パーティーからアートへ。旅の先に行き着いたのが、自分が集落をデザインしていきながらアートとして結実していくランドスケープ・アート。北茨城で新たなコミュニティを構築している。
文・写真 = 菊地 崇 text・photo = Takashi Kikuchi
ー 野外、あるいは田舎に興味を持ったのは、どんなきっかけがあって?
檻之 学生のときに音楽が好きで、ライブハウスとかクラブで遊んでいたんですね。友人が山のなかでイベントがあるらしいってどこかから聞いてきて。確かな情報ではなかったんですけど、場所だけはなんとなくわかったので、友人と電車を乗り継いで行ったんです。そしたら自分の想像のスケールを超えるパーティーが行われていた。それから野外パーティーに行くようになったんですね。僕は東京生まれ東京育ちだから、野外パーティーによって田舎にコミットしていったんです。しばらくしてブライアン・バートン・ルイスがアルバイトを探しているっていうことを聞いて手をあげたんです。
ー 当時から絵を描いたりはしていたのですか。
檻之 ブライアンのマネージャーをしながら絵を描いたり、文章を書いたりっていうことはコツコツしていたんですけど、それを自分の仕事にするっていうほどまでには自信がなかったので。東日本大震災が大きくて、自分がやっていること全部が社会につながっているっていうことに気づいてしまって。自分がノーと言っているものも無意識のうちに取り込んでしまっているのではないか。全部作り変えないといけないと思って、妻も巻き込んでアート活動一本で生活していくことを決めたんです。
ー そして会社を辞めて海外へ旅立った?
檻之 アーティスト・イン・レジデンスという芸術家を滞在しながら作品制作をさせてくれる施設の存在を知って。とにかく行ってみたいと思うところにメールを送り、滞在できることになったのが、スペイン、イタリア、ザンビア、エジプト、モロッコの5カ国でした。それぞれ2カ月ほど滞在したんです。
ー その土地からインスピレーションをもらって作品を生み出していった?
檻之 僕たちがコラージュという技法だったので、そこにあるものを使うみたいなテーマにだんだんなっていきました。今につながる体験として大きかったのはザンビア。サバンナの集落だったんですけど、そこではアートよりも、明らかに食べ物のほうが重要なんですよね。絵を描いても誰も興味を示してくれない。土地の人がみんなで家を作っていたのを見て、それなら僕らもって家を作ることにしたんです。
ー 帰国してみて、海外とのギャップがかなりあったのではないですか。
檻之 東京っていうものが、あまりにもいびつに感じて。家賃をゼロにして、生活費を抑えることができたのなら、海外のアーティストたちのようにそんなに働かなくても生きていけるんじゃないかって思ったんです。空き家になった家はいっぱいあるし、そこを直しながらだったら、どこでも暮らせるって。そして田舎で暮らしはじめたんです。何カ所か転々としているうちに北茨城市で芸術家を募集していることを知って応募したんです。
ー どういう募集だったのですか。
檻之 いわゆる地域おこし協力隊の制度と同じ。芸術で地域活性化をしていく。古い家を直したいと話したら、古民家を紹介してくれて。それが今はギャラリーになっている「ARIGATEE」です。アーティストに滞在してもらって制作をしてもらう機能も持たているのですけど、さすがにコロナでアーティスト・イン・レジデンスは止まっています。
ー いわゆる限界集落ですよね。
檻之 この集落は僕たちを除いたら11世帯しかいませんから。ここにずっと暮らしている人にとっては当たり前の自然が、僕らにとってはものすごく魅力的なんですね。地域を見守りながら活性の道を探っていく。そのなかで、ランドスケープ・アートとしてここにしかない景観を作っていく。そんな取り組みをしています。
ー 暮らしながらフィールドデザインをしていく。四季を通じていろんな景観に出会えるんでしょうね。
檻之 感動しますよ。寒い冬から春に変わって緑が芽吹いてきたときとか。山のなかの小さな集落ですから、かつては自給自足的な暮らしをしていたんですね。そんな暮らしの痕跡がいたるところにありますから。生活そのものがアートだと僕たちは捉えています。アートによって暮らしそのものを作る。その意味でここはうってつけの場所だったんです。絵のために環境を整えるっていう手法もチャレンジ中です。
ー 環境を整えるとはどういうことなのですか。
檻之 おばあちゃんが自分でお金を出して桜の木を植えはじめたんですね。この地域が良くなるようにって願いを込めて。おばあちゃんは、大きく育った桜を見ることはできないかもしれない。自分たちも使われていない田んぼに蓮や菜の花を植えました。空想の絵を描くんじゃなくて、現実に景色を作ってそれを絵にする。
ー 自然に即した時間の流れに、アートの制作も寄っていくことになるのですね。
檻之 長い時間軸で捉えられたほうが豊かなんじゃないかなって思うようになりました。1年で結果を出すのではなく、例えば桜だったら20年という時間で想定する。20年と考えられたら、その過程をずっと楽しめるわけですからね。
ー かつての野外パーティーでの体験も今につながっているのではないですか。
檻之 自然のなかに人間がいる。文明的なものを自然のなかでどう融和させていくのか。初期のフェスやパーティーが持っていたこのテーマを、暮らしに置き換えて作っているのかもしれないですね。
檻之汰鷲(おりのたわし)
石渡のりお・ちふみの夫婦芸術家。結婚を機にふたりで一緒に制作をはじめる。コラージュ技法を発展させ、絵画、オブジェ、建築、炭焼き、ランドスケープ、執筆、出版まで手掛け、旅をして遭遇したライフスタイルを組み合わせて生活そのものをつくる。名前の由来は「檻のような社会からアートの力で大空を自由に羽ばたく鷲になる」。自らの出版レーベルから新刊『廃墟と荒地の楽園』を2021年10月に発行。http://orinotawashi.com/
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