【曽我部恵一】暮らしという日常のなかに、音楽がもたらしてくれる光。

緊急事態宣言がはじめて発出された直後にカレー店をオープン。店舗の前に立ちテイクアウトでカレーを売り、毎日を一生懸命に生きることで共有できた笑顔。そして自分というひとりに戻ったときの歌のありか。

文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi
写真 = 須古 恵 photo = Meg Suko


「カレーの店・八月」を下北沢にオープンさせたのは、緊急事態宣言が発出された直後でした。

曽我部 もう一軒お店をやっていたんですけど、姉妹店みたいなものをつくる計画がずっとあって、物件が見つかったのが、コロナの半年くらい前だったんです。準備して、カレーの味を決めて、じゃあオープンっていうときに緊急事態宣言になった。カレーの店をオープンさせたのはいいけど、お客さんをお店に入れられない。僕もお店の前に立って、テイクアウトでカレーを売っていました。最初はネガティブな要素ばかりが心のなかにあったんですけど、一日一日を一生懸命生きていたら、ちょっとずつ元気が出てきたんです。


 自分の暮らし、スタッフの暮らしを守ることが一番大切なことだと。

曽我部 誰もが生きるために仕事をしているんですよね。そして自分を守るのは自分しかいないっていうこともわかってきたし。悲観すべき要素はいっぱいあるんだけど、悲観してばかりいてもしょうがない。みんなでカレーを売る日々には笑顔も生まれていったから、笑顔があるのならいいのかなって思えるようになっていきました。


昨年12月に「シンクロニシティ」のライブで「Sometime In Tokyo City」を聞いて、絶対に曽我部さんにインタビューしたいと思ったんです。

曽我部 コロナ禍になって、最初は音楽をやっている場合じゃないって思ったんですね。朝からカレーの仕事をするとすごく疲れちゃうんですね。帰ったらすぐに寝ちゃうというような毎日だったんですけど、寝る前になんとなくギターを持ったら出てきたんです。曲をつくりはじめて2回目には録っていました。


ーそのときにはアルバムにするという思いを持っていたのですか。

曽我部 まったくないですね。新しい音楽をつくって自分が発表するという感じがなかったんです。聞いてくれる人が、新しい自分の歌を望んでいるのかわからなかったですから。ライブができなくなったことで、誰に向かってどういうふうに歌うんだっていうことが具体的に想像できませんでした。自分の記録のためにつくることって、かなり寂しいんだなって思いましたね。聞いてくれる人がいて、ライブで歌うことがあって、はじめてつくろうっていう気持ちが浮かび上がってくるんだなって。聞く人がいなくても自分の音楽は湧き出てくる、ものづくりもそういうものかなと思っていたんですけど、自分は弱かったですね。


12月にアルバム『Loveless Love』を発表しました。音楽も時代を映すアーカイブなんだって、このアルバムから聞こえてきたんです。

曽我部 今の時代の音楽をつくろうという意識はそんなにないのですけど、音楽は今の時代とか社会とかを反映すると思うので、そういう要素はあると思います。でも音楽って聞く人ありきなんですよ。聞く人のなかで社会性とか時代性とかが生まれてくる。自分もそうで、音楽ってそういうなかで鳴るもの。こういう意味を込めているんですよ、こういう社会性を描いていますよっていうつくり手の発信だけではなく、リスナーが時代性や社会性をそこに流し込めるのかっていうことなんだと思います。だからどんな音楽でも社会的だし政治的だし、時代性を持っている。


それでは曽我部さんが歌に託しているものとは?

曽我部 歌っていうのは、基本的には一輪の花みたいなものだと思うんですね。誰かが、わざわざ花を買う。本当はなくてもいいものだけど、それがあることで、生活のなかに優しさだったり潤いだったりが生まれる。音楽も同じで、自分の音楽が何かに機能していくっていうことは望んでいないというか、音楽を聞くことが、今日なり明日なりへのちょっとした生きる力添えになればいいと思っています。だからこういう時代だけど、時代を切り抜けるための魔法をこの曲に込めましたよって言うことはできないですね。今まで通り、自分の歌をつくって、それを誰かが聞いてくれて、心に何かいいものがちょっとでも生まれたらいいって願っているだけです。


早くライブが当たり前にできるようになることを願っています。

曽我部 久しぶりにみなさんの前に立ってライブをしたときに、「ここが原点」って思いましたね。早くライブが日常に戻ってきて欲しいですけど、ライブだけじゃなくて、毎日仕事をしている人たちの生活が戻るっていうことが一番大事で。ライブはその後だと思っています。


東日本大震災からもちょうど10年です。

曽我部 震災の後は、みんなで力を合わせて、みんなが共有できる考え方や生き方を目指していたと思います。でもコロナはちょっと違う。震災以降のことってまだ続いているから、自分たちでクリアできていない問題が、すごく明らかになったんじゃないかって。個人の後ろ盾がない人たちを国は守って欲しいと思います。自分たちを守るために国があるっていうことも自分たちで認識して、政治にも自分たちの思いをちゃんと伝えていかなきゃいけないと改めて思いましたね。


曽我部恵一:90年代初頭よりサニーデイ・サービスのヴォーカリスト/ギタリストとして活動をはじめる。95年に1stアルバム『若者たち』を発表。04年、自主レーベルROSE RECORDSを設立し、インディペンデント/ DIYを基軸とした活動を開始した。20年4月に「カレーの店・八月」を下北沢にオープン。同じビルの3階がレコードショップのPINK MOON RECORDS。同年12月に配信でリリースされた『Loveless Love』がアナログ盤とCDでこの4月に発売された。今年の「フジロック」にサニーデイ・サービス(21日)に加え、曽我部恵一(22日)での出演も発表された。http://www.sokabekeiichi.com/


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