【トヨロック/インタビュー】台風からの復活を目指して。フェスという場が作り出すもの。

入場無料のフリーフェスとして、一昨年まで順風満帆のように開催を続けてきたトTOYOTA ROCK FESTIVAL。しかし去年は台風の直撃にあい、二日目の開催とキャンプサイトの閉鎖を余儀なくされてしまった。外からみればフェスとしての規模が拡大するのと同じように一歩一歩成長を続けてきたトヨロック。けれどたった一回の「失敗」により大きな危機に陥っている。フリーフェスのみならず、野外で開催される多くのフェスやイベントが抱える問題が、昨年のトヨロック中止には秘められている。去年の負債を返済しようとクラウドファンディングがスタートした。トヨロックとはどういう思いでスタートしたのか。そしてクラウドファンディングという形をとらざるをえなかったのか。TOYOTA ROCK FESTIVAL代表・ジョイカルウェイブ事務局長の矢澤英介さんにトヨロックの「過去・現在・未来」を聞いた。


文=菊地 崇 text = Takashi Kikuchi



豊田でフリーフェスが立ち上がった過程。

–––– まずはトヨロックの成り立ちからお聞きしたいと思います。

矢澤 トヨロックは今年で12年目になりますが、主催のジョイカルウェイブという団体はもっと昔からあり、そこからお話できればと思います。

–––– トヨロック初開催のときからジョイカルウェイブが主催ですよね。

矢澤 はい。平成4年に豊田市とトヨタ自動車、そして事務局がある豊田まちづくり株式会社の前身である豊田都市開発株式会社などが中心となって、豊田で働いている若い人たちが楽しめる場所を作ろうと発足したのがジョイカルウェイブのはじまりです。当時はバンドブームで、アマチュアバンドのバンドバトルを豊田の駅前でやったり、トヨロックキャンプサイトや橋の下世界音楽祭の会場である千石公園の対岸の白浜公園という河川公園で、地元のテレビ局とタイアップして音楽ベントをやったりしていました。

–––– 平成4年というのは25年くらい前のことですよね。

矢澤 まだバブルの波が残っていた時代で、ジョイカルウェイブがバックアップし、テレビ局を中心とした制作で運営していたようです。当時は、忌野清志郎さん、ジュディアンドマリー、ミッシェルガンエレファント、ウルフルズなども来ていたそうです。

–––– そんな野外音楽イベントを公園で開催していた?

矢澤 まだ豊田スタジアムが出来てない時代なので場所も限られたと思います。平成4年というのは1992年ですから、フジロックがスタートする数年前ですね。そんな時代に、野外ステージを作って、お客さんを呼んで、入場無料で整理券という形でやっていたと聞いています。僕は豊田市と合併した足助町というところの山奥で育ったんで、そんなことが行われていたなんて全然知りませんでしたが、当時中学生や高校生だった同世代の豊田の仲間たち、例えばトヨロックに毎年出演してもらっているTURTLE ISLANDの(永山)愛樹くんたちなんかは、清志郎さんが来ているから見に行こうって整理券を持ってないけど押しかけたりなんてやっていたそうです。

–––– 矢澤さんはどんな経緯でジョイカルウェイブの仕事と関わるようになったのですか。

矢澤 20代前半にインドを中心に、アジアを行ったり来たり1年半くらい旅をしていました。2002年に豊田に戻ってきて、しばらく社会復帰できずにいたんですが、豊田の駅ビルの輸入食材を扱うお店とアウトドアのお店と掛け持ちでアルバイトしはじめて。その繋がりから「豊田まちづくり株式会社」で働かないかって声をかけてもらったんです。何をやってる会社かよくわからなかったけど、「やります、やります」って。旅をしたなかで経験したり、感じたことがなかなか生かせないでいたジレンマもあって、新しいことなら何でもやってみようと。配属されたのがイベントをやる部署で、ジョイカルウェイブ事務局担当として企画運営を任されることになったんです。昔からライブハウスやレイヴパーティはよく遊びに行っていたので、それまでイベントを企画したことはなかったんですが、これはなにか面白そうなことがやれるかなぁと。自分が事務局担当となった2004年頃には、ジョイカルウェイブの活動も縮小気味で、主催団体も減ったり、予算規模も縮小している時期でしたが、あまりいろいろ考えず面白いことをやってみようといろいろ企画していきました。

