生きることをみんなで祝う場にて。【奈良龍馬】

ひとりひとりのエネルギーが結集することで、巨大な渦となった祭り。それは参加したひとりひとりの心に大切なものを残したに違いない。この12年に1度の祝祭は、どんなビジョンを持って開催に向かっていったのか。

文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi
写真 = 須古 恵 photo = Meg Suko


ー 2024年の〈いのちの祭り〉にはどういうきっかけで参加することになったのですか。

龍馬 実は〈いのちの祭り〉は今回が初参加でした。共同代表のひとりで音響監督でもある浅田(泰)さんから声がかかったんです。最初は軽く手伝ってくれないかっていう感じで。徐々にお役目を感じるようになって渦の中心に巻き込まれていきました。過去の〈いのちの祭り〉にはしがらみがない自分ならではのお役目があるって。野外パーティーやレイヴの源流にある〈いのちの祭り〉。10代からずっとパーティーをオーガナイズしてきて、恩返しみたいなことをしなきゃなと思っていたんです。


ー 実行委員長を置かないということは、当初から決まっていたのですか。

龍馬 日本各地の素晴らしい祭りやパーティのスーパーオーガナイザーたちの集まりだったので、誰かが実行委員長になってその人の権威なり思いで進めるよりは、全員の合意のもとに進めていったほうが、今の時代の感覚に近いんじゃないかって意見が多数で。自律分散型って言われるけど、そんな感じでやってみようかってなったんです。


ー それで共同代表のひとりに奈良さんがなった?

龍馬 僕が会場とのやりとりをしていたこともあって。東京ベースの浅田さんと僕だけでなく、地元長野で〈旅人の祭り〉をやってる(田村)至くんが入っていいバランスになったなって思いました。ただいざというときの対外的な責任を取るだけで代表は何の権限もないです(笑)。


ー〈いのちの祭り〉開催にあたって、ルールのようなものは決めたのですか。

龍馬 特になかったです。僕が一番意識したのは本番だけでなく祭りづくりを平和に進められる雰囲気づくり。そのためにミーティングの冒頭には毎回、 Zoomの画面上で手をつなげて輪になったイメージで、お互いを感じながら瞑想する時間を設けました。こんな主張の強い面子がひとつになるためには祈りしかないって思って(笑)。〈いのちの祭り〉は、年代も違うし、暮らしているベースも違う。都会の人もいれば、山や畑に近い人もいる。いろんなベースがあるなかで一緒にいることを選んだ。何かの結論を決めずに、統一見解を無理につくらないということにしていました。


ー 8月に入ってチケットがソールドアウトになったり、〈いのちの祭り〉の開催が近づいていくにつれ、大きな渦が起こっているように感じていました。

龍馬 スタッフも参加するひとりひとりも、とにかくみんなの熱量がすごかったなって。12年に1度の祭りにかけるそれぞれの思いが大きくなっていったんでしょうね。


ー 台風が予想外の動きだったり、現地では大変なことも多かったのではないですか。

龍馬 台風も、僕はそんなに心配していませんでした。初日の大渋滞とか駐車場の問題とか、個々の問題はいろいろあったけど、僕はすごく安心しながらやっていて。みんなの笑顔というかヴァイブスが良かったんです。初日に渋滞の最前線まで行って、解消するために僕も動いていました。お客さんはすごく待たされているのに、スタッフに温かい声をかけてくれていた。怒っている人は全然いない。参加者ひとりひとりが、より良い世界にしたいとか、いい祭りをつくりたいんだっていう思いで参加してくれているんだっていうことを、僕はそこで実感できた。そのときに、絶対に何があっても今回の〈いのちの祭り〉は大丈夫だって。

ー 与えられるものではなく、自分たちでつくり上げていくものだっていう思い。

龍馬 みんな自分ごととして参加している。そこにはたくさんの愛とありがとうが循環していました。僕も祭りの期間中にみんなとハグして、愛を受け取り巡らせていました。


ー 人が集まることによる負の要素を、心の持ちようによって行動も変わっていった?

龍馬 スタッフ出演者含め6000人もの人が集まったので、ゴミや駐車の問題も起こる。それでも良くしようと行動する人が増えて、日を追うごとに状況はよくなっていきました。


ー 実行委員もボランティアを含めたスタッフも多かったですよね。それだけ多くの人が、〈いのちの祭り〉に積極的に参加したいと思っていたわけですよね。

龍馬 今回って、みんなのやりたいことをどんどん実現させようとしていた。やりたいことがあったらそれをプラスさせる。その結果としてステージ数も増えたし、出演者数も増えた。そのおかげでエネルギーが渦巻くような場が出来上がったのは間違いないと思います。ただプラスだけだったからこそ、隙間がなかった。これって大都市の開拓のあり方に似ているなって。都市をつくるために、森を伐採したり畑を無くしたりする。そこに新たな建造物などをつくる。個々では良かれと思ってプラスしている。けれど全体から俯瞰して見ると、窮屈で苦しくなってしまっているところもある。それが悪いっていうことではなく、今回はそれを選んだということ。日本には引き算の美学ってあると思うんです。侘び寂びもそう。そういったことに関して、全体の意識としては薄かったなと今は思います。


