バンドサウンドでダンスミュージックを紡ぐ。そんな先駆的なビジョンを有して活動をスタートさせたのが90年代中盤。コロナの時代にライブというコミュニティはどうあるべきか。ライブでの問いかけが続いている。
文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi
写真 = 須古 恵 photo = Meg Suko
結成24年にして、はじめてバンド名をタイトルにしたアルバムがリリースされました。曲はいつから作りはじめ、レコーディングはいつ行われたのですか。
勝井 1曲目だけ特殊な曲で、昔やっていたリメイクというか。最後の曲は新しいんですけど、それ以外は2018年にまとめて作りはじめたものです。録音したのは1月でした。スタジオを3日抑えていたのですけど、結局2日間で録り終えましたね。
自分たちのバンド名をアルバムのタイトルにしたということは、それだけ納得した作品になったということなのですか。
勝井 やっぱり手応えがあるっていうことと、コロナだからっていうことでもないのですけど、ある種のリセットというか、原点回帰的な思いも含まれていますね。24年やってきたという記録。僕たちの今の到達点として最高作と言っていい。
ここまでROVOというバンドが継続できると思っていましたか。
勝井 いつまでやるのかなんて、全然考えていなかったですよ。結成当時は山本(精一)さんが大阪に住んでいて僕が東京。それでバンドを成立させるってやっぱり無理があるじゃないですか。最初は大阪と東京のメンバーを変えて、大阪ROVOと東京ROVOをやろうなんて言ってくらいですから。結局大阪ROVOはライブをすることもなく、メンバーが固定しましたけど。
最初の頃は、いわゆるパーティーでのライブばかりでしたね。
勝井 91年にイギリスに行き、当時はハードコアハウスって言ってましたけどレイヴにカルチャーショックを受けたんですね。一緒に行った仲間たちは、僕以外はみんな帰国してからDJになっていたほどでした。ただ自分はDJではなく、あくまでバンドマンであり、バンドで表現したいと思ったんですね。しばらくして山本さんと電話で話していて、クラブミュージックみたいなものをバンドでやりたいって話したんです。シンプルでミニマルな踊れることに特化した音楽。山本さんも「ええな、俺もそういうライブをやりたいと思っていたんだよ」って話されて、じゃあ一緒にやりましょうと。だからROVOのスタートはバンドでのライブでありつつも、意識としては音を止めることのないDJなんですね。
そしてパーティーからフェスのシーンへと移行していく。
勝井 大きかったのはフジロックですね。オールナイトでしかやっていなかった僕らがオーバーグラウンドに出て、一般の人がはじめて見たのが2000年のフジロックだったと思います。
2020年1月に録音した『ROVO』が、コロナによって聞こえ方が違ってきたというようなことはあったのですか。
勝井 最後の「SAI」という曲なんですけど、特にその曲が繰り返し聞いているうちに違った意味合いを持って聞こえてきたというか。自分が作ったにも関わらず気づいていなかった、その曲の持っているある種の力、可能性みたいなものが感じられるようになったんですね。コロナでみんなが家にいなきゃならないっていう状況のなかで、未来に向けて希望を持っていかなきゃいけないんじゃないかっていうような意味合いを秘めている曲だなって。
勝井さんにとって、音作りとライブではどちらの比重が大きいのでしょうか。
勝井 もともとROVOってダンスミュージックの現場を作ろうとしたんですね。だから僕らにとっては音を作ることと場所を作るっていうことはイコールなんです。分け難いもの。その両方があってROVOというバンドが成立している。
勝井さん自身は、あきる野のキャンプ場で開催されている〈ライブフォレスト〉に継続して出演なさっていて、あの春のコロナ禍のなかで、もっとも早くライブを再開したアーティストのひとりです。
勝井 これからの時代のことを考えると、音楽の場所を作るスタッフや演奏者だけではなくて、参加するお客さんもちゃんと共有するっていう意識を持って集まらないと場所として成立しない。それが新しい時代に求められるクオリティなんだと思います。
音楽の場所をミュージシャンとファンが共有して創造していく。ROVOのファンならそれが可能だと思います。
勝井 ずっと家にいて人に会わない、どこにも出かけない。それが唯一のコロナの解決策だとしても、それだけで次に行こうとしなかったとしたら思考停止だと思うんです。僕らは生きていくために音楽が必要で、ライブという場も必要。どういうふうに成立させるのかっていうことを、イマジネーションを持って自分の頭で考え、自分たちで試すことが、今の時代に生きるものの使命だと思うんです。
24年って振り返ると長かったですか。
勝井 やっぱり長いですよ。僕は16歳からライブハウスに出ているんですけど、40年をバンドマンとして生きてきていることになる。その半分以上がROVOなんですね。だからROVOが自分のライフワークだと思っているし、このバンドがなかったらまったく違うバンドマン人生になっていたと思います。
勝井祐二と山本精一を中心に96年結成。 バンドサウンドによるダンスミュージックシーンの先駆者として、シーンを牽引してきている。フジロックには2000年に初出演。2003年からは日比谷野音でROVOがオーガナイズするMDTフェスティバルを続けているが、残念ながら2020年はコロナ禍で中止となってしまった。結成24年で初のセルフタイトルアルバム『ROVO』を2020年9月に発表。バンドの意志とサウンドが一体化した作品として高い評価を集めている。
3月20日(土)
ROVO ヘリオス・グルーヴィーナイト番外編@南砺市福野文化創造センター ヘリオス
18:30開演 ※2マンで予定されていたKIKAGAKU MOYO(幾何学模様)の出演はキャンセルになりました。
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