【三根星太郎】アンサンブルとしてのギターと自分の表現としてのギター。

アフリカ、レゲエ、ブルース、ロック、ジャズ、サイケ、アンビエント、ヒップホップ…。様々なサウンドやリズムをエモーショナルなギターの音に昇華させる。インストに込めた自分の音世界の核心。


文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi
写真 = 須古 恵 photo = Meg Suko

–––– 犬式や様々なプロジェクトに参加するギタリスト。そんな印象を持っていたけれど、そもそもソロを作ろうと思ったきっかけは?

 震災後に長野に移住したことが関係しているんですね。それまで東京で、たくさんの音楽仲間とセッションしていました。移住したら周りにセッションする仲間が一気にいなくなったんです。ひとりで遊ぶしかない。そこからプロジェクトの空きを見計らって、自分ひとりでの宅録をはじめて。そして2017年に最初のソロアルバムをリリースしたんですl。


–––– そして今年、セカンドをリリースした。

 ファーストの音をライブで再現することは考えていなかったんですね。それでもリリースしたら、いろんなライブのオファーが来る。亡くなってしまったキングダムアフロックスの田中慶一くんと北海道でライブをやったんですね。ドラムとギターのふたりでアフロビートをやったらおもしろんじゃないかってライブで感じて。それがセカンドの発想の原点になっています。


–––– 実質的にセカンドアルバムの制作に入ったのはコロナ禍になってからだったのですか。

 コロナ前から作ってはいたんです。ずっとちょこちょこ作って溜めていったら、たまたまコロナにぶつかった。ただアルバムとしての音像が、はっきりと見えてきたのはコロナ以降かもしれません。それまではサイドプロジェクト気味に進めていたものが、否応なしにその時間のメインプロジェクトになってしまった。コロナという時間があったことで、じっくり向き合って、熟成する時間を取れました。足りない部分も聞こえてきて。それがドラムだったんですよ。

–––– 最初にギターを弾き始めたのはいつくらいだったの?

 高校生のときに、親父にフォークギターを買ってもらって。たぶんモテたかったんでしょう。それまでは勉強ばかりして、スポーツもダメだったし、モテる要素が何もなかったんです。今も別にないけど(笑)。当時は、ギタリストというよりも、歌も歌うつもりだったんじゃないですかね。


–––– ギターに執着して行ったのは?

 高校2年生の時に、学校で一番うまいギタリストと友達になったんですよ。石黒くんっていう友人(笑)。石黒(祥司)くんは本当にギターが上手で、早弾きっていうわけじゃなくて、ファンキーでグルーヴィーで。石黒くんに言わせると、自分は下手なんだけど、ちょっと変わったセンスを持っているって。よくふたりでセッションして遊んで、それがギターにはまったきっかけなんです。


–––– 宅録する際は、ギターから作りはじめることが多いのですか。

 いろいろですね。適当にリズムを組んで、そのリズムと自分がセッションすることもあるし。ギターから浮かぶこともあるし。ただギターではない楽器から、自分が弾くギターのヒントを得ることがすごく多いんです。ギターありきみたいな発想が、ギタリストとして薄いのかもしれません(笑)。


–––– ギタリストとして大切にしているポイントとは?

 歌ものはもちろん、アンサンブルのなかで自分の立ち位置を見つけて、もし必要がなければ弾かないし、必要があれば弾くよっていうのが、自分の目指しているスタイルなんですね。やっぱり間ってすごく大事にしたほうがいいと思っていて。マイルス・デイビスの自叙伝を読んで、間については考えさせられたんですけど。


–––– ライブでは、どんなことを感じて演奏しているのですか。

 そこの空間で鳴っている楽器をとらえるような感じで聞いていますね。聞くことに集中するわけではなく、全体で感じているっていうほうが近いかもしれないですね。


–––– コロナによって、ライブやフェスは少なくなっています。

 ライブはバンド主体でやってきていましたから、ロックして人を盛り上げなきゃいけないという考えがあったんですね。ひとりでライブして何がおもしろいのって思っていましたから。バンドでもふたりでも、誰かと合奏するほうが楽しいに決まっている。音楽っていうのは、ひとりで演奏していたのでは、自分の予想範囲の外までにはなかなか行かない。ふたり以上でやることによって、マジックというかミラクルというか、予期せぬことが起きてしまう。そこが音楽のいいところですよね。コロナになってから少しずつその考えが変わってきて、どんなテンションでもライブって素晴らしい時間なんだと思えるようになってきたんです。少しずつですけど、ギター一本でもライブをやるようになっています。


–––– 音の聞こえ方とか音から見えてくる風景が変わったということは?

 聞こえ方もあるかもしれないけど、音に対しての向き合い方が変わってきましたね。ギターを弾くということを仕事としてとらえて、気がつかないうちにそれに固執してしまう自分がいました。遮二無二音楽に打ち込むというか。コロナになってそれが一回崩れて、ギターを弾かなくなったことがあったんです。ギターを弾きたい気持ちにならない。それが10日間くらい続いて、その状態でNEKOSOGIのレコーディングに行ったんですね。そしたら、なぜかみんながギターがすごく良くなっているよと。練習は必要ですけど、練習ばかりする必要はないと悟ったんです。視野が広がったというか、ちょっと俯瞰して自分と音楽の関係を見ることができたのかもしれない。そうなることによって、一音弾くだけなんですけど、その一音が違ってき聞こえてきた瞬間があって。その感覚も大事なんだなって。


–––– その感覚がセカンドアルバムの音にも封入されている?

 その心境に至るまでの過程が全部入っています。まだそこまで達観できていない時期の音も。自分が何を考えていて、どんなことが好きで、どういうギターを弾きたいのかっていうことがわかりやすく知ってもらえるアルバムになっていると思います。流行りの音楽をやっているつもりはなくて、10年20年経ってもいいなって思ってもらえるような曲を作っているし、これからも作っていきたいと思っています。

取材協力 = C.V.C. MALL(所沢)

三根星太郎
三宅洋平、石黒祥司とともにDogggystyleを1999年に始動。03年にミニアルバム『レゲミドリ』でメジャーデビュー。後に犬式とバンド名を変更してライブをメインに活動を続けていたけれど09年に休止。東日本大震災をきっかけに11年に長野に移住。17年にギター・インストゥルメンタルのソロ第1作をリリース。4年ぶりとなる2ndアルバム『Bochi Bochi』が21年5月に発表された。現在は復活した犬式の活動のほか、ローホーが結成したNEKOSOGIのメンバーとしても名を連ねている。

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