ー〈いのちの祭り〉がひとつの都市だったと。

龍馬 同時進行でいろんなことが巻き起こって、脈動する龍のようなグルーヴが渦巻いていた。そんな場でした。虹の村や霊界ティピなどほっこり過ごせる場もありましたが。


ー 負の要素で言えば、期間中に事故で亡くなってしまった方もいまいた。

龍馬 ひとりの方の人生の幕引きの場所が、2024年の〈いのちの祭り〉でした。早朝に事故が起こり、病院に運ばれたのだけど、午後になって旅立ったという一報が入りました。そのとき僕は、生きている人を守ろうって切り替えたんですね。ふたり目を出さないために、努めて平常心で動くこと。


ー それが大切なことだったんでしょうね。

龍馬 その時点での僕の役目は、一緒になって心が揺れることではないと思った。〈いのちの祭り〉は、生きていることをみんなで祝いあおうという場です。そこで命が失われてしまったということは、すごく意味深い。生きていることが当たり前じゃないんだって。その事故だけではなく、「ウレシバビレッジ」のヴィジョンを掲げてくれたじゅんぺいさんも開催直前に旅立った。北海道から麓の信濃大町まで来たけれど、前日に大町市内で亡くなられて。身体だけは会場に来てくれて、みんなとお別れして。祭りの最初と最後に向き合った死。


ー 生きることとは何か。それは生きている間にはずっと問い続けなければならないことだし、答えはなかなか見つからないと思う。

龍馬 祭りと終わりに生と死の交錯を目の当たりにする。これは自分たちに対しての宿題なんだと思います。亡くなった方から受け取ったギフト。生きている間は愛し合って、精一杯生きなければって思えましたから。


ー 88年に開催された初回に関わった先達から、運営という部分でもバトンを渡されたわけですよね。

龍馬 そのハチハチ第一世代のみなさんは70代80代。2000年、2012年と〈いのちの祭り〉が開催されてきたなかで、今回はじめてバトンが渡された。下につなぐということを意識なさっていたと思います。だから、かなり任せてもらえた。「こうじゃない」とか、言いたいことって多かったと思うんですけど。大げさかもしれないけど、時代が変わるタイミングだっ

たのかも。


ー 12年後にはどうつなげていきたいと思っていますか。

龍馬 コアスタッフは30代から50代が多かったんですけど20代もいました。今の我々世代が見せられるものを見せられたと思います。いろいろあったけどこれが2024年版、参加者みんなでつくった愛と平和の世界。半年以上走りきった実行委員をはじめ、みんなそれぞれにこれ以上ないってくらいやりきった。だからいろんな人の心にタネがまかれたような感じがしています。参加して楽しかったということ以上の大切なものを宿すことができた。僕は〈いのちの祭り〉の余韻や残響みたいなものがいまだに残っていて、体内を反射している感じです。だからなかなか振り返れないし、周りではしばらく不調や虚脱感を感じている人も多かったです。人生が変わるくらいすごい祭りだった。


ー 次の〈いのちの祭り〉はどうなると思いますか。

龍馬 今回は矛盾を内包していました。もしかしたら矛盾を統合する方向もあったかもしれない。統合するのか、それとも今のまま内包するのか。2036年までの12年をかけて答えを出していけばいい。時代は進歩するし、ひとりひとりの意識も絶対に進歩するはず。12年経てば、多くのことがアップデートされている。みんなで12年間にわたって経験して、いろんなことを積み重ねていった後に、どういう形が現れるのか。自分でも楽しみなんです。


ー 今回の〈いのちの祭り〉を経て、次に中心となる世代にどういうことを伝えたいですか。

龍馬 世界は自分の心を映す鏡のようなもの。穏やかな心でいたわり合いながら愛と平和の世界を生きるのか、それともどちらが正しいかで延々と争う世界を生きるのか。それはたとえ世のなかや周りがどんな状況だろうと自分で決められる。宇宙はきっと大丈夫だから、思うままに生きてもらえたらと思います。日々、それぞれの〈いのちの祭り〉を生きましょう。


奈良龍馬
2024年8月に開催された〈いのちの祭り〉の共同代表。2000年から東京をベースにはじまった移動型パーティラボ〈OVA〉をオーガナイズ。2001年には野外パーティー〈FORESTED OVA -ONENESS CAMP〉を主催した。〈渚音楽祭〉〈奄美皆既日食音楽祭〉など数多くのパーティー~フェスをオーガナイズ。2014年からはオトナとコドモのキャンプイベント〈NUVILLAGE〉を開催している。「いのちの祭りのつくりかた」を2025年秋からnoteで連載中。https://ova.jp/

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