–––– 2000年頃はアンダーグラウンドなレイヴが人気だった時代です。岐阜や長野などで野外パーティーが多かったですよね。

矢澤 インドに行く前くらいからパーティーにはちょくちょく遊びに行っていて。イクイノックスとかソルスティスとか。ローカルでもパーティーをオーガナイズしていたDJの先輩もいて、最初にやったイベントは、そういうつながりから、アンビエントナイトってDJとVJのイベントを一緒に企画したんです。豊田の駅前でやったんですけど、冬場だったし人はそんなに集まらなかったんですが、今でも心に残ってるイベントです。その他にも、民族音楽のイベントなどを街中でやったりしてきました。

–––– それらのイベントも入場無料?

矢澤 はい。豊田市駅周辺の公共の広場を会場にやっていました。

–––– TURTLE ISLANDにはじめて出演してもらったのはいつだったのですか?

矢澤 最初は豊田スタジアムで開催した2006年の「JOYRIDE MUSIC FESTIVAL」というライブ&スケボーのイベントでした。2004年のイベントをやりはじめたあたりから、豊田の音楽シーンやいろんな人たちに出会っていきました。豊田のお寺でやっていたインド古典のイベントで知り合った、今もトヨロックのブレーンの神崎くんが紹介したいやつがいるっていって、当時愛樹くんがやってた斑屋という酒場に連れてってもらったんです。そこで、愛樹くんのやってることや、TURTLE ISLANDもそのときはじめて知って。そんで、ライブを見てものすごい衝撃受けて。その当時はまだトヨロックの構想はなかったんですが、内側からと外側からとそれぞれで面白いことをやり続けていこうっていうような話をしてたんです。今ではこの豊田って街で確実にカタチになって拡がっている実感はあります。

–––– トヨタロックのスタートは2007年でした。

矢澤 はい。愛樹くんが紹介したやつがいるとmicroActionの根木ちゃんを紹介してくれて、1回目のトヨロックはそこからはじまりました。

–––– ジョイライドミュージックフェスからトヨロックに移行して行ったのは、どういう経緯だったのですか?

矢澤 僕がジョイカルウェイブの事務局をやりはじめたころから、ジョイカルウェイブの活動も縮小気味ではあったんですが、2006年にいよいよ豊田市が主催団体から抜けるっていうことになって、ジョイカルウェイブの存続自体もどうするかという状況だったんです。けれど組織を残して民間の団体として継続していく方向性を打ち出し、予算規模は更に縮小になりましたが、それまで繋がった地元の仲間達で誰もが楽しめるフリーフェスをやろうと豊田スタジアムを会場に「TOYOTA ROCK FESTIVAL」をスタートすることになりました。

–––– 豊田スタジアムを借りようと思ったのは、どんな思いがあったからなのですか。

矢澤 あそこはある意味豊田の象徴的な場所なんですよね。基本的にはサッカーの試合会場で、スタジアムのなかを使った興行イベントはたまにあるんですけど、外を使った音楽イベントはほとんどない。外周を走ってる人や散歩してる人もいていい雰囲気だし、豊田に住んでいる人にとっても参加しやすい場所にあるんです。地元の子どもたちにも、本気で大人が遊び場を作っていることを感じてもらいたい。こんな音楽があるんだよとか、こんなおもしろいものがあるんだよとか、現場で味わってもらいたいんですね。誰もが気軽に参加できる地元のお祭り的なノリも大切にしていきたいと思っていて。最初の頃は、地元の中高生のブラスバンドをメインステージの一発目にやったりして、それに出演してた子たちが、大人になってトヨロックに遊びに来てくれたり。

–––– トヨロックのラインナップを見るとメジャーではないインディーの人が多い。豊田市が抜けたとはいえ、これまでのジョイカルウェイブの活動からもう少しメジャーな人たちを加えてくれっていう話にはならなかったのですか。

