橋本周と片山健太郎による仙台発のブルース&フォークユニット。体験や日常を込めた等身大の歌は、自分たちが生きる証かもしれない。だからこそリアルな風景が見えてくる。
文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi
写真 = 伊藤愛輔 photo = Aisuke Ito
— 身から出たサービス(身サビ)の結成はいつだったのですか。
カタケン 2013年のお正月のイベントをするために12年暮れに結成。
— ふたりはそれまで一緒にやったりはしていたの?
周 ライブ会場で会って「おぉ」って挨拶する程度。対バンをして、仲良くなったのは結成の数年前。
カタケン 最初のライブが1月2日か3日だったんですけど、それが大盛況で。調子に乗ってしまって、その後もライブを続けていったんですよ。周くんは別のバンドをやっていたんだけど、そのバンドに来たオファーでメンバーのスケジュールが合わないときは身サビで埋める。そんな感じで増えていきましたね。
周 ライブはめっちゃやっていたんですけど、オリジナルはカタケンが作った1曲しかなかったんです。3年くらい前に、そろそろアルバムをつくたいって話になったんだけど、オリジナル1曲じゃつくっても意味がねえやと。そんなときに、俺がやっていた現場仕事が少なくなってしまって、ずっと家にいるような状態になったんです。じゃあ俺はミュージシャンなんだから、日当を1日で1万円稼ぐかわりに1日に1曲をつくろうと決めて。どんなしょっぱい曲でも1日に1曲をつくって録音する。それで20曲くらいできたんです。それがファーストアルバムに繋がったいったんですよ。
— そのファーストアルバムを撮りはじめたのはいつ頃?
カタケン 18年の11月からですね。
周 最初は5日間のスケジュールを取って、仙台からスタジオのある相模原に行った。カタケンはその5日間で終わると思っていたんですね。ところが…。
カタケン 4拍子とかを刻むクリックをヘッドホンをして聞きながらギターを弾くことができなかったんです。俺は音楽が素人で、やれることだけを気合いと性格だけでパフォーマンスしてきた。レコーディングに入って、音楽ができないことを俺はやっと自覚したんです。録ったものを聞いて、「これって俺の声?」っていうレベルですよ(笑)。周くんはずっと我慢強く、俺の家に来たり、CDをつくってきてくれたり、いろいろ苦労してくれて、工夫もしてくれて、俺が歌えるように弾けるように。
周 40代でギターの初歩を学ぶ(笑)。
カタケン 最初の5日間で勢いで8曲〜9曲を録ったんです。けれど、結局はそのときのテイクはひとつも使ってないかな。1年半で全部が入れ替わっている。
周 録音されたものって、車のなかで聞いたり寝る前に聞いたり、いろんなシチュエーションで聞くじゃないですか。ちょっとでも「違う」って感じる部分があったら、また相模原のスタジオに行って録り直す。俺たちは下手くそだから、満足できるまで何回も行って。
カタケン これ以上言われたら投げ出してしまうギリギリまで追い詰められた。周くんも、切れる寸前まで我慢して俺に言ってくれていたんだと思う。
— 作りはじめから終わるまで、長い道のりだった?
カタケン 本当に長かったです。いろいろありましたから(笑)。
周 俺たちなりに時間をかけて本気で頑張ったんで、今はめっちゃ可愛いですよ。
— ふたりにとって音楽はどんな存在?
周 人ができなくて俺にしかできないことって音楽しかないんで。俺の作った曲で、みんなが「イエーイ」って言ってくれたり、それがうれしくてやっているんです。まさにライフワークですね。
カタケン 音楽がなくなったら俺はダメだな。仕事に関しては、こだわりがないんですよ。自分の行動範囲のなかでお金をつくることができるスモークミックスナッツという仕事を見つけて、それはとてもありがたいことで喜んでもらえるように大事につくっていますけど、それに対する執着はあまりなくて。やっぱり歌を歌っていきたい。身から出たサービスを、自分が一番大切にしています。
周 俺たちができることを背伸びしないでやっている。そして言いたいことを飾らないで表現できている。
カタケン この感じを続けていきたいんです。だからゴールとかはないんですよ。
2013年正月にあった仙台でのイベントに出演することが決まって、急遽結成されたブルース&フォークユニット。メンバーは橋本周と片山健太郎のふたり。DACHAMBOやKARAMUSHIなどのツアーに帯同することによって人気を獲得していった。制作に1年以上が費やされたファーストアルバムを2020年5月にドロップ。「不器用な優しさが、路地裏から懐かしい東北の風景へと広がっていく」とAO YOUNGが帯に寄せている。仙台から生まれたリアルな不良大人のブルース盤。
取材協力 = サウンドナッツスタジオ(相模原)
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