江戸アケミが歌や音楽に託していた「緑の時代」というメッセージを追い求め、土に触れる暮らしのなかから芽生えた「生命平和」への願い。
文 = 菊地 崇 text = Takashi kikuchi
写真 = 宇宙大使☆スター photo = Uchutaishi☆Star
ー 熊本ではいつ頃から暮らすようになったのですか。
OTO 2009年くらいかな。当時は父が富山にいて介護が必要だったので、サヨコオトナラの旅〜富山〜熊本という3点生活という感じでした。熊本を拠点にして暮らしはじめたのは2012年になります。
ー サヨコオトナラの旅が、都市から離れていく大きなきっかけになったのですか。
OTO サヨコオトナラは2004年にはじまったんだけど、ちょうどキャンドル・ナイトとかスローライフ・ムーブメントが起きていました。マクロビ料理を出すお店なんかも全国に少しずつ増えていって、音楽の旅のあちこちで自給的な暮らしをしている人たちに出会ったんですね。パラダイム・シフトのフィールドワークをしているような感覚でした。
ー OTOさんもメンバーだったじゃがたらというバンドは、クラブカルチャーの先駆者のような印象を持っていました。そのOTOさんが、オーガニック・カルチャーにシフトチェンジしていったのは、何かきっかけがあったからだったのですか。
OTO 江戸アケミが1990年1月に亡くなったんだけど、アケミが逝く3日くらい前に鮎川誠さんのロック番組にゲスト出演していて、「これからは緑がキーワードになる」って口にしてたんです。
ー アケミさんはそんなことを言っていたんですね。
OTO 89年の年末にメジャーでの2枚目のアルバム『ごくつぶし』をリリースしたんです。黄色い怪人がリンゴの形をした地球を丸ごと頬張っているというジャケットなんだけど、アケミがジャケットを担当したんですが、1枚目の『それから』に引き続いて、人間が地球を喰いつぶしているというテーマをさらに明確に出したかったんだと思います。まだ地球温暖化のテーマなんてほとんどの人が言ってない頃でした。僕も認識していなかったし。「お前はお前のロックンロールをやれ」とか「心の持ちようさ」とか、いくつかアケミの言葉をずっと覚えてくれている人もいると思うんだけど、アケミが見ていたビジョンっていうのは「緑の時代」っていうことだったと思います。このアルバムの1曲目の「Superstar ?」という曲に、アケミの思いが色濃く出ています。映画を見終わってデモに行く場面からはじまり、やがて意識変容の瞬間が訪れ、魂の出どころに気づく。システムからの抑圧や欲望の垢の泥沼から魂の救済を求めるビジョンは「緑の時代」への歌のメッセージだと思いました。まさに現在の地球人に向けているようです。アケミのことを自分なりに受け止めているうちに、いつの間にか僕はそんな方向に生きてました。
ー そして熊本での暮らしに行き着いたわけですね。
OTO 縁が繋がってラビと出会って、結婚して、ラビの父である正木(高志)さんの農園をふたりが引き継ぐことになって着地してます。3・11以降、正木さんを慕って、多くの人が農園に来ていました。『蝶文明』という本が出された後だと思います。葉っぱを喰いつぶしていく芋虫から、そういうことをしなくなる蝶へと意識が変容していくという次のビジョンです。地球を食い潰してきた物質文明の苦難からどうしたら救われてゆくのかという局面にあるのだと思います。僕のなかでアケミが「Superstar ?」をはじめじゃがたらで歌ってきたメッセージと、正木さんの『地球マユの子供たち』までの著作で書かれている生命平和のメッセージが重なりました。
ー 旅のなかで蓄積していった意識が、暮らすことによってさらに深化していったのですね。
OTO 深化は全然できないです(笑)。生活の端々で都会暮らしや人間中心思考の垢にまみれていたと気付かされました。森のある奥山暮らしに入ると、いかにそれらが無駄か勘違いかって思い知らされます。音楽の旅のなかで学んでいったのは「答えを生きる」ということでした。なるべくシステムに依存しないオルタナティブな暮らしの方法や技術はたくさん出ているけれど、大事なのはそれを実践することだと。正木さんがずっと伝えてきたグラウンディングの思想です。
ー 土からもらっているものってなんだと思います?
