何を食べるのか。誰もが避けられない毎日のことであるからこそ、その選択は大きな意味を持っているに違いない。地球からの様々な声を聞き、それを食を通して伝えている。
文 = 宙野さかな text = Sakana Sorano
写真 = 林 大輔 photo = Daisuke Hayshi
ー 生まれ育ったのは東京?
山戸 東京といっても吉祥寺です。私が小さな頃は、畑もいっぱいあって、森も近くにあったから、多くの人がイメージとして持っている都会ではなかったんですけど。
ー 田舎で暮らすっていうことに対しての憧れは持っていたのですか。
山戸 それもなかったですね。私が20代に入った頃に、両親が東京の家を売って八ヶ岳に引っ越したんですよ。自然の豊かなところで暮らすということを、両親を通して知ることになって。
ー 東京という都市を離れて、田舎で暮らそうと思ったきっかけは?
山戸 20代の頃にバックパッキングで世界放浪をしたいと思って、仕事を辞めて国内外を1年半くらいブラブラしていたんです。海外には7カ月いてバックパッカーで。国内はワーゲンバスに車中泊しながらグルグル巡っていた。それで自由を知ってしまったんです(笑)。旅を終えてからも、休みの日には海に行ったり山に行ったりしていて。仕事のために東京にいるみたいな生活をずっとしていたんですね。大きなきっかけとなったのが東日本大震災。何かあったときに水が手に入らないところに人が住んでていたんです。時間がたくさんできたことで、家のことに向き合えたんですね。やりたかったことを集中的にやったら、はじめて家っていいなって思えたのね。せっかくこんなにいい場所に暮らしているんだから、ここでの暮らしをもっと楽しまないとなってすごく考えるようになって。
ー 今は、何を人に伝えていきたいと思っていますか。
山戸 わかりやすく言えば、身体にいいものを食べましょうっていうことを言ってきたんだけど、もはやそれだけじゃダメなんだなっていうことを少しずつ感じていて。環境問題に関してのメッセージを少し強めに発信していこうと思っています。
ー それを食で表現したりということ?
山戸 実は、インスタで環境おばさんっていうハッシュタグを付けて、いろいろなことを投稿しているんです。竹の歯ブラシのこと、コンポストのこと、工業型の畜産に反対して食べる肉を減らしましょうっていうこと…。
ー 環境問題に対する視点って、コロナによって大きくなっているように感じます。
山戸 そうじゃなかったら困っちゃうしね(笑)。10年後にどんな世界になっているのかってまったく想像できないじゃないですか。極みと絶望の淵の両方を、私たちは見ている世代かもしれない。たかだか80年しか生きていないのに、それってものすごく大きな意味があって、ものすごく大きな責任もある。
ー 日本だけとか、どこか限定された地方だけとかではなく、コロナは世界中の人が共通して考えるきっかけになりました。
山戸 みんなが立ち止まらなきゃいけなかったという。やっぱり世の中にゴミが溢れ過ぎていて、ものが多過ぎる。食べものにしろ洋服にしろ、たくさんつくってたくさん捨てる社会を改めること。日本人はもったいない精神の国だったはずだから。
山戸ユカ DILL eat,l ife.
自然をモチーフにした編集ユニットnoyamaとしても活躍。東京で料理教室を主宰後、2013年に八ヶ岳南麓に移住。玄米菜食の循環型レストラン「DILL eat, life.」をオープンさせた。著書に『山戸家の野菜ごはん』などがある。https://dilleatlife.com/
0コメント