


ー 「のはら農研塾」をスタートさせたのはいつだったのですか。

野原 自分ではなく、25年くらい前に親が立ち上げたんです。親はゴミの最終処分場を営んでいました。最終処分場って、広い土地が必要なんですよ。それで農地を購入して、処理場として使わないものは、そのまま農地として現代農業をしていました。


ー 野原さんが農業をやろうと思ったきっかけは?

野原 しばらくは親の仕事を手伝っていました。ゴミとは産業廃棄物。まだまだ使えるものなのに、それを壊して土に埋めていく。こんな矛盾したことってないよなって思うようになっていったんですね。なんでヨーロッパのように長く使えるものを作らないのか。産廃でも、何か循環できる仕組みって考えていったときに、農業が立ち上がってきたんです。それで13年ほど前に農業をはじめました。


ー 最初から無農薬で?

野原 娘がアトピーだったこともあって。それと後輩の彼女が癌になったことも大きかったですね。彼女が亡くなるちょっと前に「野原さんの周りには仲間がいっぱいいて、みんなを元気にしてくれる。私のような身体になってしまったら何もできないから、野原さんは思っていることをなんでもして」って病床で言われたんです。当時、農業をはじめたばかりで、虫食いだらけの散々なものばかりだったけど、何が身体のためになるのかって考えさせられたんです。健康な身体を作るための野菜や米を作っていく。その約束を、今もずっと続けているだけ。


ー 農業は、やってみて深いと感じるものですよね。

野原 深いですね。土は海みたいなものです。今まで人間が便利な生活をするために、土のなかにいろんなものが入り込んでしまっている。その土に作物を植えなきゃいけない。それってかなりヤバイ。どうすれば少しでもヤバさを軽減できるか。酸性雨を100パーセント止めるなんてことはできないわけじゃないですか。だったら酸性雨と向き合っていく方法を考えるしかない。酸性からアルカリ性に戻すにはどうしたらいいか。大量のアルカリ性の薬品を土に入れるのは本末転倒になるわけで。だったら自分のところにある産業廃棄物として捨てられるトマトピューレを再利用すればいいと思ったんです。トマトピューレってアルカリの塊じゃないですか。酸性の土壌に蒔いたら中和するんじゃないかって試してみたら、予想通り中和されていた。有機物も入っているから、微生物が活発に動きはじめる。廃棄されていたものが再利用されることによって生かされる。


ー 実家が産廃の最終処分場をやっていたからの発想ですね。

野原 土ってフィルターの役目もしてくれているんですよね。草木の葉っぱが自然のうちに落ちて、何十年何百年とかかって土になっていった。そしてその土のなかにあるものを養分として、また植物が育っていく。でも今は、人間の手によってちゃんとしてあげないと土は生かされない。ちゃんとしてあげればちゃんとなるんですよ。土をちゃんと見てあげて、循環させてあげることが大切なんだなって思えるようになったんです。そんな土は浄化してくれる。浄化された土で育った野菜は大きく育つんですよ。

ー 「のはら農研塾」には、農業を目指す若い人もいるんですよね。

野原 若い頃って人生に迷うじゃないですか。そんな奴に声をかけて、一緒に土に触れる。卒業生もいっぱいいますよ。いろんなことを教える。農業だけではなく、災害地にも行くし。僕がやっていることが、若者たちの指標になるはず。「農業でも食べていけるじゃん」とか「こんなもので循環できるの」っていうことを知ってもらいたい。知らないっていうことがいちばんの不幸。だから僕は知ったことをすべて隠さずにSNSなどでも公表しているし、教える。


ー 農業は苦労が多いというイメージが、多くの人の頭にこびりついてしまっているのかもしれないですね。

野原 僕は楽することしか考えない。苦労ばかりしていたんじゃ、大好きなロックフェスにもいけないじゃないですか(笑)。やっぱり休みも必要だし、農業として経営も成り立たせていかなければならない。自分が楽になるんだったら、機械も使えばいい。実は僕は面倒くさがり屋なんです。だから農業には向いていない(笑)。何で農業という面倒なことをやりだしたのかといったら、農業が自分の周りでは一番の面倒なことだったから。面倒なことからやっつけていければ、後が楽になるじゃないですか。面倒なことをやって何らかの結果を出すことで次に行ける。食べることって、生きていくためには一番の基本ですからね。


ー 産廃、そして農業を続けることでつかんでいった循環という視野。

野原 環境問題っていうことを考えたときに、ポンコツの大人たちを変えることはできないけど、子どもだったら変えられると思ったんです。だから今は、小学生に自然農を教えているんです。田植えも一緒にして。「いただきます」っていう言葉は、命をいただいているからいただきますっていうんだぞっていうことを、土に触れることで実感してもらえたらなって。


ー 農業で大切なことって何だと思いますか。

野原 結局は人ですかね。愛を持った人。野菜に対しても、米に対しても、地球に対しても、愛を注げる人は、人に対しても愛情がいっぱいですから。


野原健史(のはら農研塾)
熊本で循環型オーガニック農業を実践する「のはら農研塾」を主宰。ゴミの最終処分場を営む家に生まれたからこそ挑戦できる農法は、人が捨てたものを循環させ、産業として回る仕組みとして注目を集めている。肥料も「どこかで不要になったもの」が使われている。福島の子どもたちに食べてもらうお米を熊本で育てるプロジェクト「Rice field FES.」の主要メンバーでもある。https://www.nohara-nouken.jp/

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