自然に学びながら、環境負荷の少ないエネルギーを供給するために。【東 光弘(市民エネルギーちば)】

太陽光パネルを一定の間隔をあけて設置することで、作物に必要な日射を確保し、ひとつの土地での農業と発電事業を両立させるソーラーシェアリング。農業とエネルギーが抱える課題を、共存させることで軽減させていく智慧がここにある。

文 = 菊地 崇 text = Takashi kikuchi
写真 = 林 大輔 photo = Daisuke Hayashi


ー 自然エネルギーによる発電をしようと考えた、そもそものきっかけから教えていただけませんか。

東 高校の頃はカメラマンになりたいと思っていたんですね。ロバート・キャパやユージン・スミスといった、リアルな戦争を伝える写真が好きでした。けれど大人になって、報道カメラマンになろうと思ったときには、自分が現地に行って伝えたいと思えるような戦争は終わっちゃっていた。戦争に変わるものは何かなって思ったときに、エコが浮かび上がってきたんです。細野晴臣さんも好きで、細野さんがジム・ラヴロックの『地球生命圏』がおもしろいって書いていて。読んだら本当に興味深かったんですよね。それで御茶ノ水にあるGAIAに入ったんです。


ー GAIAでは野菜を扱っていたのですか。

東 野菜も売っていたんですけど、自然食品店をやっているという概念はなかったんですよ。当時の日本では、オーガニックは健康にいいからとか美味しいからって食べている人がほとんどでしたけど、ヨーロッパでは環境にいいという理由での選択。GAIAは自然食品店ではなくエコロジーショップというテーマでやっていました。当時のお店のコピーが「大根からソーラーパネルまで」。ジャガイモの隣でソーラーパネルも売っていた。30年以上も前のことですから、年間に10個くらいしか売れなかったですけどね。

ー GAIAには何年くらいいたのですか。

東 30歳を過ぎてGAIAを辞めて。その後、千葉で同じようなショップをはじめたんです。カフェもあって、環境専門の古本もあって。アースデイ千葉というイベントもはじめて。そして2011年に東日本大震災があった。当時思ったのが「間に合わなかった」ということ。それで食べ物の仕事は辞めて、自然エネルギーに入って行ったんです。そして市民発電所をやりたいと思った。


ー 市民発電所とはどんな発想だったのですか。自分で使うものは自分で作るということですか。

東 まさにその通りで。なんで原子力発電所が爆発しちゃったのか。大きなところが牛耳っていて、コンセントにさせば電気が当たり前に使えるってことに甘えちゃって、みんなが何も考えていなかった結果だと思ったんですね。エネルギーも自分ごとにするっていうこと。お金を自分たちでも出して、エネルギーをひとりひとりの身近にしておくっていうことが、原子力とは反対の道じゃないかって思ったんです。

ー 電気は当たり前にあるものだと思っていたのかもしれません。

東 カメラマンになりたかったのは自由になりたかったから。食べ物やエネルギーに関わることで自由になれると思っているんですね。自分たちで発電所を作っていく。イメージとしては山のトラストなんです。山の小さな場所や木を買う。そこの部分は自分たちが自由にできるっていうか、相手に自由にさせない。市民発電所って、電気のトラスト運動だと思っているんです。代替案を手にしていく。自分たちが発電所を増やせば増やすほど、その地域は原子力や火力の電気に委ねる必要がなくなるわけですから。


ー その意味では、ソーラー発電は個人が踏み出せる発電ですよね。

東 小さなパネル1枚でもいい。エネルギーって習うより慣れろみたいなことが大事だと思っていて。A4用紙程度の小さなものでも、スマホなら充電できる。これも立派な再エネなんです。


ー 身近な小さなことからはじめるっていいかもしれないですね。

東 1はゼロじゃない。0.1もゼロじゃない。けれどゼロはゼロのまま。よく言っているのが「知るエネなくして省エネなし、省エネなくして再エネなし」ということ。エネルギーをいかに使わないっていうことも大切なんですね。考えているより、みんながちょっとでもやれば変わるんです。積もりに積もると、ゴミも食べ物もエネルギーも環境破壊になってしまうから。