OTO 人間はほとんどのものを土や大地から収奪してばかりですよね。で、奪ってるくせにさらにゴミを返して汚してきた。せめてお茶やお米や野菜を作るときはそうならないように考えます。土からはもらってばかりですが、安心感じゃないかなあ。母なる大地というくらいで。朝目が覚めて家の前の畑や庭を見るだけで安心してうれしくなり、作物が育っているのを見て幸せな気持ちに満たされて安心する。土に触ると子どもの頃の記憶につながり安心する。土は水と同じく命の源。その源の恵みをいただける喜びと安心。リターン・トゥ・ザ・ソースですよね。ソース、出どころにつながっていないと、魂は浮遊して不安な状態にあるんじゃなかろうか。キッチンにはカマドがあって、料理には土鍋を使うし、土は身体の帯磁を除去して陰陽のバランスを調整してくれる。冬には部屋でオンドル(土壁の床暖房)の遠赤外線の保温力にあやかる。土があるから植物が育ち花が咲き、虫や鳥たちが暮らせる。そのなかで生きるのは心地良いです。
ー 土に触れるということは、いろんなことを考える時間にもなるように思います。
OTO 産業革命以降、工業化が進むことで人間は自然からどんどん切り離されてきましたよね。さらにこの先はどんどんVR化し、人間同士が直接会ったり集まったりする機会をなくそうとしている。様々なものがすでにブラックボックス化していてかなり気持ち悪い。そんな世界には僕は住みたくない。そのためにも土に触れる暮らしは大きな意味がありますね。土から離れればすべてをシステムに依存するしかない消費生活に否応なく組み込まれます。そのコースを選択してシステムを批判しても埒があかない。土に触れる生き方は闇からのエクソダスですよ。ラビから「新しい物語が欲しいのなら、自分の一番大切なものを捨てないと神様は新しい物語を用意してくれないよ」って言われたことがあるんですが、それが意識の変化と価値の変化の大きな転機となったフレーズでした。それまで、そんなことを考えたこともなかったから。
ー 一番大事なものはなかなか捨てられないと思います。
OTO 求める音楽のためにこれまでの音楽ばかりの時間を手放す。そして、まずは生き物として安心できる食べ物を自分で得ることから出直す。自分が大切にしてきたものと離れると、時間が急にたっぷりできたんですよね。それまでにあじわったことのない自由を感じました。何でもやれる自由ではなくて、何もしない自由は心身がかなり軽くなって面白い感じでした。執着がないときの開放(&解放)感ってこういう感じなんだって実感しました。
ー 執着を捨てるっていうことが、たぶん大切なことなんですね。
OTO 執着しているものへの問い直しはおもしろいです。「価値」なんかあってないようなものですから。森の暮らしに入った頃は、当時やっていたサヨコオトナラでもっといいギターを弾きたいという思いがありました。技術向上だけじゃない、生きているビジョンがリアルなギターのことだったのですが、その思いも手放したら暮らしそのものが音楽になって、結局求めていたものに出会えたように思います。手放したら与えられた感じです。
ー 暮らしのなかから生まれてくる音楽もきっとあると思います。
OTO 2020年のはじめ、アケミの30回目の命日に合わせて久々にじゃがたらのライブをやることになって、新曲も2曲ですが作りました。森での暮らしに入って10年が経って、この暮らしのなかから生まれた念願の音楽でした。ある方に、「じゃがたらの30年のインターバルを感じさせないくらいじゃがたらの曲でした」と言われたことがうれしかったですね。アケミが言い残していった「緑の時代」の音楽に、日々の暮らしを通して出会えたと思っています。
OTO
80年代の日本を疾駆した伝説のバンド、じゃがたらのギタリスト。ボーカリストでありバンドの中心的な存在だった江戸アケミが1990年に急逝したことでじゃがたらは解散した。その後サヨコオトナラを結成して音の旅へ。現在は熊本県菊池市のアンナプルナ農園を正木高志氏から引き継ぎ、自然茶などを育てている。じゃがたらは2020年にJagatara2020として再始動し、マキシシングル『虹色のファンファーレ』をリリースした。https://www.facebook.com/AnnapurnaFarmCafe/
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