矢澤 当初はありました。最初は集客も今ほど多くはなかったし、ジョイカルウェイブのこれまでの流れを考えると、多くの人が名前を知っているようなアーティスト出演の要望があるのも理解はできました。ですが、かつてやっていたような出演者とお客さんの一方通行の関係性の音楽イベントではなく、出演者も来場者も出店者もスタッフもみんなで創るトヨロックにしていきたかったし、有名無名に関わらず本当に素晴らしいミュージシャンに多く出てもらいたいですからね。

–––– トヨタロックフェスという名前にしたのも、地元に根付くという思いがあったからなんですね。

矢澤 そうですね。当初は「レベルオクトーバー」という名前にしようという案もあったんですけどね。豊田市駅前のゲリラライブ、炎天下GIGの影響も個人的に大きかったものですから、どうしても頭がそっちにいっちゃってたんですね。仲間と呑みながら「トヨタロックフェスティバル」というストレートなものがいいんじゃないかってことになったんです。シンプルに。最初の頃は、お客さんも少なくガラガラなんですけど、その1回目があるからいろんな仲間と繋がっていくことができた。回を重ねるごとに少しずつ仲間も増え、生き物のように進化しながらトヨロックは続いてきました。聴いてる音楽もライフスタイルも、考え方も違うメンバーがトヨロックには集まってやっています。それがトヨロックのおもしろいところかなって思うんです。豊田市は多様性の街だと思うんですけど、トヨロックも多様性が感じられるお祭りになっていけばいいなって思っていて。そこに集まる多種多様な人たちがそれぞれ自由に楽しめる、そのイメージには近づいていると思います。

–––– トヨロックを続けていくなかで、ステージが増えていったり、オーガナイズしてくれる仲間が増えていったんですね。

矢澤 最初はmicroActionの根木ちゃん仕切りのメインステージとDJブースのシンプルな構成だったんですが、「トヨロックをやってるんだ?俺も手伝う!」「これやろうよ」「いいね!やろう!」みたいな感じで、いろんな遊び場で繋がった仲間を中心にステージも増えてきました。今ではトヨロックには欠かせないバイクショー「FMX AIR JACK」は、ボランティア募集にFMXをトヨロックでやりたいって熱いメッセージを書いて、2年間一生懸命ボランティア参加してくれた阿部くんがみんなの心を動かして、トヨロックで一緒にやることになったり。FMXやるだけの費用もないんで、彼を中心に自力で協賛や仲間集めてカタチにして。トヨロックのステージがそれぞれ趣が異なるのは、オーガナイズしてくれてる仲間のカラーがモロに出ているからだと思います。

–––– キャンプサイトはいつからスタートしたんですか?

矢澤 2011年からですね。

–––– 2011年というのは東日本大震災の年。

矢澤 その次の年から橋の下世界音楽祭がはじまって。トヨロックは5年目で、人と人が繋がる場所として、より多くの人が集えるお祭として継続していきたいと強く感じました。限られたスタッフのなかで、スタジアム周辺のステージや会場だけでも手一杯でしたが、エリアを広げてキャンプサイトを運営するというのは、なかなか大変なことでした。しかし、キャンプサイトを作ることによって、遠くから来てくれて2日間楽しめる方も増える。ステージも設営コストがかかってて、1日でバラすのはもったいないけど、キャンプもやれれば2日間になって出演者さんも増やすことができるって。それで2011年からキャンプサイトを作って、前夜祭と本祭の2デイズ開催として動き出したんです。完全に2デイズになったのは2014年から。


11年目に訪れたはじめての開催中止。

–––– 2017年は台風の直撃のため開催中止になり、莫大な赤字を抱えることになりました。

矢澤 去年の10月は台風や雨も多い年でした。設営中もずっと雨だったんですよ。だけど中止なんてアタマはなかったので、本番に向けて設営を進めながら、いよいよ木曜くらいに直撃になるという予報になってきて、金曜日の朝にHPなどで荒天の場合の開催についてアナウンスしました。天候によっては中止や内容変更もあるので、こまめにHPなどチェックしてくださいって。それでもやることしか考えてなかったです。しかし、いよいよ決断しなきゃいけない最後のタイミングで、天気予報を見ながら金曜日の夕方の判断で、キャンプサイトと日曜の開催を中心にすることを決めました。土曜日1日のみの開催にして。バタバタでアナウンスは夜になってしまったので、金曜昼からキャンプサイトの受け入れはすでにはじまっていたんですけど、金曜の受付終了時間までにキャンプサイトに来てくれた人はすべて受け入れて、金曜夜は幻の前夜祭を決行しました。

