大鹿村で綴られていく音楽と農という持続可能なライフスタイル。【TAKERU ANBASSA】

かつてヒッピーがコミューンを求めて田舎を目指したように、80年代に自然のなかの理想郷のひとつとなった長野県大鹿村。この村で育った第二世代による未来思考の音楽と農のバランス。

文 = 菊地 崇 text = Takashi kikuchi
写真 = 宇宙大使☆スター photo = Uchutaishi☆Star


ー 大鹿村で生まれたのですか。

タケル 親父たちが大鹿村に来たのは俺が生まれる2~3年前。最初は古民家を借りて暮らして、数年してもっと奥深い山に場所を見つけ、そこを開拓して家を建てた。水が湧いているということで、その場所に決めたそうです。その山に引っ越したのは俺が小学校4年か5年のとき。


ー 音楽をやりはじめたのはいつ頃?

タケル 歌うのはずっと好きだったんですね。中学に入ってすぐ、(小林)洋太がバンドをやろうぜって声をかけてくれたんです。洋太が3年で俺が1年。小さな村だから、みんな知っているし、家族みたいな付き合いをしているし。バンドをはじめた年の夏に、そのバンドで鹿島槍で開催された〈いのちの祭り2000〉に出演したんです。俺ら人前で演奏したことがなかったんですけど、親たちがブッキングしてくれて(笑)。


ー 小さな頃から、いわゆるマツリにはよく行ってたの?

タケル 親たちがマツリに行くのが好きだったんですね。今でもマツリに行くと子どもたちが楽しそうにしている。勝手にいろんな地域の人と友だちになって。距離の近さっていうのかな、あの感じが好きなんですよ。鹿島槍でもいろんな友だちができて、20年以上も経った今も付き合いは続いていますから。


ー 山での暮らしってタケル少年にとってはどうだった?

タケル 楽しさはありました。小学生の頃から、畑での作業などいろんなことを手伝わされていたので「畑なんて2度とやらねえ」って思ってたりもしました。高校時代は下宿生活だったんですけど、途中で東京に出て。

ー 東京では音楽をベースにした暮らしを?

タケル 19歳くらいで中学のときのバンドのメンバーと一緒にANBASSAをはじめたんです。東京で頑張ってやっていこうと思っていました。投げ銭ライブをやっても稼げるようになってきて、ライブを数多くやればなんとかなるっていう状況になってきたときに東日本大震災があって。東京を引き上げて大鹿に戻ってきたんですよ。


ー それは福島原発の放射能もあって?

タケル もちろん放射能もひとつの要因です。でも今はあまり気にしてないですね。地震のときは池袋にいたんですけど、コンビニには何もなくなるし、殺伐とした雰囲気になっていったじゃないですか。何かあったら都会ってこんなになっちゃうのかって。都会って怖いところだなって思ってしまったんですね。それでこのタイミングで大鹿で新たな一歩を踏み出そうと。


ー 新しい一歩というのは、音楽とともに農もやっていくということ?

タケル 自然とか旅とかをテーマにしたメッセージソングが多いのに、都会での暮らしはエアコンなどを使っている。それって矛盾があるなって。実家に戻ったら、太陽光発電はあるし、水も流れているし、食べ物も自給している。地震の前と変わらない日々があって、きっと何があっても大丈夫的な安心感があったんですよね。


ー ライブでは大鹿から野菜を持ってきて販売しています。

タケル 実家の野菜と自分が育てた野菜と。無農薬の野菜を売ることに苦労していた姿を見ていたから。本物の野菜を仲間に食べてもらいたいという思いと、売れることによって実家も喜ぶだろうという思い。最初は試しでちょっとだけ持っていったんですけど、やっているうちに自分も楽しくなってきて。野菜って音楽とは違うコミュニケーションが生まれるんですよね。


ー 大震災から10年。歌に込めるメッセージは変化してきたの?

タケル 中学のときも思ったことを書いてはいたんですが、年齢を重ねるにつれ誰でもわかるメッセージにしたいと思うようになってきましたね。ただ反対するわけではなく、こんなとこでわかり合えたらいいねみたいな。


ー コロナによっても分断や軋轢が生まれているし。

タケル 反対のエネルギーだけではなくて、もっとポジティブなエネルギーで伝えていければなと思ってます。原発事故の前は署名活動などをしていれば何かが変わると思ってました。実際にはそんな簡単じゃなくて、それぞれに覚悟があって暮らしがある。ひとりの人間にとっては、放射能やコロナよりも恐怖する心がマイナスなんじゃないかと思うし、ネガティブな話よりポジティブな話が聞きたいじゃないですか。恐怖してるときって簡単に誰かを傷つけたりするし。何で反対になったのかってその理由が大事なわけで、それはそれぞれ家族を守りたいとかこんな暮らしを守りたいとか、純粋な願いだと思うんです。そんな気持ちの部分で繋がっていけたらいいですね。それを音楽や暮らしで表現したいなと思ってます。


ー コロナになって変わったところは?

タケル ライブは極端に減りましたね(笑)。でも普段ではできなかったこともいっぱいあって、コロナによって時間をもらえたので、田舎暮らしに向き合っていました。野菜はよくできたんですが、大雨で大量の土砂が畑に流れ込んでしまって畑が埋まってしまって。これも何かのメッセージとして受け取るしかないので、ふりだしに戻って新しい畑や家の改装作業や音楽に気持ちを向けようと思います。


ー 時間をもらえたことで音楽も作っている?

タケル 作っている最中で、あと数曲録ればCDとして発売できるところまできています。近いうちにリリースしたいと思っています。いつも野菜ばかり売ってCDがないって状況が多かったので、ちゃんとみなさんに音楽を届けられるように頑張ります。

TAKERU ANBASSA LIVE SCHEDULE

4/22 @御前崎 なごみ

4/23.24 @富士川  Natural action "Joints"

5/5 @飯島 "遊広場"

5/15 @豊橋 Enbeach

8/11-15 @獏原人村 満月祭


TAKERU ANBASSA
音旅人。自給自足のなかで育ち、12歳から曲作りをはじめる。 10代後半から都会で暮らしたものの、東日本大震災をきっかけに育った大鹿村に戻った。音楽と共に旅し、畑を耕し、薪で火を焚き、無農薬野菜も売る。レゲエバンドのANBASSAのフロントマンとしても活動中。〈春風〉などのフェスにも出演。自身も大鹿村で〈ここから祭り〉をオーガナイズしている。https://www.facebook.com/takeru.anbassa

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