ナナオサカキの詩を読む。ナナオサカキの詩を聞く。自分の周りから宇宙へ。そしてまた自分のもとへ。 そんな旅に誘ってくれる詩への畏敬と拒否。ヒッピー的な生き方に疑いを持ってしまう世代の社会と自分の関係性。
文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi
写真 = 須古 恵 photo = Meg Suko
ー まずふたりの出会いというか、関係を聞かせてください。
ikoma 胎動LABELというレーベルを主宰していて、ポエトリー・リーディングなどのイベントを運営しています。彼女が大学生時代に、詩人として活動している場でたまたま出会って。自分のイベントに出てもらって。それから7〜8年くらいになるかな。
くじら 自分の表現のはじまりは、詩の朗読でした。ひとりでの朗読とは別に、ギタリストと一緒にアンチトレンチというユニットを組んでいて、胎動LABELのイベントにも出演させ
てもらっていました。
ikoma くじらは30代になった?
くじら 今年でちょうど30歳になりました。
ikoma 俺は40代になって、ちょうど10歳くらいの違いがある。アレン・ギンズバーグやゲイリー・スナイダーといったビートニクから直撃された日本の詩人は俺よりも年上の世代だけど、くじらはその世代の人たちとも活動を一緒にすることも多いよね。
くじら 選んでいるみたいな気持ちは全然ないんですけど、仲良くなったり、かっこいいなと思う人は、どこかでその系譜に関する人だったりというのが多いと思います。
ikoma ビートニクの詩人たちの登場によって、ポエトリー・リーディングは行われるようになった。日本で若い世代でポエトリー・リーディングをやっている人もいるけど、ビートニクや、今日の主題であるナナオサカキさんや長沢哲夫さんといったヒッピー世代の人たちの詩に、触れていない人も多いように思っていて。
くじら 少なくとも、私は世代的には全然違いますね。アレン・ギンズバーグは、自分がポエトリー・リーディングをはじめた後になって知って。古本で買って、読んでみたらすごくかっこよかった。
ikoma 大学時代に触れてはいたんだね。
くじら 触れたっていう程度。アレン・ギンズバーグの詩はすごく好きで、元気がないときに、家でひとりで「吠える」を朗読すると、すごく元気になる(笑)。
ikoma ギリギリ、くじらがビートの流れの一番下につながっている気がしなくもない。本人が「私はビート詩から来てます」って口にすることはないだろうけど。
くじら 劇団どくんごという劇団がありまして、そのどくんごの10年来のファンなんです。詩を書きはじめる前からどくんごを見ていて。自分が身体を使ってパフォーマンスする、声を使ってパフォーマンスする、自分の書いた言葉を持って人前に立つっていうことの前提に何があったのかって考えると、どくんごなんですよ。
ikoma そうなんだ。
くじら トラックにテントを積み込んで、全国各地に移動して、テントを張って、劇をする。劇の旅。助成金をもらうわけでもなく、全国に支援者がいる。何かをするときに、どくんご的じゃなきゃいけない、みたいな思いがちょっとあるんです。国とか、大きなものに頼らずに自分たちの表現の場を作っていくとか、社会のなかでの暮らしの方法を作っていくとか。表現することによっていろんな人と出会って、旅をしていく。友達同士の関係でも、利益だけではないつながりを作っていくことに対しての尊敬する心など、どくんごから培われていることが多いんです。
ikoma ある種のカウンター的な資質がそこにあるという。くじらにとって、詩を書くこと、詩を朗読することって、実はカウンター・カルチャー的な部分もある?
くじら 普通に、一生懸命生きていこうとすると、必然カウンターになってしまう。私が世界を押し返しているのではなく、まず世界が私を押し返すことからはじまっていて、その押し返された先で生きていくことがカウンターなら、カウンターなんでしょうね。
ー ふたりがナナオサカキの詩に出会ったのは?
くじら 埼玉県の桶川でナーガ(長沢哲夫)さんが出る詩のイベントがあって。そのときに、桶川に住んでいる詩人の新納新之助さんが、ナナオさんの詩をカバーしていたんです。
ikoma きっかけは、いとうせいこう is the poetsのライブでせいこうさんがナナオさんの詩を引用していた。「このかっこいい詩はなんなんだ」と思って。いつまでも通じる詩というか。誰がカバーしても、その言葉が持っている魔力というかエネルギーみたいなものが伝わってくる。
くじら ナナオさんの「ラブレター」をナーガさんのカバーで聞いたときは、人間という存在があって、それが社会的でも物理的でもあるっていうことを、確か谷川俊太郎さんが書いていたんですけど、それを実感して。ナナオさんの詩は、社会的な存在としての自分をいきなり飛ばして、宇宙にぶつけてしまう感じ。宇宙的な存在としての自分っていうところに、
一気に行ってしまう。その良さと信頼のおけなさをすごく感じることがあります。
ikoma 信頼のおけなさというのは、もうちょっと私性があってもいいということ?