–––– それまでに来場したキャンプ参加者は川沿いのキャンプサイトに宿泊していたわけですよね。

矢澤 そうです。国交省、豊田市公園課の担当者さんと連絡を取り合って、ベストな道を考えてました。土曜、日曜には、状況によっては川が増水、危険水位に達することも予想されました。判断としては、土曜日の昼までに全撤収という状況でしたので、参加者のみなさんにはそれまでに全撤収のお願いをしました。急な中止アナウンスだったり、急な変更事項にも関わらず、本当に協力的でありがたかったです。キャンプサイトをクローズするので、キャンプ参加者以外にも、スタッフ、出店者駐車場として千石公園を使っていたこともあり、駐車場の変更とアナウンスなども必要になってきたり。スタジアムには駐車場がふたつあるんですけど、そのうちひとつを代わりの駐車場にして、そこに受け入れるような段取りをして。駐車場が減ってしまうことは土曜の当日収入も減ってしまうんですけど、それしか方法は残されていませんでしたからね。

–––– 当日の収入源として予測しているのはキャンプと駐車場?

矢澤 前売りのキャンプ、駐車場の他は、出店料、ビールのオフィシャルドリンクの販売、当日の駐車場、あとはTシャツなどの物販です。本来であれば、そのあたりのリスクも踏まえた予算組みや、興行中止保険への加入などをやっておかなければいけなかったと思います。毎年ギリギリの組み立てでやってきてしまっていた自分たちの運営の甘さで大きな赤字を背負うことになってしまいました。

–––– フリーフェスとして、予算をどれだけ切り詰めるか。その答えは難しいと思います。台風が直撃することなんて誰も予想してないわけですし。

矢澤 雨は降っても、台風直撃ってのはなかなかのレアケースだと思うんですが、次は興行中止保険には入っておかないと、トヨロック開催はできないと思うんですね。トヨロックに合った形の、なるべくコストをかけない、でも有効な保険に入っていくというのは必須になってくると思います。

–––– 中止の判断というのは難しかったですか。

矢澤 難しかったです。もちろんやりたかったですから。日曜も最高なラインナップだったし悩みに悩んで。ただあの状況で開催するというのは、逆に無責任なことかなって思ったんです。それは出演者さんに対してもそうですし、お客さんに対しても出店者さんに対しても。そこでかなりの赤字になってしまうことも覚悟して中止を決めました。開催したことで事故や怪我、取り返しのつかないことになる可能性もあるし。

–––– それこそ大事故になってしまったらトヨロックが終わってしまうこともあり得るわけですし。

矢澤 そうですね。思い切って開催したとして、来場者、出演者、出店者はもとより、2日間風雨の強まるなか、疲れが溜まりに溜まったなかで全撤収するスタッフや説営業者さんたちの事も考えたら開催するとはいえませんでした。ちょっとしたミスが大怪我や命取りに繋がりやすいですからね。雨や風が強いなかでのあの会場の撤収は、本当に危険で大変な作業だし。キャンプサイトの千石公園も、もしトヨロックで何か起きてしまったら、同じ会場を使っている橋の下世界音楽祭や千石公園で活動している方々にも影響を及ぼしてしまう。辛かったですけど、中止という判断は間違いではなかったと思っています。心のなかではやれたかなぁとか考えた時もありましたけどね。いろんな方面からから「よくぞ判断してくれた」とか「あの判断は正解だった」とか言ってもらえて心強かったです。


