世界を旅する。その旅を記憶と記録に残るものとするために自らがプロデュースしたのが「SASARU」。Google Mapのピンをイメージして自分が大地に刺さる。その旅の様子はSNSで展開され、世界中に拡散されていった。
写真(ポートレート) = 須古 恵 photo(portrait) = Meg Suko
文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi
ー 「地球に刺さる男」について聞かせてください。
K ブレイクダンスをやっていたので、ブレイクダンスを通してヒップホップカルチャーに魅せられていったんですね。何も調べずにイメージだけで、「ブレイクダンスならニューヨークだろ」って思って。そして高校を卒業した年にニューヨークに行ったんです。ちょうど9・11のテロがあった年でした。
ー 9・11はニューヨークで?
K 9・11の後です。あの事件が起こったことで、エアチケットがめっちゃ安くなって(笑)。この金額だったら行けるって思って行ったんです。
ー はじめて行ったニューヨークはどんな印象でしたか。
K ブレイクダンスを毎日したかったんですよね。練習場所を探して。英語もまったく喋られなかったんですけど、ダンスのいいところは、動きで「この間も来ていたアイツだ」って覚えてもらって。ダンスから会話がはじまっていったんですね。僕は東京・原宿の出身で、日本のなかではグローバルな人たちと会える機会が多い地域で育ったんだけど、ニューヨークはその比じゃなくて。当時の僕が知らなかった国の人とも知り合う。「アフリカの○○っていう国の出身」って言われても、その国がわからない。けれどそいつには興味があるから、その国のことも興味を持つようになって。音楽と一緒ですよ。その国の音楽が好きになって、その国も好きになる。そしてせっかく仲良くなったヤツの国にいつか行ってみたいなって漠然と思うようになって。
ー 確かに人から興味がはじまるっていうことも多いように思います。
K ブレイクダンスの世界大会に出ることがダンスでの最終目標だったんですね。正確に言えば、その世界大会は1日目が予選で2日目が本戦で、その本戦に出ること。本戦に出てダンスの夢を叶えることができた。夢を達成して、次に何をやろうかなと思っていたときに、テレビの仕事をやらないかって声をかけてもらったんです。いわゆるADからのスタート。早い段階でディレクターの仕事をさせてもらって。旅番組を担当することになって、日本全国に行くことができたんです。いろんな場所に行ったら、日本もめっちゃおもしろいじゃんって思って。
ー テレビの旅番組から、今度は自分が旅に行くことになった?
K 「地球に刺さる男」の前に、輸入の仕事のオファーがあってオーストラリアに行ったんですね。ワーホリ(ワーキングホリデー)のビザを取って。行ったのが2011年の1月末。そしておよそ1ヶ月後に3・11があって、仕事がなくなってしまって。でもビザがあったから、そのままいたんです。オーストラリアにはダンスチームの仲間もいたし。あるとき、ダンサー仲間たちとポートスティーブンスって真っ白な砂が綺麗な鳥取砂丘みたいなエリアに行ったんですね。砂丘でアクロバット的な写真を撮っていて、誰もいない砂丘に僕だけが頭で突き刺さった写真がたまたま撮れたんです。意図せずに。
ー それが「刺さる男」のスタート?
K 1年間のワーホリを終え、日本に帰ってまたテレビに復帰したんですね。その復帰した当初から、ニューヨーク時代になんとなく思い描いた世界一周の旅にいつか行きたいなって。それで2年くらいテレビマンとして仕事をして、お金を貯めて、自分の旅をスタートさせた。それが2014年2月でした。
ー 目的を持った旅だったのですか。
K 足掛け4年くらいテレビマンをやらせてもらったおかげで、プロデュース脳というか企画脳みたいなものが、自分のなかに生まれて来ていて。これから世界を回ることで、せっかく人と違う時間を過ごすのだから、自分にしか生み出せないコンテンツを持って旅したほうがおもしろくなるんじゃないかって思って。自分のために一本軸があって、その目的を果たすような旅にできたら、一生自分にも残る旅になる。考えているときに、旅には地図がつきものだなって思って。時代はスマホになっていて、紙の地図からスマホのなかのGoogle Mapに移行していたんですね。世界中のほとんどの人が、同じ地図を共有して見てるんだって思ったんです。僕もGoogle Mapを見ながら旅のルートを決めていた。何月何日はタイのここにいて、何月何日はスペインのここにいる。目的地を決めていくことで、赤いピンが地図に刺さっていく。ふっとポートスティーブンスの写真を思い出して、ピンの形状を自分でどう表現できるかって考えていたら「俺、刺されるな」と浮かんだんです。自分のフィジカル的な特技を生かして、唯一無二のことができる。物理的に肉体が地球に刺さっている。非言語だから誰からも一目瞭然だし、世界中の人が見てくれる。これをプロジェクトとしてやったらおもしろいと思って「SASARU prosect〜地球の刺さり方」っていうタイトルまでつけちゃったんですよ。
ー そして100カ国行くと決めた?