くじら 存在のこととか生命のことが宇宙まで行ってしまえば、肯定できてしまうことっていうのはいくらでもあるけど、それが個人のレベル、社会のレベルのときには、そうそう簡単に解決しない。自分では「生きているってことはよろしい」と言えても、他人にはそれは言えないとか。詩を読んでいない、書いていない他人には、そういうことは言えないっていうことが、自分の暮らしの感覚にはあって。半径1メートルの円からはじまって、10メートル、100メートル、1キロと拡大していく。それが最後には宇宙までいくっていうことが、何かを語り落としているような気がして。
ikoma 個人を飛ばして、個人より大きなものが書かれている詩。それがナナオさんのおもしろさだし、自分たちの世代にはない視線だと思った。
くじら 正直に言うと、日本のヒッピー文化って、すごく胡散臭い印象を持っているんです。閉鎖的なものでもあるっていうイメージ。でもアレン・ギンズバーグはそうじゃないっていう感じもあって。アメリカが遠い社会だから、そう受け取っているのかもしれない。ギンズバーグの詩は、詩を書いていない人や読んでない人の方にもちゃんと向いているし、現実にある問題にちゃんと向いているという自分のなかでの線引き。ビートニクとヒッピー文化は切り離せないと思いつつ、アメリカのヒッピー文化と日本のヒッピー文化を、なんとなく分けていた。あらためて読んでみると、そんなことはないんですけどね。ナナオさんの詩は、ものすごく社会的だった。それはイデオロギーを持っているということじゃなくて、社会のなかで立っている自分みたいな。
ikoma 俺と同世代、あるいはくじらの世代は、個人のことを多く書いているように思う。社会のなかの自分。でもナナオさんの詩は、個人より大きなものからはじまっている。
くじら カルト的なものへの危機感が強い世代なんですね。サリン事件の頃に生まれた世代なので(笑)。
ikoma 俺は小学生だった。
くじら そしてSEALDs世代。生きづらさみたいなところからはじまっている。大きな資本主義的なものに乗っかっていくこともできない。かといって小さな共同体も信用できない。
ー ビートニクの詩人たちと同様に、ナナオもよく詩を朗読していました。目で読む詩と耳で聞く詩。その線引きはしているのですか。
くじら 声で聞ける詩と文字で読む詩を、私はそれほど区別していないんです。それぞれのどちらかで映えるレトリックみたいなものはありますけど。ナナオさんの詩は読みやすいと思います。詩以外のことでも、生きてきた人の詩なんだと思います。そして自分が死んだら、詩も終わっていいと思っている人の詩だなって感じがしています。
ikoma 確かゲイリーさんが「ナナオの詩を読め」というような言葉を残しているんだけど、それに対してナナオさんは「俺の詩は読まなくていい。自分の詩を書け」と。
くじら 「こんな詩だったら書けるかも」と思える詩が、いい詩なんだと思っています。そしていろんな人と一緒に読める詩。例えば不登校の中学生と一緒に読める詩。ナナオさんの詩って、誰とでも一緒に読めるんですよね。
ikoma 穏やかな言葉なんだけど、圧倒的な強度みたいなものがあると思う。
くじら 宇宙とつながるみたいなことがカウンターとして機能していた時代だったんだなっていう冷めた目線もあるんですね。もはや抵抗することさえ信じられなくなったっていう感覚がすごくあって。集団が信じられなくなった以上、個人にばらけていくみたいなところから、いかに健全な集団を回復していくかみたいなことが、今はまず必要な気がしていて。今の時代に、ナナオさんの詩がどのように受け入れられていくか。かつて受け入れられていた時代とは違う様相があるんでしょうね。ナナオさんの何かを受け取る。それはもしかしたら信じないということなのかもしれないけど、信じないっていうことは少なくとも信じていたみたいな感覚を受け取るっていうか。今はそれさえ無くなってしまった後という感覚で生きているわけですから。
向坂くじら
詩人。国語教室ことぱ舎(埼玉県桶川市)代表。2022年に第一詩集『とても小さな理解のための』を刊行。Gt.クマガイユウヤとのポエトリーリーディング×エレキギターユニット「Anti-Trench」で朗読を担当。谷川俊太郎トリビュートライブ「俊読」、<ウエノ・ポエトリカン・ジャム>などに出演。2024年、初小説となる『いなくなくならなくならないで』を発表し第171回芥川龍之介賞候補に選ばれた。https://kotopa.com/
ikoma(胎動LABEL)
「ジャンルの壁を越える」をテーマにしたイベントレーベル胎動LABELを主宰。これまでに国内最大級の詩の野外フェス〈ウエノ・ポエトリカン・ジャム〉、詩と本の野外フェス〈POETRY BOOK JAM〉などを企画。いとうせいこう is the poetとイベント〈Live Dub Jam〉を開催するなど、様々なジャンルを融合させながら言葉の表現を追求してきた。「渋谷のポエトリーラジオ」ではパーソナリティを務めるている。http://taidou.urdr.weblife.me/index.html
生前残したのはたった3冊の詩集にもかかわらず、世界17カ国で翻訳され、アレン・ギンズバーグやゲーリー・スナイダーらビート詩人にも愛されたコスモポリタン詩人、ナナオサカキ。世代を超えて愛された、放浪の詩人の生誕101年を機に、いとうせいこう、不破大輔(ex渋さ知らズ)、ロバート・ハリス、アシッドセブン、辻信一から、なのるなもない、GOMESS、向坂くじらまで、ALL世代の詩人、作家、ミュージシャンらが集い、謳い騒ぎ交わる一夜です。
開催日時:2024年12月6日(金)18時〜
会場:渋谷LOFT9(東京都渋谷)
出演:長沢哲夫(ナーガ)、いとうせいこう、不破大輔(ex渋さ知らズ)、アシッドセブン、向坂くじら、GOMESS、ロバート・ハリス、辻信一、谷崎テトラ、TAYLOR MIGNON、SHIBUYA オープンマイク バンド、村田活彦、Cut SUIKA(toto・ATOM)、なのるなもない、新納新之助、
西聖夜、上野ガイ、ほか
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