【RABIRABIインタビュー】3人での新たな旅へ。

az3、NANA、PIKOの3人で長く旅を続けていたRABIRABI。体調不良のPIKOさんが活動から抜け、ふたりでのライブを続けていたが、2022年に新しいメンバーYUKOを加え、3人で再始動した。そして今年立春の日に新作『LOVE WINGS』をリリース。新作のこと、旅立ってしまったPIKOさんのこと、そして旅のこと。


文 = 菊地 崇
写真 = 林 大輔

–––  PIKOさんが抜け、ラビラビとしてはしばらくふたりでの活動が続いていました。

NANA(N)2018年からだから、4年ちょっと。ふたりになって、軽やかさと難しさが同時にありました。

––– 軽やかさと難しさというのは?

アズミとずっとやっているから、例えば演奏中に目を合わせて確認するとかしなくても、思った瞬間に合っているとか。即興なんだけど、次の曲への流れが見えている。そんなシンクロ率が高くて。思考よりも瞬間的なもの。この意味では軽やかなんですね。一方でPIKOと一緒に作っていたリズムの残像みたいなものが自分のなかに残っている。手と足が4本ずつ欲しいなとか。そんなことがよぎって、感覚の葛藤みたいなものもあるんです。その部分では難しさもすごくありました。

az3(A) すごくシンプルになれたことは良かったんですけど、こうしてみたいと思っても、どうしようもないということもよくあって。このまま究極のシンプルでいくのか、それとも何かを変えるか。

––– それがベースプレイヤーのユーコさんを入れることに繋がっていった?

A ある曲がバーっと降りてきて、その曲には最初からベースラインがあったんですね。新作アルバム『LOVE WINGS』の2曲目の「nakino」なんですけど。シンプルなミニマルが、ずっと頭のなかで鳴っている。自分ではフレーズを弾きながら歌うっていうことが難しい。そういうことがまったくできない人なんです。今までラビラビは人力トランスと言われてきて、ライブでは一切同期ものを使ったことがない。全部が生演奏。全部、生で叩いているし歌っている。マシンを使って、同期しながら、クリックを聞きながらやるバンドになるのか。それを自分に問いかけたときに、やっぱり生でやりたいなって。自分で楽器を練習するより、ベースだなって思ったんです。

––– その曲が降りてきたのはいつ頃?

A  2021年の終わりから2022年の頭にかけての頃だったと思います。

––– 曲と一緒にベースのフレーズも出てくるっていうのは珍しいことなのですか。

少なくないですよ。ひとりでスタジオに入るときって、シンセでひとつの音をループさせて、そこから閃いて曲になっていくということもありますから。

––– 3人となってスタートしたのは?

A 2022年2月20日です。PIKOも入れてミーティングしたんです。ユーコをラビラビのベースにしたいと思っているんだっていう話を、その前にナナとPIKOにはそれぞれ話していたんです。そしてみんなでミーティングして決まった。他にもベースプレイヤーとして一緒にやりたい人はいました。ただ私のなかでのバンドは、分かち難い一体感を共有するっていうこと。ライブだけではなく、バンド活動そのものが、一体感に包まれていないと嫌だっていう感じなんです。

N ビジネスとはまた違うもの。

A 座右の名がいくつかあって、ネイティブアメリカンの教えに「必要な薬草は庭に生えている」という言葉があるんです。隣の庭は良さそうに見えるとかいろいろあると思うんですけど、はじめから自分の庭にあるよねって。そうだよね、必要なものは自分の庭に生えているよねって思って。ユーコとナナはそのときすでに付き合っていて、そういう意味でもユーコのことをよく知っていた。ユーコのバンド(新月灯花)の活動の妨げにはまあまあなるだろうけど、言ってみる価値はあるなって。そもそも自分がパートナーと一緒にバンド活動をしてきたので。ユーコのバンドとラビラビは音楽的にはまったく違うけど、ユーコのことを薬草だと自分で思ったときに薬草になり得るんだなって思った。これから新たなラビラビを作ればいいじゃん、みたいな気持ちがありましたね。

YUKO(Y) ゲストとかサポートではなく、一緒にやりたいんだっていうことを言われて。自分のやっているバンドも、全員一緒に20年住んでるくらい密なんです。メンバーになるっていうことがどういう意味なのかわかるだけに「どうしようかな」って悩みました。やりたい気持ちはめっちゃあるのに、自分の持っている100のエネルギーでふたつをやりくりできるだろうかって。結果、一緒にやっているなかで自分自身のエネルギーが増幅していくなっていう感じになっていったんですよね。

––– 3人ではじめて一緒に音を出したのはいつ頃?