K Google Mapのピンになって、世界中の心の刺さった場所に実際に自分がピンとなって刺さる男。そんなことをSNSで発信していったんですね。そしたら雑誌の連載がはじまって、GoogleアンドロイドのCMも決まって。
ー 刺さる旅は、ずっと行きっぱなし? それとも行ったり来たり?
K 一度に回ったのではなく、行ったり来たりして。というのは旅のなかでいろんなことがあって。強盗にあって、荷物が全部なくなったこともあったんです。パスポートも取られてしまって。帰ってきて思ったのは、3カ月程度の旅ってすげえいいなって。3カ月なら、暑いところなら暑いところ、寒いところなら寒いところと決めて行ける。季節は変わらないから荷物が減らせる。あと人間贅沢なもので、長く続けていると飽きて来るんですよね。例えばヨーロッパであれば、1カ国目は町並みとか雰囲気に感動するんだけど、その景色に慣れてきちゃうっていうか。ゴシック建築は変わらなくて、町づくりもカテドラルが中心になっている。旅を見失っている旅人っていっぱいいるんです。そうなりたくないし、もったいないし。1年とか2年という旅なら、先が見えなくて不安に襲われることもあるけれど、3カ月後の自分はなんとなく想像できるし、それに向かって頑張れるだろうし。旅のボリュームとしてはいいと思うんです。
ー 旅をしている間の自分なりのルール、例えばこんなことはしないというようなものはあったのですか。
K 「刺さる」に関しては、多くの人はエンタメとして認めてくれるんだけど、例えば神様がいるような神聖な場所ではやらずにいました。足が上にあるという逆さまになる行為なので。楽しんでもらうために勝手にやっているプロジェクトなのに、嫌がる人が生まれたら最悪ですからね。ひとりの旅人としては、「こんにちは」「ありがとう」などの言葉はできるだけ現地の言葉を使うこと。
ー 旅のルートを決めるにあたっては?
K 旅のスタートだったりポイントだったりに、フェスとかお祭りを入れていましたね。いうても旅人だから、暮らすわけではなく、凝縮した時間をそこで過ごすわけです。何もない日々より、お祭りってその国だったりその町だったりのいいところがわかるんですよね。人もそうだしカルチャーもそう。
ー 100カ国を巡って、刺さる旅が終わったときにはどんな心境でしたか。
K ラストは南アフリカのケープタウンだったんです。アフリカ大陸の最南端に刺さって終わった。最後の1日は「本当にこれで終わるんだ」ってすっごくフワフワしていて。途中途中のいろんな思い出が蘇ってきていましたね。一方で、この旅を本にまとめることも決まっていたので、帰ったら執筆しなきゃなみたいな現実的なことも考えていて。
ー これから旅をしたいと考えている方へのメッセージをもらえませんか。
K 円安にビビらず旅に出て欲しいなって思いますね。どんな仕事をしてでも稼げる手段が世の中に増えたし、どこでもデュアルライフみたいな働き方も可能だし。いろんなカルチャーと出会って、バックボーンが違ういろんな人と出会う。自分にとって、旅で一番良かったのがそれなんですよね。人との出会いは、自分では気づかないうちに成長をもたらしてくれている。
ー 日本が見えてくることもあるだろうし。
K 常に日本代表だって意識して旅していましたね。一生で、日本人は僕しか出会わない人がいるかもしれない。その人にとって、日本の印象って僕になるわけですからね。
ー 新しい旅ははじまっていますか?
K よく居酒屋にポスターが貼ってある「ピースボート」からオファーをもらって。ピースボートクルーズは1983年に初出航したので、去年で40周年だったんですね。ポスターを見てピースボートという言葉は知っていても、どんな魅力あるクルーズなのかを知っている人って、実はあまりいないんです。僕のミッションはピースボートの魅力を多くの人に伝えていくこと。そしてピースボートをさらに魅力ある旅にしていくこと。「刺さる」では結局103カ国を回ったんですけど、次の舞台が海ってかっこいいじゃないですか。
sasaru kozee
原宿生まれ原宿育ち。ダンスを通じてNYで生活したのがきっかけで海外へ興味を持ち2014年2月から世界一周の旅へ。自らがピンになり、実際に頭から刺さってマーキングするSASARU project~地球の刺さり方」で103カ国を訪問した。 新しい旅は海へ。ピースボートでの新プロジェクトが始動した。現在「心に刺さるアートを創造する男」のドキュメント映画制作のためのクラウドファンディングが実施されている(2027年完成予定)。https://www.instagram.com/sasarukozee/
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