島の素材を再生させるジャンベ。【木村優(太鼓と器KIMURANOKI)】

木村優(太鼓と器KIMURANOKI)
小笠原の素材を使って楽器や器を作りたい。捨てられてしまうのではなく生きていたものを再び別の形で生かす。島固有の自然を守り、文化にまでつなげていくためのも物作り。

文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi
写真 = 林 大輔 photo = Daisuke Hayashi


ー 島に来る前は、どんなことをしていたのですか。

木村 函館出身で北海道の自衛隊にいたんです。たまたま野生のイルカと泳ぐドキュメンタリー番組を見て、「一緒に泳いでみたい」って衝動にかられて。それでいろいろ調べたら、東京の学校でドルフィンセラピーというイルカの癒しの力を学ぶ学科ができたことを知って、自衛隊を辞めて入学したんです。卒業する際に、小笠原の野生のイルカと泳ぐツアーを運営する会社に履歴書を出して、期間限定の現地スタッフとして採用されて、島に来ました。


ー 現地スタッフとしてはどのくらいの期間だったのですか。

木村 半年でした。すぐに島を離れるのはもったいないから、もう少しだけいようと思って。1年くらいしたら島を出ようと思っていたんですけどね。


ー島が好きになってしまった?

木村 住んでいる人たちがおもしろいんですよ。すげえ個性が強い人たちがいっぱいいる。そこに魅かれたのが大きいですね。


ーそしてジャンベを作るようになっていったのですね。

木村 島に来て、農園を営んでいる方のジャンベを見たときに、めちゃかっこよくて、自分でもやりたいなって思ったんです。それでジャンベを買って、叩くようになって。僕はサーフィンもするんですけど、サーフボードがいっぱい並んでいるのを見るだけでドキドキしてしまうことってあるんです。ジャンベがいっぱい並んでいるのを見たときにも同じ感覚になって、どこで、誰が、どんなふうにって想像してしまう。純粋にこれを作りたいと思ってしまったんです。

ー最初に作ったジャンベのことを聞かせてください。

木村 島で伐採されたタナマという木があって、それをもらって掘りはじめました。誰からも教わることなく、仕事の合間に時間があればノミなどで掘っていましたね。2カ月くらいかかったかな。できたって思えたときはめちゃうれしかったですよ。木が自分の手だけで太鼓になったんですから。知らないことをひとつひとつ覚えていくなかで、やればできることもどんどん増えていって。いつしか、イメージできることは実現できるって思えるようになっていったんです。


ー何でもやれるし、やらせてもらえる素養が小笠原にはあるんですね。

木村 何かをやろうとすると、みんなが「それいいね、おもしろいね」っていう空気感が自然と流れている。基本的にできない理由を探すよりも、どうやったら実現できるのかっていう部分でコミュニケーションを取るんです。だからおもしろいし、刺激的ですよ。


ーそして工房も自分で作った?

木村 はい。ドアをどう作るのかとか窓枠をどうするのかも、自分で考えながら。そのお陰で「やればできる」がさらに集まりましたね。

ー今後はどういうジャンベを作っていきたいと思っているのですか。

木村 島の木、島の皮を使ったジャンベを作っていきたいと思っています。島の木とは公共事業などで伐採された外来種や使われない木のことで島の皮とはヤギのこと。このふたつの材料があれば、ジャンベは作れるんですから。今は野生化してしまったヤギを処分するという方向にしか動いていません。処分するヤギを有効活用できないかって思っているんです。皮だけを使うっていうのも変な話だと思うので、食用としても活用できるように屠殺場も作って、ヤギを新たな島の産業として生かしていくっていうところまで持っていきたいなって思っています。これを村にどう認めてもらうか。


ージャンベが小笠原の島の楽器になるなんて素敵なことじゃないですか。

木村 外来種を伐採したり駆除したりすることは、島固有の自然を守るためにはとても大切なことです。ただそこだけで終わってしまったのでは、なんか気持ち悪いなって思ってしまう。ヤギだって、自分の意志で小笠原に来たわけじゃないですから。「いただきます」って想いを大事にしたい。命を違うものにして生かすっていうことを、小笠原という島で形にしたくて。


ーそれができれば島の文化にもなっていきそうですね。

木村 島のジャンべで、島の子どもたちと一緒に叩いていきたいですね。作るだけではなく、島の子どもたちにジャンベを、音楽を好きになってもらいたい。あっ! あと、最近は島の木で器作りもやっています。太鼓も器も島の日常に自然と溶け込むモノになったらうれしいですね。気がついたらうちにもあった、いや普通っしょ。みたいな感じになるのが夢ですね(笑)。

木村優
ツアー会社の半年間の現地スタッフとして24歳のときに来島。別の仕事を見つけて、そのまま島暮らしを続けている。小笠原でジャンベと出会い、ジャンベを島の楽器として作ることを決意。鹿児島でジャンベ製作を習い、旋盤の技術も学んだ。太鼓と器KIMURANOKIを設立。島の木材を使った物作りを目指している。https://www.kimuranoki.com/


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