なぜフリーフェスを続けるのか。

–––– 2017年で11回。フリーで続けることによってモチベーションを保ち続けるのが難しくなると思うのですが。

矢澤 音楽が好きだから。トヨロックに出てくれるアーティストの音楽をよりたくさんの人に聴いてもらいたいっていうことと、フリーだからこそ地元のおじいちゃんおばあちゃんから小中高生まで気軽に遊びに来られること。個人的にはそのふたつがモチベーションとしては大きいですね。少しでも有料にしてしまうと、来なくなっちゃう地元の人もいる。だからあくまでも入場は無料。そのかわり駐車場とかキャンプサイトはお金を運営協力費として協力してもらう。フリーであることにこだわってやってきたし、これからもこだわっていきたい。だけど、10年数年続けてきて、自分も含め仲間たちも結婚して、子どももできて、仕事も忙しくなって、なかなかトヨロックのために注力できなくなっているという現実もあります。10年前と比べると、自分を取り巻く環境も違うし、40歳を過ぎて身体そのものも変わっている。何とか踏ん張ってますが、徹夜で何日も続けるっていうのが、正直しんどくなってきたタイミングではあったんです。モチベーションとしてはこのままフリーで続けていきたいというのもあるんですけど、一緒にトヨロックをやっている仲間のこととかも考えると、トヨロックならではの違うやり方もあるんじゃないかって思う部分もある。そこに進化していくのもありかなって思っています。そのことは自分のなかでもこれだっていう方向性は定まっていないんですけど、そこも踏まえて今年のトヨロック、そして未来のトヨロックへ向けて考えていきたいと思っています。本当に今はそのタイミングで、未来を考える時間を作るために今回の台風が来たのかもしれませんね。自然にはかなわないし、いろいろ大変ですけど、乗り越えるための天からの声だと思っています。

–––– やっぱり10年というのは長い時間なんですね。ちょうど転機になる時間。

矢澤 本当にそうですよね。山形の蔵王龍岩祭も次の新たな展開に向けて12年で最終回になりましたしね。僕たちも10年経ったらそういう節目があるということも実感していて、じゃあ次にどこへ向かえばいいのか、展開していけばいいのか。フリーのまま続けるというのもひとつ。トヨロックという名前で続けていくのか。続けていくことが目的でもないので、もっといいやり方があるのであれば。そういうことも考えながら、すべての可能性を模索しながら、無限の可能性で繋げていきたいなって。トヨロックをずっと続けてきている仲間とたちと次に繋げていくこと。そのタイミングなんですよね、きっと。


12回目の開催に向けての意志。

–––– 今年の開催はどうする予定なのですか。

矢澤 クラウドファンディングチャリティライブなど、春までに自分たちでやれることをまずやって、そこでどれだけ挽回できるのかわからないのですけど、これからのことを考える良いチャンスだと思っています。そこを踏まえて、今年のトヨロックに向けて進めていきます。トヨロックはまた秋に開催する。去年やりきれなかった分、今年はきっちりその借りは返していきたいなって思っています。

–––– クラウドファンディングもはじめるんですね?

矢澤 どうやったら赤字を挽回して続けていけるのかみんなでいろいろ考えてたんですが、クラウドファンディングって形で広く多くの応援してくれる方たちに協力を呼びかけていこうと。現状をしっかりと伝えつつ、トヨロックを応援してくれる人に投げかけていきたいと思っています。やり方は仲間のなかでもいろんな意見に分かれるんですが。

–––– 誰もが納得するベストな方法はないような気がします。いかにベターを見つけるか。

矢澤 正解はないと思うので、これだってみんなで決めたところで精一杯やっていくことが大切なんだと思っています。まず大切なのはきっちりフリーフェスとしてのトヨロックのけじめがつけられるように。そのためにやれることはやって、去年の悔いを晴らしてばっちりやりたいですね。

–––– 3月17日のチャリティライブは、これぞトヨロックというバンドがラインナップされましたね。

矢澤 トヨロック、TURTLE ISLAND、microAction主催で「SAVEトヨロックGIG」と銘打って開催します。トヨロックに縁のある出演者さんが出演してくれます。会場は廃校になった旧豊田東高校武道場、豊田武道館です。まだ再利用しはじめたばかりで利用規定など無いなかでしたが、行政、とよた市民アートプロジェクト推進協議会さんの協力を得られ、使用させてもらえることになりました。

–––– もともとジョイカルウェイブは豊田市も関わっていたわけですが、今後はどのように行政と関わっていくのでしょうか?

