自由は自分でつくるもの。【BEAUTIFUL PLANET(西林浩史)】

年代後半から新しいミレニアムに入った頃。日本にスケートボード・カルチャーを広めた大きな要因のひとつがシューズブランドの「IPATH(アイパス)」だった。そのカルチャーを再び魅力あるものに進化させるために「Beautiful Planet」が生まれた。

文・写真 = 菊地 崇 text・photo = Takashi Kikuchi


ー2000年代初頭に、スケートボードシューズ・ブランドとして人気を集めたアイパス。日本でのアイパスの人気は、当時の輸入代理店だった西林さんの功績が大きかったと感じていました。シューズを売るだけではなく、カルチャーとして広めたというか。スケートボード・カルチャーとはどんな出会いだったのですか。

西林 1992年にスノーボードなどを扱っている輸入会社を辞めた後、自分で輸入会社をはじめようとして、はじめてアメリカに行ったときに、街に溶け込む「カッコイイ」スケーターたちを見たときでした。


ーアイパスとの関係はどのようにはじまったのですか。

西林 99年4月。取り扱っていた、SUPERNAUT(スーパーナウト)というスケートボードブランドの日本ツアーで、アメリカのプロライダーであるマット・ロドリゲスとマット・ペイルズが来日した際に、彼らが履いていたのがアイパスシューズでした。この出会いがきっかけでアイパスを知り、99年秋の展示会でアイパス社のブースに行き、取引を申し込みました。話はすんなり進み、その場で日本の代理店として活動することが決まりました。


ーツアーではどういうことをやっていたのですか。

西林 基本的にはスケートボードショップに行って、お店の近くのスケートパークでデモンストレーションをして、ローカルのスケーター達との交流をしました。アイパスUSAライダーとのツアーは毎年行っていました。大都市だけでなく、北海道から沖縄まで、ほぼ全国をまわりました。


ーそのツアーによって、アイパスが、スケートシューズ・ブランドとしてだけではなく、カルチャーとしても広がっていったのではないですか。

西林 ツアーの影響は大きかったと思います。やはり、すべては出会ってからはじまるので。でも一番の理由は、カルチャーとして広がれる可能性がアイパスにあったということと、僕がアイパスをカルチャーの方向に進めて、それを「良い社会創り」へつなげたいという意志があったからだと思います。今になって振り返ると、99年って大きな変わり目の年だったんですね。


ーそれはどういうところがですか。

西林 アイパスが人気になった理由のひとつが、ヘンプ素材をスケートシューズに使用したことです。90年代前半に第1次ヘンプブームがマナスタッシュなどの「ヘンプアウトドア」を軸にはじまり、ヘンプ素材が注目されるようになりました。そして99年に誕生したアイパスがヘンプ素材をスケートボーダーたちに広め、第2次ヘンプブーム「ヘンプストリート」が広まって行きました。同じ年代に誕生した、サトリ、リビティもこの「ヘンプストリート」を創り出したブランドです。またスケートボードシューズ自体も、アイパスがきっかけで、ハイテク人気からローテクに変わりました。

ー日本のアイパスは、ミュージシャンやアーティストもサポートしていました。

西林 アイパスの方向性、ライダーたちの好きな音楽や思想が、音楽ならレゲエ、ダブ、ジャムバンド。思想としては環境配慮、オーガニックやベジタリアン、愛と平和、お互いを認め合うだと思い、共通する活動家をサポートしました。それで、まだフェスとは呼ばれていなかった野外イベントやマーケットにも出店していました。


ーその日本でのマーケットの開拓がカルチャーにつながっていったと思います。

西林 日本で、アイパスを通してスケーター、スノーボーダー、BMX、サーファー、アーティストや活動家たちとのつながりで広がった、目に見えない「緩そうに見えるけどしっかりつながっている」コミュニティの力は、アイパスのUSAライダーたちや、世界でのアイパスのブランド認知に多大の影響をしたと思います。


ーマット・ロドリゲスとともに、新たにビューティフル・プラネットを立ち上げたのはどんな思いがあってのことだったのですか。

西林 2000年代後半、アイパスが買収され、マット・フィールドを含む、アイパスの文化をつくった主要ライダーたちが離れていきました。アイパスはその後数年は続いた後に消滅してしまいました。ブランドコンセプトと真逆の、投資家による、投資の対象となってしまったのです。アイパスを軸につくってきた「緩い結束のコミュニティ」もブランド消滅とともに薄くなりました。それをまたビューティフル・プラネットでつながりを再生し、広げていければと。


ー確かに軸があったほうが繋がりやすいですよね。これが好きなんだという共有したもの。

西林 人を結びつけるのに、ひとつのプロダクトがあったほうがいいんですよね。アパレルでもシューズでも、形があるものが。


ーその結びつけるための軸になるものが、西林さんにとってはシューズだったと。

西林 そうですね、やはりアイパスからの流れもあり、シューズになりました。


ービューティフル・プラネットを立ち上げるにあたってのコンセプトはあるのですか。

西林 はい「ラブ&ピース」です。 


ー今の時代だからこそのラブ&ピースですね。

西林 愛と平和は、日本の文化の根底にはあるものだと思っていたので、僕はあえて口にすることをしてこなかったのですが、今の世の中をみたときに、愛と平和を主張することはとても大事だと思っています。


ー最初はひと型からのスタートですね。

西林 ひと型で1色のみ。一球入魂で行こうと僕は思ってます。「これは」っていう型を作ったらそれをずっと売っていく。いろんな型を作っていくとなると、デザインも消費されていくわけじゃないですか。そうじゃなくて生まれたひとつを大切にしていこうと。不特定多数に広げるのではなく、自分たちのノリが好きだっていう人のに対し伝えていこうと思います。みんな、またツアーするのでミーティングしましょう。

Catalyst : カタリスト: 触媒、きっかけ: Matt Rodriguez model


BEAUTIFUL PLANET
西林の10年以上に及ぶ構想ののち、コロナ禍の2021年より本格的に始動。2023年からMatt Rodriguezとシューズの開発を進め、2025年にファーストモデルの「カタリスト」マットロドリゲスモデルの発売が開始された。スケートボードカルチャーをベースに愛と平和と生命のもつ美しさを横に繋げいく活動をしていくという。https://beautiful-planet.jp/

TOMMY GUERRERO THEN AND NOW JAPAN TOUR 2025 WITH JOSH LIPPI, MATT RODRIGUEZ

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