ー ソーラーシェアリングを市民発電所として取り入れようと思ったのは、どんなきっかけがあったからなのですか。

東 自然エネルギーに入ってから、一市民としてあらゆる再エネ系の講座を受講していたんですね。そのときに「ソーラーシェアリングっていうのがあるんだけど知っている?興味があるんだったら見に行かない?」って誘われて見に行ったんです。ずっと野菜を仕入れる仕事、野菜と向き合う仕事をしていましたから、畑の上で太陽光もやるっていうことがけしからんっていうか、世界観が違い過ぎるんじゃないか、発電ありきで農業がないがしろにされているんじゃないかって思っていたんです。ソーラーシェアリングの畑を見せてもらったら、野菜たちがたおやかっていうかいい顔をしていた。その後その畑にボランティアで通って、いろんな野菜を植えてみて堆肥も作ってみた。すごくよく育ったんです。これは広めるに値する技術だなって思って会社を立ち上げたんです。


ー それが市民エネルギーちばなのですか。

東 そうです。地域で発電をしつつ、地域起こしをする会社。


ー ソーラーシェアリングの畑を見ていると、例えばメガソーラーとは違った未来形というか、自然と人との共生も感じられます。

東 山を壊すタイプのソーラーを見るとウッとなってしまいますよ。生理的に嫌なんですよね。今は、平面になった場合のソーラーパネルと太陽光が注ぐ部分の比率は1対2にしています。さらにパネルの幅が18センチとこれまで以上に細くて木漏れ陽をイメージしたシステムもスタート予定です。僕らがやっているソーラーシェアリングも、実際にはゴミは出る。完璧な技術じゃないんです。けれどアクションをして行かないと変わらない。人間の気持ちも含めて、世の中がポジティブに変わっていくことを考えている。作るときと廃棄するときのエネルギーよりもはるかに大きなエネルギーを生みつつ、畑の景観としても人の心に癒しが与えられればいいなって。今の匝瑳にある畑も、森を開墾して人間が開発しちゃったところ。現状をベターな方向に修正する。より未来的な、より理想的な状態を作りたいなって。


ー 人の心を豊かにするための畑でありエネルギーであると。

東 そこが一番大切だと思っていて。自然エネルギーが広まっても、人の笑顔が広まらなかったら本末転倒だと思ってて。僕がエコロジーに関わりはじめた30年前は、再生可能エネルギー、自然エネルギーのことをソフトエネルギーって言ってたんだよね。なんかその響きが好きで。柔らかい世界観の上にあるエネルギー。


ー 東さんにとって、自然エネルギーは人を豊かにするためのひとつの手段だと。

東 極めて一部分。自然に学ぼうとか心の向きのほうが大事だと思ってて。みんなが笑顔になるためのプロセスのひとつに自然エネルギーがある。自然からは無限に学ぶことがあるから。その学びを社会生活にどんどんフィードバックしていく。そうすることによって、オーガニックっていうかナチュラルっていうか、自然に近い文明になっていくと思っているんです。


東 光弘(市民エネルギーちば)
お茶の水にあるGAIAをはじめに、およそ20年にわたって有機農産物・エコ雑貨の流通を通じて環境問題の普及に取り組む。2011年より自然エネルギー普及活動に専念。「自分達でもひとつずつ市民発電所を作ろう!」という思いを実現させるために、2014年7月に市民エネルギーちば合同会社を設立。同年9月から千葉県匝瑳市の自社発電所の通電を開始した。2021年12月、市民エネルギーちば(株)として環境大臣表彰/先進導入・緩和部門で大賞を受賞。https://www.energy-chiba.com/

ソラシェア収穫祭開催!

 畑の上で太陽光発電を行う「ソーラーシェアリング」の畑で育った野菜たちの収穫を祝うお祭り。テーマは「自分らしく、地域らしく、地球らしく」。GOCOOが出演するソーラー発電によるライブや地元の秋の味覚が堪能できる。4回目の開催となる今年は、畑の上マーケットには地域を盛り上げる個性豊かな出店者が集い、植樹をはじめとする体験型コンテンツも充実。心安らぐ自然の下、太陽の恵みを分かち合う。

開催日時:11月20日(日)10時半〜15時

場所:飯塚 畑の上公園(千葉県匝瑳市)


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