A 話した後。一週間後くらいじゃなかったかな。最初の10分か15分、言葉では何も話さないで、セッションしていったんですね。「わかってた」って感じでした。音に対するフィット感とかではなく、ベースが入るっていうことはこういうことなんだ、ユーコが入ることってこういうことなんだなって。

––– その感覚が3人にとっての初のアルバムに繋がっている?

A ベースが入ったことで「歌える」ようになったんですね。それが私にとってすごい大事なことで。

N 新しいアルバムでは、これでもかっていうくらい歌が前面に出ています(笑)。

A それがすごくやりたくて。PIKOがいたラビラビ、ナナとふたりになったラビラビではどうしてもできなかったから。どうしてもPIKOがいたときのグルーヴに無自覚に引っ張られてしまう。そうではなくて、新しいリズムを作っていけばいい、3人の新しいグルーヴを作っていけばいいじゃんって思って。

––– アルバム『LOVE WINGS』はいつから作りはじめたのですか。

A 2023年の春分の日から。3月から毎月大阪のスタジオに通って、秋分の日に終えました。

Y PIKOがいた時代のラビラビは、レコーディングも「せーの」ではじまる一発録りだったって聞いていたんですよ。

N ここでも革命が起こっているんです。やりながら曲が増えていき、来月はどういうレコーディングをするのかっていうのをまた決めて、レコーディングに備える。その繰り返し。アイデアを持ち寄ったりして、曲をちゃんとスタジオで練る。ミュージシャンっぽいですよね(笑)。そのことで逆に自分は混乱してしまって。覚えていたことでも、覚えるって思ってしまうと覚えられない。自然に出るように身体で覚えていたことが、頭で覚えましょうってなると、まるでわからないってなって。譜面を読めないタイプじゃないんだけど、譜面に書かれたものを覚えると、自分のなかの感覚的なラビラビの演奏じゃなくなるから。

––– こういう作品にしたいっていうテーマのようなものはあったのですか。「愛」だったりが新作のテーマのように聞こえてきます。

A 最初にタイトルが決まるんですよね。降りてくるっていうと恥ずかしいんですけど、閃く。

N タイトルと発売日だけ決めているんですよね。タイトルは『LOVE WINGS』で発売日は2024年の立春。

Y 秋分の日のレコーディングで、録るものが全部終わったねってなったときには、狐につままれたような気持ちになってしまって。このアルバムのハイライト的な曲を最後に録ったんですけど、ギリギリまで曲ができていなかった。「あの曲が完成しなかったり間に合わなかったりしたらどうするつもりだったの?」って聞いちゃったくらい。

N レコーディングがこの日までって決まる。自分のできる限り全力でやる。できてないこともあるけど、そこの時点での最高点を出す。だから間に合ったとか間に合ってないとかっていうのがないのかも。

––– この『LOVE WINGS』は、自分にとってどんな作品になってます?

A いろんな作品を出してきたんですけど、すべてが自分の作詞作曲っていうのがはじめてなんです。もちろん、即興でみんなで作り上げたものもあるんですけど。どのアルバムも最高だと思っています。PIKOがいなくなってはじめて「これが最高の私の作品です」って言えるものができた。PIKOが亡くなったことでできた曲があり、その曲は鮮度として、このアルバムに入らなかったら、他のアルバムに入ることはない。言葉も声も演奏も楽しんでもらえる、沁みてもらえるアルバムになったと思っています。

Y レコーディングって直訳すると記録じゃないですか。今この時点での私たちですっていうこと。レコーディングの過程で、自分も入った新しいラビラビの音が見出せてきたなっていうのがすごくあって。自分にとって、その記録のアルバムになっているし、いつまでも聞き返すアルバムになるんだろうなって。

N PIKOが死んじゃったというのはラビラビ的にも私的にも大事件というか大き過ぎること。血の繋がりはないんだけど、音の受け継ぎは自分のなかに勝手にされているなって思う。自分のなかにはPIKOのグルーブがずっと流れている。だからあえてPIKOのことを忘れないとか思ったりしない。忘れないことは当たり前。とにかく心のなかで生きている。遺伝子が受け継がれ、最高傑作になっていると思います。

––– 4月にはレコ発イベントが開催されます。

A 「あ、PIKOさーん」ってみんなが会えるようなコーナーを作ろうと思っています。アルバムのなかにもPIKOの太鼓からはじまる曲が入っていて。レコ発の日にはその太鼓も持っていくつもりです。

