10代の頃に新宿・風月堂でナナオサカキと出会い、 一緒に旅に出てもいた長沢哲夫。ナナオサカキの詩を、今も自身のライブで音源にのせて読むいとうせいこう。旅と詩とナナオサカキを巡るふたりの対談。
文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi
写真 = 北村勇祐 photo = Yusuke Kitamura
いとう ナナオサカキさんのことをお話していただく前に、まずはナーガ(長沢哲夫)さんのことをお聞きします。どちらの生まれですか。
長沢 東京の新宿区です。早稲田大の近く。戦争中は岩手に疎開していましたが。
いとう 岩手に疎開なさっていて、終戦後に東京に戻ってきた?
長沢 小学校に入るので帰ってきたんです。6歳か7歳か。いとう どんな子どもだったのですか。本をよく読むとか、いたずら好きとか。
長沢 遊びまくる子でしたね。いとう そして大学に行った?
長沢 いや、大学には行っていない。
いとう じゃあ、何をなさっていたのですか。働いていらしたのですか。それともフラフラしていた?
長沢 結局、風月堂にはよく行ってましたね。
いとう 新宿とお聞きして、風月堂が出てくると思ったんです。当時は風月堂に行くような流れってあったのですか。
長沢 そういうものじゃないんだけど。中学で知り合った友だちのおじさんが、よく風月堂に行っていた。たまたまなんかね、行ってみないかって誘われて。彼と一緒に行ったのがは
じまりで。
いとう 中学生で風月堂デビューですか。すごいですね。ハイミナールを飲んでグズグズになっていた人もいたという話を聞きますけど。
長沢 ぼくが行ってた頃は、そういうのは全然なくて。とにかくクラシックを聴きたい人が行くお店。ぼくは読書しながら音楽を聴いていましたね。
いとう その本は買ってきたものだったのですか。それとも借りてきたもの?
長沢 借りてくることもあったね。国会図書館に行ったり、インド大使館の図書館に行ったり。高校を中退してすぐの頃。
いとう インド大使館の図書館で借りたものはサンスクリット語?
長沢 いやいや英語の本。なんとか辞書をひきながらね。サンスクリット語の本はなかったね。
いとう すごい。詩もあったのですか。
長沢 読んでいたインドの本は、詩に含まれるんだろうね。長い詩。そもそも漢詩が好きでね。風月堂で読んでいたのは、まず漢詩だったね。それからインドの詩にはまり込んで。その後、ランボーの詩に出会いました。
いとう やっぱり詩なんですね。詩の一番の入口はどこだったんですか。中学生くらいに「詩がおもしろい」ってなったわけじゃないですか。しかも和歌ではなく漢詩からという。
長沢 ちょっと読んだら気に入っちゃった。
いとう 友だちは理解してくれたんですか。
長沢 同世代の友だちはいなかったから。
いとう それで風月堂で仲間というか友だちを見つけたってことですよね。ナナオさんとか。
長沢 ぼくみたいに、毎日のように来る人たちがけっこういたんだよね。話すわけでもないのだけど、いつの間にか友だちになっていた。ナナオの出会いもそんな感じだったよ。ナナオとナナオの友人の彫刻家が個展をやっていて、それに来ないかって声をかけられたのが、ナナオと話すようになったはじまり。個展では大きな字でガーッと書かれた詩が掲げられていた。
いとう 詩と彫刻って、先端のミクスドメディアですね。その頃はナーガさんは10代?
長沢 17歳か18歳。
いとう すごい早熟ですね。ナナオさんは何歳くらいだったのですか。
長沢 ずっと上ですよ。30歳以上だったね。
いとう ナナオさんは詩を書く、ナーガさんは詩を読む。当時の風月堂周りには、他に詩を書いたり、読んだりする人がいたのですか。
長沢 いたんだろうけど、ぼくは出会わなかったね。。会ったのはポン(山田塊也)とか山尾三省とか。
いとう 60年代の新宿文化圏と言えるものがそこにあったのですね。そして日本のヒッピーが生まれていった。
長沢 ぼくらはヒッピーという名前は使っていなくて。けっこうな人数の知り合いができて、ときどき集まっていろんなことをやっていたから、ナナオが「自分たちのことを何と呼ぼうかね」ということを提案してきた。そしてナナオが言い出したのが「バム・アカデミー」。乞食学会。それでいいだろうっていうことになって。いとう ヒッピーとは違う?
長沢 ヒッピーのことを語るのならゲイリー・スナイダーのことを出さなきゃいけない。ゲイリーはそもそもがビート。風月堂で知り合ったオーストラリア人が、京都でインド帰りのゲイリーと一緒になったらしいんですね。ナナオのところに連絡が来て、京都にこういうおもしろいアメリカ人がいるから会いに行けと。
いとう 有名な一幕ですよね。
長沢 ナナオと僕のふたりで行って。ちょうどアレン・ギンズバーグもインドから帰って来たばかりで、ゲイリーのところにいた。
いとう ビートの二大巨頭に会っちゃったわけですね。
長沢 そう。それでゲイリーがアメリアに戻ってから、ビート関係のもの、本とか雑誌とかをいろいろ送ってきてくれた。
いとう その後もゲイリー・スナイダーとかアレン・ギンズバーグとか、ビートの人たちに会う機会はあったのですか。
長沢 ゲイリーとは会ったけど、アレンはそのときだけ。ナナオはアメリカでアレンと会っているけどね。ゲイリーがナナオをアメリカに呼んだから。
いとう ナナオさんをアメリカまで呼ぶ。ナナオさんの、どこに魅力というか、力を感じたんだと思いますか。
長沢 どうだろう。ナナオが愛される自由人だったということじゃないかな。
いとう ナナオさんとはいろんなところに一緒に行ったのですか?