矢澤 ジョイカルウェイブの成り立ちから豊田市とは繋がりがあるわけですが、これまでトヨロックはできるだけ行政には頼らないやり方を模索してやってきました。しかしトヨロックはそういうところにも通じていけるので、変に構えずにいろいろな可能性は探っていきたいです。行政のなかにも、僕らのやっていることを理解して応援してくれる人たちも増えてきているように思うし。

–––– どうやったら行政にわかってもらえるか。これって大きな課題のひとつかもしれません。多くの人を呼び込むという点においても。

矢澤 わかりやすい形で行政にプレゼンすることも大切かもしれないですね。トヨロックをやることで、これだけ豊田市がすごいってことになっているのかっていうのをわかりやすく伝える。そのことによって行政との連携や協力が得られ新しい展開が生まれるかもしれないですしね。

–––– 逆に考えれば、行政に頼らずにここまで広がってきたトヨロックは伸び代はあるということ。

矢澤 そうですね。トヨロッククルーが、もっと豊田の街のなかで活躍していければと思うし、そういう場も実際増えていっています。それをトヨロックを通じて、もっと発信していければなって思っています。11月には豊田市の取り組みと連携して、トヨロッククルーがFMXを公道で飛ばすっていうイベントをやりました。費用はクラウドファンディングや協賛を集めて全部自分たちで作って。僕はこっちの後処理で現場しか手伝えなかったけど、チームとしてすごいことを形にしていました。

 トヨロックはジョイカルウェイブ主催ではあるけれど、仲間の繋がりからインディペンデントでスタートした。だからこそ市民レベルから発信できることってあると思うんです。その部分を生かす可能性も少なくないはず。今までのやり方だと、続けられたとしても数年で限界がなんとなく見えちゃっていたし。みんながトヨロックのことを考えて動いてくれて、みんなで支えてくれている感じになっています。僕も支えられているし。だから続けてこられたんだと思っています。静岡の頂は、トヨロック応援企画、FSFプレジェクトというものを立ち上げてくれました。また、自主的にトヨロック応援投げ銭を集めてくれたり、募金箱設置してくれるライブハウスやお店があったり。本当にありがたいことです。

–––– 考えるきっかけとしては、去年の中止は大切な経験だったに違いないですね。

矢澤 来るべきして来た。そのタイミングだったんですね。なんとか乗り越えて、さらにおもしろい動きをしていけるように。

–––– 実績として11年も続いて、人も増えているという状況は成功でしかない。失敗であるわけがない。

矢澤 ここからどうしていくのかっていうのが、僕らの正念場というか。そこに楽しんで向き合っていきたいなって思っています。こんなことをやれているだけでもありがたいというか、トヨロックが生き物のようにここまで成長してきて、みなさんに愛される存在にもなっている。その時間をずっと見続けてこられたのもありがたいことですよね。本当に自分も成長させてもらっています。

–––– クラウドファンディングで伝えたいこととは?

矢澤 今の状況を正直に伝えること。潤沢な予算のなかでやっているからトヨロックは中止になっても大丈夫だよねって思っている人も多いと思うんですけど、そういう部分も理解してもらえる良いタイミングなのかなと。

–––– 多くのファンが、こうして続けていられるのだから絶大なサポートをしてもらっていると考えていると思います。

矢澤 ですよね。潤沢な予算があるわけじゃないよと口にするのも野暮だしカッコ悪いというか。いろんなところを抑えていても、なんだかんだお金はかかってきちゃいますし。だいぶ無理くりやっています。フリーフェスだからこそ、楽しいことをやっていきたいというみんなの思いのもと続けてきましたが、これから先は、このこと以外のことも考えていかないと続いていけないし、関わるみんながしんどいばかりになってしまう。だから今回の中止という一件で、いろんな部分を見直して、自分たちがちゃんと楽しんで持続できるようなものにしていきたいなと思っています。

–––– そう考えると何かのタイミングだったんですよ。

矢澤 本当にそこで関わってくれた多くの方がどういうふうな成り立ちなのかって振り返っただろうし、メンバーたちにとっては改めて知るきっかけになっただろうし。自分たちの仲間でもそうですから、遊びに来てくれてる人たちにとってはより…。みんなの意思を再確認する良い機会にもなりました。

