数々のアーティストと音楽作品を作り、ライブで共演してきた。40年以上にわたるキャリアのなかで、はじめて自分の作品(ソロアルバム)を発表すること。それは積み上げてきたものを並べ、そして削っていく作業。そこに自分発信の音楽が確かに残されていた。
文・写真 = 菊地 崇 text・photo = Takashi Kikuchi
ー2024年12月に森さんの初のソロアルバムがリリースされました。作品を作ろうと思ったきっかけを教えてください。
森 2020年にコロナ禍になって、ミュージシャンはみんな暇になったじゃないですか。それで時間ができたこともあって、「自分のことをやらないと」と思ったんですね。プロデュースをしたり、アレンジをしたり、誰かとバンドを組んだり。そろそろ本腰を入れて自分の名前で作品を出さなければなって。コロナ前から構想はしていたんですけど。
ーどんなアルバムにしたい、どんな音楽にしたいとか、コンセプトを明快にしてからの制作だったのですか。
森 2024年の12月で60歳になりました。バンドをやりはじめたのが中1だから、50年近くは音楽を続けているわけです。60歳を目前にして、本当に好きなもの、本当にやりたいと思っている音楽にもう一回ちゃんと向き合い直そうと思ったんです。そしてそれらを全部並べてみたんです。結局、20曲ぐらいできて。
ーそもそも森さんのバックボーンにあるものはどんな音楽なのですか。
森 3歳の頃からクラシックピアノを習っていたんですね。小学校に上がるくらいにエレクトーンという鍵盤楽器が世の中に出てきて、ピアノとともにエレクトーンも習うようになったんです。クラシックピアノとは違って、エレクトーンの教材は当時流行っていた洋楽でした。ビートルズやカーペンターズ…。ベルボトムを履いているようなヒッピーっぽいファッションをした先生だったのですけど、その先生が教材に載っている楽曲のレコードを買ってきて聞かせてくれて。その音楽がめちゃくちゃかっこいいなって思ったんです。それが自分のポピュラー音楽の原点。クラシックも原点にあるんですけど、どんどんそっちに傾いていったんです。そして中学ではバンドを組んで。
ーそのバンドではキーボードを?
森 いえ、ギターです。70年代の音楽ヒーローは、すべてギタリストと言っても過言ではないですから。
ー70年代でバンドでギターを手にしたということは、当然のようにロックバンドだった?
森 大阪なので、リハーサルスタジオとか楽器屋さんに行くと「ウイルソン・ピケットを聞かないとダメだろ」とか「ダニー・ハサウェイが一番」と言うようなおっさんやお兄ちゃんがいっぱいいたんですね。そういう人たちから、いろんな音楽を教えてもらって。それでロックのルーツのひとつでもある黒人音楽に傾倒していったんです。僕は1964年生まれなんですけど、70年代と80年代の音楽をリアルタイムに体験している世代です。とにかく片っ端からいろんな音楽を聞いた。当時聞いていたものって、しっかり血となり肉となっていますね。
ー音楽の歴史から考えるといい時代だったと思います。
森 今でもパッと弾くと、その頃のテイストが出てきちゃうんですね。いろんなジャンルがクロスオーバーしていった時代でしたし。混じったものがいっぱい出てきて、それがかっこいいなって思っていた世代です。それを自分のはじめての作品では素直に出していこうと。
ーそして20曲が生まれたんですね。
森 20曲を並べて「ちょっと違うかな」っていうものを引き算していったんですね。そして12曲が残って。
ーこれは違うというポイントはどういうものだったのですか。
森 残った12曲も、ジャンルとしても方向性もバラバラなんですけど、それでも僕の顔が見えるっていうか。自分らしさみたいなものが出ているかどうかということがひとつの指標になっていますね。
ー自分らしさを見出すことは、ある種プロデューサー的視点でもありますよね。
森 ずっとサポートだったり、人を立てる作業をしてきましたから、自分がいったい何者かっていうことがつかみにくかったのは確かです。全部を洗いざらい出してみて、なんとなくジワーッと滲み出てくる。そんな感じでしたね。
ー森さんは佐藤タイジさんとのザ・サンパウロやドラマーの沼澤尚さんとのDEEP COVERなどダンスミュージックでも存在感を放っていました。そんな森さんのソロであれば、そんなダンスミュージックも含まれると勝手に思っていたのですが。
森 逆にそこを追随しないようにしたんですね。新しく提出される音楽は、何かしらアップデートされたものが入っていなきゃって思うんです。言い方が変かもしれないけど「お前、若作りしすぎだよ」って言われるより、「いい年の重ね方をしたね」って言われたほうがうれしいと言いますか。
ー森さんはいろんな世代のミュージシャンとも一緒に音楽を作っています。
森 自分の作品をアルバムとして残すのなら、僕らの世代がやるべきことは今の時代の潮流を提出することではないと思うんです。音楽ってすごくアナログなもので、人間性だったりキャラクターが如実に出てくるものなんです。生きてきた人生そのものが出てくるのですから、嘘がつけないっていうか。そんなアルバムにしたかったし、そうなっていると思います。
ー自分と向き合って、新たな発見はありましたか。
森 器用にいろんな音楽をやってきたタイプなんですね。広げることよりも、自分の音楽というものを、狭く、そして深く追求するようになりました。それを制作することによって教わったような気がします。アーティストは人生をかけて自分の音であり表現を掘り下げていく。それが今回やってみてはじめてわかりました。その意味で、還暦を迎えての初アルバムですけど、作って本当に良かったと思っています。
『azurite』
森 俊之
ピアニスト、キーボード・プレイヤー、アレンジャー、コンポーザー、サウンド・プロデューサーとして、数多くのアーティストと共演する。ジャンルやスタイル、世代を超越した音楽性、音響&ダンス・トラック・メイキングからフル・オーケストラのスコア・ライティングまで、その振り幅の広さと柔軟な姿勢、際立つサウンド・キャラクターに定評がある。音楽家としてのおよそ42年の集大成とも言える初のソロアルバム『azurite』が2024年12月4日にリリースされた。そして2026年1月にはアルバムのリリースツアーが行われる。https://azuritelab.com/
Toshiyuki Mori “azurite Tour 2026”
森俊之 (Key)/Gakushi (Key)/松原秀樹 (Bs)/沼澤尚 (Dr)
guest 吉田美奈子 (Vo) (東京&大阪のみ)
2026年2月8日(日)大阪・Billboard Live大阪 (Guest 吉田美奈子)
2026年2月10日(火)広島・BLUELIVE広島
2026年2月11日(水) 福岡・ROOMS
2026年2月13日(金)京都・磔磔
2026年2月20日(金)東京・目黒Blues Alley Japan (guest 吉田美奈子)
2026年2月21日(土)東京・目黒Blues Alley Japan (guest 吉田美奈子)
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