長沢 新潟から風月堂に来ていた若い男の子から、「新潟に来ないか」っていう話になって。「自分の家に泊まればいいから」と。風月堂で知り合ったイギリス人とナナオとぼくの3人でヒッチハイクで新潟に行った。けれど呼んでくれた彼はよかったんだけど、お父さんとお母さんはいい顔をしなくて。
いとう いきなり不思議な風体の人を連れてきたわけですからね。当時のナナオさんは何をして稼いでいたんですか。
長沢 何もしていない。知り合った女の子に食わせてもらっていたかな。
いとう 仲良くなって、ご飯を食べさせてくれないか、泊めてくれないかという感じで。モテたんですね。
長沢 モテてたよ。女の子が5〜6人も風月堂で待ってたときがあったから。ゲイリーと会った後にぼくらは鹿児島に向かった。もちろんヒッチハイクで。ナナオは鹿児島の人だったからね。鹿児島からもっと南に行こうということになって。
いとう 諏訪之瀬島ですか。
長沢 そのときは奄美大島だったね。いろんな島に行ったな。
いとう 島には船で行くしかないですよね。陸のようにヒッチハイクできるわけがないし。
長沢 船を出している船舶会社に行って、「こうやってヒッチハイクで旅をしている。船もよろしく」ってお願いしたら、「はい」と一発で返事をもらえて。あのときはまさかと思ったけどね。それで船に乗れるようになったから、毎年のように島に行って。船長さんが僕らの顔を覚えていてくれて、毎回「またお願いします」と。
いとう 本当にすごいですね。ナナオさんはナーガさんに対してどんな接し方だったのですか。話す口調とか。
長沢 最初は「です、ます」で話してくれたけど、そのうちタメ口になったね。
いとう それはナーガさんも?ふたりは10歳以上も年齢差があったわけですよね。
長沢 風月堂にいると上下関係がないというか。それが当たり前だったんだよね。
いとう ナナオさんとは、どういう話をしていたのですか。
長沢 どういう話をしたかな。忘れたね。
いとう 詩の話もしていたんですか。
長沢 詩の話はほとんどしない。ナナオが詩を書いている姿も、ほとんど見たことがないね。ナナオとは一緒にいることが多かった頃もあった。ただ一緒にいると言っても、ナナオはすぐにどこかに行ってしまったけど。ぼくはインドに行って、その後、諏訪之瀬島に居着いちゃって、結局50年島にることになった。ナナオはどこかに定住するということがなかったからね。あちこちに行って、ブラブラして。
いとう ナナオさんの詩には自由さもある。そして音楽的にもすごくいい調子がちゃんと生まれていて、読んでいても聴いていても上がるっていう。そういう詩人って、なかなかいないんですよ。読んでいい詩だと思っても、声を出しての朗読には向いていない詩も多い。ナナオさんの詩って、そこが違うんですよね。ナナオサカキという人は、端的に言ってどういう人だったんですか。
長沢 まあ、自由な人だったよね。自由にしばられていたかもしれないけど。
長沢哲夫(ナーガ)
高校を中退し、詩を書き出す。新宿のクラシック喫茶店「風月堂」を中心に東京を放浪。「風月堂」でナナオサカキと会い、一緒にヒッチハイクで旅に出たりしていた。60年代後半にトカラ列島の諏訪之瀬島で共同生活をはじめる。以降、諏訪之瀬島での暮らしは50年に及んだ。85年に詩集『手のひらに虹の長い尾羽がまわっている」を刊行。2000年代に入ってから『つまずく地球』『足がある』などの詩集を刊行。https://amanakuni.net/naga/index.html
いとうせいこう
日本のラッパー、タレント、小説家、作詞家、俳優、ベランダーとして幅広く活動するマルチクリエイター。編集長を務めていた園芸ライフスタイルマガジン『PLANTED』でナナオサカキを取り上げた。2013年に16年ぶりの小説『想像ラジオ』を発表。本屋大賞の候補作となった。2018年からダブ・ポエトリー・ユニット、いとうせいこう is the poetの活動を開始。https://cubeinc.co.jp/ito/index.html
生前残したのはたった3冊の詩集にもかかわらず、世界17カ国で翻訳され、アレン・ギンズバーグやゲーリー・スナイダーらビート詩人にも愛されたコスモポリタン詩人、ナナオサカキ。世代を超えて愛された、放浪の詩人の生誕101年を機に、いとうせいこう、不破大輔(ex渋さ知らズ)、ロバート・ハリス、アシッドセブン、辻信一から、なのるなもない、GOMESS、向坂くじらまで、ALL世代の詩人、作家、ミュージシャンらが集い、謳い騒ぎ交わる一夜です。
開催日時:2024年12月6日(金)18時〜
会場:渋谷LOFT9(東京都渋谷)
出演:長沢哲夫(ナーガ)、いとうせいこう、不破大輔(ex渋さ知らズ)、アシッドセブン、向坂くじら、GOMESS、ロバート・ハリス、辻信一、谷崎テトラ、TAYLOR MIGNON、SHIBUYA オープンマイク バンド、村田活彦、Cut SUIKA(toto・ATOM)、なのるなもない、新納新之助、
西聖夜、上野ガイ、ほか
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