【鈴木伸忠(remilla)】自分たちのスペース(場所)での服作り。

自分でサンプルを作り、そのサンプルを着倒して、修正が加えられ、地元の縫製工場で商品として生まれる。そして人が着ることで服として完成する。

文 = 菊地 崇 text = Takashi kikuchi
写真 = 宇宙大使☆スター photo = Uchutaishi☆Star


ー 洋服作りをはじめたきっかけを教えてください。

鈴木 父親がシルクスクリーンの印刷の仕事をしていたんです。高校時代に自分の服が作りたくなって、シルクスクリーンでTシャツにならプリントできるんじゃないかって、父親と話したのがきっかけです。だからスタートしたのは高校時代なんです。


ー その後、服作りを学んでいく?

鈴木 ファッション系の学校には行ってないんです。漠然となんですけど、学校に行くより、縫製工場に入っちゃったほうが洋服作りを学べると思ったんですね。それで地元の縫製工場に就職したんです。働きはじめてから家庭用ミシンを買って。


ー 今も <レミーラ> のアイテムは福島の縫製工場で作られています。

鈴木 地元を意識しているんですかって聞かれることもあるんですけど、福島の工場で作ってもらうっていうことが自然な流れだったんです。自分の作った型紙を手に、現場で作る人に直接喋らないと伝わらないと思って。それなら通えるところがいいと。それが福島県内の工場だったんです。こういうところを大事にしていますという話は、直接お会いしたほうが早いので。僕はいわきで生まれ育って、自分たちの服作りの環境が、ここが最適なんです。だから福島にこだわったというわけではなく、福島がすごくやりやすい場所だったということです。だから変わらずに、ずっと福島の工場で作ってもらっています。


ー 自分でパターンも作って、サンプルも自分で作っているんですよね。

鈴木 自分で作ると、何度も試せますから。いろいろ試さないと、これがいいなってたどり着けないんですよ。サンプルは着倒していますよ。気になったところがあれば、サンプルをまた作って着てみる。ちょっとでも着にくかったら、誰だって着たくなくなるじゃないですか。長く愛用してもらえるものを念頭に置いています。

ー <レミーラ> のコンセプトを教えてもらえませんか。

鈴木 着た人の雰囲気とか人となりとかが出るような洋服を作られたらいいなって思っています。デザインであったり、素材であったり、色であったり、着心地であったり。その人が自分で選んだものを身につけることによって、その人の興味も浮き上がってくると思うんですね。洋服は個人個人のパーソナルな部分にも重要な役割を担っていると思っています。


ー これからはどんな服を作っていきたいですか。

鈴木 変わらないと思います。ただちょっとずつ意識が変わってきたところもあって、オーガニックコットンなどの天然素材がメインではあるのですけど、化学系の素材も少しは混ぜたりすることもありかなって思っています。例えばストレッチ性とか撥水性とか抗菌性とか。皮膚側にはオーガニックコットンを使って、外側にはもう少し耐久性のあるものを使うとか。いろんな素材を試したいと思っています。


ー 長く使ってもらうことが一番の目標にある?

鈴木 震災後に種子島に移住した先輩がいるんですけど、「着られなくなった <レミーラ> の服を、今は雑巾にして使っているよ」って。洋服として作ったものが最後には雑巾で終わる。これっていいなって。


ー 生地として最後まで生かされる。

鈴木 和服って、バラしていくと長方形の生地に戻っていくんですね。昔の人は自分が着たものを反物に戻して、子どものために小さなサイズのものに改めて作るっていうこともしていました。こういう考え方が、妙にしっくりきているんです。服として生まれ、服として終わらせるのではなく、もっと使ってみようかと試しているような人たちとも出会ってみたいですよね。行きっぱなしのデザインだけじゃなくて返ってくるデザインもおもしろいなと思うので。


ー 東日本大震災後、服を作るうえで変わったことはありましたか。

鈴木 ありがたいことに、作ってくれる工場さんも、扱ってくれるお店さんも変わらずに続いています。 <レミーラ> は できあがった商品を、水洗いしてから発送しているんですね。それは洗うことによって、縫い糸と生地が馴染んでいくので。その表情を出したくて。震災後に地元の久之浜小学校に九州の大学のチームが来て、気になったものがあったら調べますよって、放射線量を測ってくれていました。そこに持って行って、出荷する洋服を計測してもらっていましたね。そしたら心配ない数字だと。福島から来るものは放射能に汚染されているかもしれないという噂もありましたから。僕らの作ったもので、違う場所で少しでも放射線量が高くはなってほしくないじゃですか。地下水を洗い用に使っているんですけど、その水も調べてもらいましたし。原発事故によって、いわきも放射線量が確かに高くなりました。ここで生きていくには、それを理解して生きていくしかないんですよね。作業場がある場所は、自分たちでコンクリートで舗装したんですよ。ガイガーカウンターも買っていたんですけど、線量がかなり低くなりましたね。


ー 東日本大震災からの10年は長かったですか。

鈴木 いろんなことを思い出せるし、いろんなことがありましたけど、あっという間でしたね。よく「10年で戻った」というような言われ方をします。決して戻っているわけじゃないんですよね。10年でこんなに変わってしまったという印象です。この町で生まれ、この町でずっと暮らしています。震災で変わってしまったということに、ちょっと寂しく思ったこともありました。


鈴木伸忠(remilla)
ワークスタイルを軸に、一見シンプルながらも素材感やディティール、シルエット、さりげないところにこだわった、いわき発信の「MADE IN FUKUSHIMA」のブランドのディレクター。アイテムの縫製も福島県内の工場で行なわれている。高校時代のTシャツのプリントがブランドのはじまり。いわき市にフォーカスをあてたインタビュー・ドキュメンタリーDVD『FUKUSHIMA2021』にも出演している。http://remilla.jp/

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