–––– 台風の被害も大きかったのだけど、そもそもギリギリでやっていた。そのことも伝えることが大切なんだと思います。

矢澤 ジョイカルイウェイブの負担金だけではトヨロックを運営していくことは費用的に厳しいので、自分たちで試行錯誤をしながら、フリーフェスとして、イベント収入を上げてここまで成長させてきた。けれど興行保険に入る余裕まではなかった。そのあたりの事実を伝えながらクラウドファンディングでみなさんにご協力をお願いしたいと思っています。

–––– これからのトヨロックをどうしていくのかが大切ですね。

矢澤 トヨロッククルーのみんなの意見を踏まえて、ジョイカルウェイブの組織としても役割の明確化をしつつ、トヨロックを楽しみにしてくれているみんなが納得してくれるような道筋を立てて進んでいきたいと思っています。クラウドファンディングなどの取り組みでどれだけ挽回できるかはやってみないとわからないですが、いずれにせよ、2018年の開催に向けてあらたに保険もかかるだろうし、雨が降っても対応可能なようにしなければなりませんからね。

–––– フリーだと何のためにやっているのかっていうところからスタートしているわけですから。その思いはひとりひとり違うわけだし。若い世代だったら、お金を集めなければならないのなら有料にしましょう、と答えが簡単に出てくるのかもしれない。

矢澤 それもひとつの道なんだけど、でも簡単にはフリーを諦めたくないし。

–––– その思いをメンバーの中でどれだけ共有できるか。

矢澤 そうですね。コアのメンバーのなかからも有料でっていう声も出てきています。そうでもしないと続けていけないという現状を踏まえて、じゃあどうしていけばいいのか。トヨロックのスピリッツを残しながら、有料というスタイルが可能なのかどうか。そうするのであればトヨロックじゃなくてもいいんじゃないか…とか。仲間と一緒にやってきたトヨロックなんで、その仲間たちの意向を汲みつつ進んでいきたいなって思っています。まだ自分のなかでの思いはあっても、もうちょっと、じっくりみんなで考えたいなって。突っ走っちゃうのも、自分のエゴになってしまうかもしれないし、周りのみんなも大変なばっかりになっちゃうやり方はしたくないし。

–––– 10年前はそんなことを思っていない。たぶん自分も大人になっているんだと思います。大人になっているというか年齢を重ねている。

矢澤 10年目のトヨロックは、実は自分のなかでは楽しめていなくて。10年経つといろんなことが変わってきて、勢いだけではやれない部分が大きくなってきますよね。それは自分の内面の問題でもあるのですが。本当はその変化っていうものは5年目とか6年目くらいからあったんでしょうけど、そこもなんとか気合いで乗り越えてきました。10年目を過ぎて、モチベーションをどう保っていくかって自問する自分もいたし。実際に大枠の形ができてからは、ミーティングも少なくなってきていたし、みんなも自分の暮らしで忙しくなって、かつてのようにトヨロックに精力を傾けられなくなってきているのも実感していて。ミーティングが少なくなっていたことに対しては「これはいかんね」って感じていたんです。

–––– ミーティングが少なくなっているのは、いいところでもあるんだけど、新しいことが起きていかないという現状も感じられます。

矢澤 開催することが第一優先になってしまって、自分らが楽しめなくなってしまっていたのかもしれないですね。なんのためにやっているんだっけって。でもここまで来たトヨロックを、やっぱりみんなでやり遂げていきたいという気持ちは強い。まず2018年はその思いをみんなで共有し、バッチリやっていきたい。その先もどうしていくかも話し合いながら、同時に進めてきます。

–––– 最後にもう一度お聞きします。2018年は必ずフリーで開催する?

矢澤 フリーでやります。今までやってきた集大成の場を12年目に向けて楽しんで作ってやり遂げていきたいなって思います。


SAVEトヨロックGIG!!!

開催日:3月17日(土)

会場:豊田武道館(旧豊田東高校武道場)

出演:タートルアイランド、かむあそうトライブス、 T字路s、ヤスオイル ザ ウェルカーズ

、GIANT STEPS & イーリャムーリャ、刃頭、キムモリソン、nutsman



【CAMPFIRE】クラウドファンディングプロジェクトページ

台風被害で開催困難!入場無料フェス「トヨタロックフェスティバル」応援プロジェクト

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