【近藤能之(よつば保育園)】子どもたちの未来のための大人たちの今。

福島第一原発から北に30キロあまりの南相馬。ほとんどの人が見えない放射能の影響に不安になるなか、子どもたちの安心のために、様々な現実と対峙してきた。

文 = 菊地 崇 text = Takashi kikuchi
写真 = 宇宙大使☆スター photo = Uchutaishi☆Star


ー 2011年3月11日はどこで地震を体験なさったのですか。

近藤 保育園の2階にいました。強烈な揺れで、しかも長かったんです。7分も揺れていましたから。建物が平行四辺形になっているような感覚ですよ。倒壊するんだと思った。子どもたちは1階で昼寝しているから、倒壊したら子どもたちも押しつぶされてしまう。死なせちゃいけないって思って「止まれ! 止まれ!」って叫んでいましたよ。揺れが収まって下に降りていったら、起きなかった子が何人もいて。夕方になって親御さんたちが迎えに来て、誰ひとりとしてケガをすることなくお渡しすることができました。


ー その後原発事故があり、避難なさったのですか。

近藤 爆発の前から、なんかいよいよヤバいらしいよっていう噂が流れていて、避難がはじまったんです。僕は3月16日まで残っていました。福島市の避難所に行ったんですけど、南相馬のほうが放射線量が低かったんですよね。同じ南相馬でも、小高区は警戒区域で避難を強制された。保育園のある原町区は緊急時避難準備区域。自己判断で残ってもいいし避難してもいいし。自分で決めてくれっていう場所。


ー どうするのがいいのか、判断が難しかったのではないですか。

近藤 どれが正しい情報で、どれが正しくない情報なのかもわからない。放射能だって30年経たなきゃわからないって言われるけど、どこまで信じていいのかわからない。誰の心にも葛藤があったことは間違いありません。「大丈夫ですか?」ってよく聞かれました。自信を持って「大丈夫」と言える人はいない。自分で決めるしかないんですね。決めたことに関して応援はするけど、大丈夫かどうかは、保育園の先生であっても決められることではない。だから大丈夫という言葉は、震災以降一度も言ったことがないんです。何が正解なのかわからない。わからないなかで正解を自分たちで作っていく。


ー 保育園はいつ再開なさったのですか。

近藤 南相馬では震災直後も電気や水などのライフラインは大丈夫だったんです。市役所、消防、警察、病院は全部が残っていました。親御さんがそこで働いている子どもたちは、南相馬に残っているわけです。保育園をやって欲しいという要望がすごくあって。うちは認可保育園で、まだ保育園を再開してはいけないと行政から指示されたんですけど、いろいろ考えて、安全区域だった鹿島区で地域の集会所を借りて、臨時保育園として5月の連休明けから再開したんです。


ー そのときは何人くらいのお子さんを預かったのですか。

近藤 20人くらいでしたね。市内にある別の保育園にも声をかけて、一緒にやりました。南相馬に残っている子どもたちや保護者に安心してもらいたい気持ちでした。子ども同士で集まることで気持ちが安らぐんです。もっとも困ったのが給食でした。行政の指示を聞かずに再開したので、補助金が下りてこないため給食が出せないんです。そこで園のブログで「運送会社も入って来られない陸の孤島のような場所になっています。でも子どもたちに給食を出さなければならないので食材で助けてください。直接、食材を持ってきてください」って呼びかけたんです。最初に臨時保育園に物資を持ってきてくれたのが、石垣島のサーフショップの方々でした。石垣島の人たちもカンパしてくれたお金でトラックいっぱいの物資を届けてくれて、そこから支援の輪が広がっていって。


ー シンガー・ソングライターの東田トモヒロさんも、CHANGE THE WORLDという団体を立ち上げて、ずっとよつば保育園に支援を続けています。

近藤 南相馬のために、遠く離れた熊本で支援活動を続けることは、本当に難しいことだと思っています。それが10年経った今でも続いている。熊本の人たちが応援してくれているよって保護者に言うと、みんな喜んでくれるし頑張れるんですね。人から応援され続けることって励みになります。東田さんの場合は、農産物を送ってくれるだけではなく、園に来て、歌って、子どもたちと触れ合ってくれる。そういうのもうれしいんですよね。


ー この10年は長かったですか。

近藤 あっという間の10年でしたね。やらなきゃいけないことが、次々にあったし。早く事故から30年が経たないかなって今は思っています。身体に放射能の影響がなかったと言えたらいいですね。今はまだ不安を抱えて、その気持ちに蓋をして気にしないように生きているだけですから。安心と安全はイコールではないのです。


ー 福島で甲状腺異常のお子さんが多いというニュースを耳にすることもありますが。

近藤 少なくとも、うちの保育園では誰ひとりそんなことはないです。病院の看護師さんも保護者には多くいるんですが、そんな話を聞いたことがない。秘密にしようと思っても秘密にしておけることではないですから。低線量被曝によって健康被害が出るっていう親の子どもに対する贖罪の気持ちを、早く解消してあげたいなと思っています。だから保育園の除染もしたし、安心できる安全な食べ物を子どもたちに食べさせるということをずっと続けているんです。この10年で、人と人とのつながりという大きな財産を得られたのは確かです。そしてつながったひとりひとりにお礼を言いたいですね。コロナの試練が終わったら、ちょっと気持ちが楽になるように思います。子どもたちがいるからなんとかしなきゃって、大人はみんな思う。子どもたちのために大人が頑張るっていうのは当たり前のことですから。だから大人たちはもっともっと頑張らなきゃ!!と。自分にも言っていることなんですけどね。


近藤能之(よつば保育園)
「みんなと一緒に遊べるこども。思いやりのあるこども。創造性のあるこども」を保育目標にした南相馬市の保育園の副園長。保育園という両親の仕事を引き継ぐために、2009年に南相馬に帰参。保育園の給食は今も県外産の食材にこだわり、放射線量の測定も行なっている。東田トモヒロさんが立ち上げたCHANGE THE WORLDの支援先。https://www.yotsubah.com/


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