––– PIKOさんは、最後に制作していた自分の音源を聞いて旅立っと聞きました。

N 力が尽きたみたいな感じでした。最後まで精一杯頑張っていた。

A エンジニアの方からMIXした音源が送られてきて。ちゃんと喋られるような状態ではなかったんですけど、音源を聞いて。「どうだった?」って聞いたら声にならないような声で「最高やった」とひと言。ちゃんと喋られないなかでもエンジニアに「さいこうやった」という7文字だけどうにか打って返信したんですね。寝る前に力を振り絞って書いたであろう一生懸命に書いた曲順のメモを自分のミキサーの上に置いて。それまではそんなことをしたことがなかったんですよ。自分では旅立つことがわかっていたと思います。

––– 再び、目を覚ますことはなかった?

A 病院だったらもっと早く逝ってたかもしれないですね。

––– それが2022年の6月。PIKOさんの遺作は『こちら天国』というタイトルでリリースされました。コロナ禍ではライブという活動は少なくなってしまったけれど、ラビラビにとっては大きなものをもたらした時間だったかもしれないですね。

A リセットでしたね。ツアーは減りましたけど、コロナ禍も、今も走り続けているように思います。自分は最愛のパートナーを亡くしたことで、バリバリ全力で生きている。なぜならば、全力で走ってバーンって倒れたら、1日でも早くPIKOに会えるでしょ。ぼんやり生きて、1日を無駄にしたことでPIKOに会える日が先になってしまうと思ったら、ちょっとバカくさくて。コロナも終わって、新しいメンバーも入って、アルバムもリリースした。「これで動かなかったらどうすんの?」みたいな気持ちがあるんです。だからラビラビだけじゃなく、私自身も全力で行こうと。そしたら1日でも早く会える。向こうはきっと時間というものがないから、ただそこにいるだけで、私が「お待たせ」って言って再会するだけなんですけど。

––– 旅はまだ続いているのですね。

A 続いています。これまでも旅はしてたし、これからも旅をしていくと思います。


RABIRABI presents GRAPE#8  LOVE WINGS RELEASE PARTY

開催日:2024年4月7日(日)

会場:笹塚ボウル(東京都)

Live:RABIRABI - LOVE WINGS' ALL STARS

・az3neonative / vo, livemix(RABIRABI)

・NANA / per, kalimba(RABIRABI)

・YUKO / ba, cho(RABIRABI)

・千尋 / cho

・EMI / cho(EMILAND)

・238 / piano, synth(exズクナシ)

・キャス / PIKO's 大太鼓(新月灯花)

DJ:KATIMI AI

Sound Styling:KABAMIX(LMD)

Production Support & 'OBARI CUP':MASAAKI OBARI

Entrance & Shop Support:Ayahavela 

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名前のまだない、楽しくてユカイな、何かそのもの   DJで回したくなるヒト ゲーム音楽に使いたくなるヒト とにかく踊りたくなるヒト   まだ見たことない民族衣装を着たくなるヒト まだ見たことない祭に行きたくなるヒト   コンタクトできます。あちらの、あそこの、あのあたり     2006年から2018年までRABIRABIでフロアを揺らし続けたGROOVER : PIKO。バンド活動卒業後に創り溜めたトラックを、それが人生最後のタスクでもあるかのように(まさに)イノチガケでまとめ上げた「遺作」 'こちら天国'。亡くなる8日前に、突然腑に落ちたように大決定してしまったタイトルは、尊敬するサイケデリックペインター:薬師丸郁夫氏の作品からインスパイアされ自身で名付けたものです。「ブラックジョークの意味もあるよ」と、今となってはジョークでも何でもないことを本人は言っていましたが。次第に乖離していく肉体と意識を、微かな呼吸がつなぎ止めていた3.5次元で、完成したMIXを1曲1曲必死に意識を集め聴き通し、感激し、GOサインを出した翌朝、眠るように息を引き取りました。     最終ミックスとマスタリングは、PIKOが全幅の信頼を置き、自分の音のすべてを委ねていたKABAMIX(LMD)。ジャケットは、 PIKOにとって最高・最強のリズムパートナーであり、自分の音楽の必須要素「楽しい」と「ユカイ」を可視化できる唯一の表現者と呼んだRABIRABIのNANA(イラストレーター名義:DOKIDOKIDOKKN)。PIKOの人生最後の生演奏 - NANAとのラビラビー

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