日常の側にあるもの。音楽と陶器に込める思い。【Tak Suzuki(鈴木窯)】

自分の足でロクロを回し薪を使って焼く陶芸のスタイル。飾られるものではなく、日常で使われる焼き物という存在。

文・写真 = 菊地 崇 text・photo = Takashi Kikuchi


ー バンジョーを弾くようになったきっかけから聞かせてください。

T 高校1年のときがアメリカ建国200年の年でした。東京の高校に通っていましたから、学校の帰りにデパートでやっていた建国200年物産展とかアメリカンアート現代展のようなものを見て帰ってきたりしていたんです。雑誌『POPEYE』が創刊したのもその年。アメリカ文化に興味を持ってしまったんですね。それでいつかアメリカに行きたいと思うようになって。大学受験に失敗して、時間ができたからアルバイトをして、翌年にアメリカに行ったんです。最初は夏の2カ月くらいでしたけど、その後アメリカに行くっていうことが癖のようになってしまって。大学に入ってからも、アルバイトしてお金をためてアメリカに行くということを続けていました。


ー 記憶に残っているアメリカでの体験とは?

T 特にサンフランシスコはストリートミュージシャンがいっぱいいる。なかにはあまりうまくない人もいるわけです。「あ、俺でもできる」って勘違いしちゃったんですね(笑)。演奏がうまくないと人前ではやっていけないんじゃないかっていう考えを払拭してくれた。それで憧れだったギブソンのバンジョーを買って、ストリートで弾くようになったんです。


ー TAKさんの演奏は〈忍野デッド〉などで聞かせてもらっています。

T グレイトフル・デッドからも、演奏することに対しての安心を教えてもらったんですよね。怖がることなく自由にやっていいんだっていうメッセージ。だってテープトレードで聞いたライブでの演奏は、失敗しているものもかなりありましたから。


ー アメリカ音楽、特にブルーグラスに傾倒していたTAKさんが、陶芸の道を目指したのは、どんなきっかけがあったからなのですか。

T 子どもの頃から、夕飯を食べているときにカブトムシが飛んでくるようなところに住みたいって思っていたんです。大学を出て広告の仕事をしていたんですけど、陶芸家の方と話す機会があって。それで陶芸をやれば田舎に住めるんじゃないかって思ったんですね。スタートはそんな小さなものでした。


ー その後益子に行く?

T 私がやりたかったのは、ロクロを足で回して薪で焼くこと。それを目指すのであれば、成井恒雄さんがいいと益子の窯業指導所から紹介してもらったんです。それでツーヤンのところにお茶を飲みに行くような感覚で通うようになりました。成井さんのことを、学んでいるお弟子さんもみんながツーヤンと呼んでいました。逆にツーヤンは年下に対してもさん付け。1年くらいしてから『鈴木さん、そろそろやってみますか」って言ってくださって。4年半くらいツーヤンのところで学ばせてもらいました。そして自分の登り窯を築いたんです。


ー 自分の登り窯の場所を、益子ではなく益子から離れた茨城県に決めたのはどんな理由からだったのですか。

T 田んぼがあって田んぼのなかに丘が点在しているような地形で、妙にこの風景が好きなんです。農協にこの界隈で土地を譲ってくれる人はいないかって相談に行って、数年して、相談に行ったことも忘れた頃に、こんな場所があるよって連絡が来たんです。進入路もない木々に囲まれた場所。見に行ったら気に入っちゃんですよ。


ー 登り窯は自分で作られたのですか。

T ツーヤンのところで一緒に修行した仲間に付き合ってもらいながら。


ー 陶器用の土はどこの土を使っているのですか。

T 益子の土です。粘らない土なんですよね。ツーヤンはすごく土の動きにこだわっていました。土を気持ちよく動かすっていうのかな。土の動きが無理のない自然なものなら良いとか。最初はそのことがまったくわからなかったのですけど。


ー 経験することで、TAKさんもその感覚を会得していったのですか。

T だんだんわかっていったんでしょうね。ロクロの上に土を乗せるじゃないですか。うまくできないこともあって、そのときは決まって土揉みがうまくできていないんですよ。ツーヤンのところで最初に習ったのも土揉みでした。


ー 何事も基本が大事ということなのかもしれないですね。

T ツーヤンは仕上がりを目標としていないんですよね。大きさを揃えるために定規のような測る道具を使う人もいるけれど、ツーヤンはそういう道具は使っていませんでした。大きさや形を目標にしていないから、できたなりの勢いが器に絶対に残る。意図はしていないですけど、やっと大きさが揃うようになってきました(笑)。


ー 土揉みをしたりロクロを回しているときはどういう感覚になっているのですか。

T ナチュラルハイってあるかもしれないですね。ひとりで向き合っている時間が好きなんです。


ー どんな陶芸家になろうと思っていたのですか。

T 陶芸家というよりも、そもそも窯元のお抱えの職人になりたかったんですね。時代の流れが変わって、それが許されなくなった。職人でやっていくことは難しくなって、それで自分の窯を持つというひとり親方の道を選ぶことになったんだと思います。


ー TAKさんにとって、陶器と音楽はどんな存在なのですか。

T 難しい質問ですね。表現という部分では同じだと思います。ただ最初の頃は、焼き物を表現とは思っていなかったんですね。自分が焼き物に出ているとは感じていませんでした。音楽も焼き物も、聞いてもらって、使ってもらって、その結果として評価を受けるわけじゃないですか。音楽も焼き物も、日常の側にあるものなのですから、それを目指しています。


Tak Suzuki(鈴木窯)
80年代初頭、サンフランシスコの路上でバンジョーを弾きはじめたことがきっかけとなり、音楽活動を開始。〈忍野デッド〉などのフェスにも多数出演している。94年から益子で成井恒雄氏に師事して陶器の世界へ。98年に茨城県稲敷市で登り窯を開いた。蹴ロクロで成形し、登り窯で焼成させるスタイルは一貫して変わっていない。最近では自身の音楽活動(ライブ)に陶芸作品の展示販売を組み合わせている。https://www.facebook.com/tak.suzuki.9

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