MAJESTIC CIRCUSが始動して24年。ライブという場で、自分たちの音楽とそれを受け取ってくれるファンとのコミュニケーションを構築してきた。2度と同じライブがないジャム~インプロビゼーションというスタイルのなかにあるリアルな体験。バンド結成20年を迎えた2022年のインタビュー。
文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi
写真 = 林 大輔 photo = Daisuke Hayashi
––– 最初にグレイトフル・デッドを聞いたときのことって覚えていますか?
中学の頃。友達のお兄さんが音楽好きで、レコードをいっぱい持っていたんですよ。お兄さんは大学生だったから、昼にいないことも多い。その友達の家に遊びに行って、お兄さんのレコードをいろいろ物色して聞いて。そのなかにデッドの『ワーキングマンズ・デッド』があったんです。
––– 当時、もうギターは手にしていた?
ちょろっと触る程度。中学の頃はパンクが好きだったんですね。それとレゲエ。クラッシュの『ブラック・マーケット・クラッシュ』を聞いて、レゲエやダブに入っていって。ギターを弾くという点ではブルースが好きで、ブルースのレコードに合わせてギターを弾いたりしていましたよ。それが高校1年くらいかな。
––– 『ワーキングマンズ・デッド』はフォークロックというか、それほどサイケデリック感がないアルバムです。
友達の家で聞いたときは「なんかいいな」っていう程度。自分で最初にジャケ買いしたのが『スカル&ローゼス』だったんですね。『ワーキングマンズ・デッド』とはまったく違う。わけのわからない長い曲があったりとか。自分には集中力がなくて、長い曲は聞いていられなかったですから。デッドをちゃんと聞けるようになったのは、高校の後半くらいからですよ。
––– デッドのショーを初めて体験したのはいつ?
90年のサンフランシスコでのカウントダウンショー。下北沢にKCジョーンズってお店があって、そこにはデッドのショーを見てきたっていうデッドヘッズたちがよく集まっていたんですね。アメリカから帰ってきたばかりの、すごいテンションの人たちも多くて。「絶対に見たほうがいい、見なきゃわからないから」って言われて。それでお金を貯めてサンフランシスコへ。アメリカにしばらくいたいと思って、1年オープンの航空券で行ったんです。
––– はじめてのデッド体験で、どんなことを感じましたか。
音楽がどうのこうのっていうよりも、もっとすごい、もっと深い何か。自分の動いていなかった知覚が刺激されるというか。宇宙を感じたりもしたし。言葉にすることは難しいんだけど、ステージに立っている演奏者もひとつのエネルギーになっちゃうような瞬間とか。
––– アメリカにはどのくらいいたの?
結局は3ヶ月で帰ってきちゃったんですけどね。シスコにも知り合いができて、共同生活しているようなところに居候させてもらって。帰国するまでに、2月にはデッドのチャイニーズ・ニューイヤーがあり、ジェリー・ガルシア・バンドも3日間公演が2回あったし。居候していたところは、UCバークレーのアート関係の人がいたり、平和活動家がいたり。湾岸戦争のときだったので平和運動もすごかった時代でした。
––– ある部分、デッド体験がギタリストとしての方向性を変えたってことはあったのですか。
実はギタリストになろうと思ったことって全然なくて。とにかく弾いているのが好き。ギターを弾いているのが楽しいからこそ、今も続いていると思うんです。デッドのライブで変わったことがあるとしたら、自由でいいんだっていうこと。ジェリー・ガルシアのギターを聞くと、自由になって突き抜けていくような感覚に、今もなれますから。
––– 帰国後はどんな活動を?
ビッグフロッグの結成は少し経ってからで、まずはレゲエバンドをやったんですね。スタジオではジャムセッションはしていました。
––– PHISH、デヴィッド・ネルソン、マール・サンダース、スティーブ・キモック、MOE.…。ビッグフロッグはいろんなアメリカのバンドのオープニングバンドを務めていましたね。
結成間もない頃は、ほとんどが梅島のユーコトピアでライブをしていたんですけど、半年くらいしたら、すごい人が来るようになっちゃったんですね。ライブで縁ができて、ジャグリンズ・サンズっていうアメリカのジャムバンドのオープニングでライブをすることになって。その後、間髪をおかずにいろんなアーティストが来日していたので、そのライブに呼ばれるようになって。マール・サンダースは、ビッグフロッグのレコ発のゲストとして協演したんですね。
––– いろんなバンドと同じステージに立ち、場を共有することによっていろんなことを学んでいった?
デヴィッド・ネルソンからは、「音楽は絶対に続けな」ってアドバイスをもらったりしましたね。
––– その頃に自分のギターの方向性が見えてきたのですか。
聞くことと自分が演奏することって違うんですよね。ガルシアの音が好きでも、自分の出す音は違う。影響を受けてきたものも違うし、それぞれの影響によって出てくる音も違う。自分のバランスが取れているところに自分の音があるっていうか。PHISHの日比谷野音のときに、トレイ(・アナスタシオ)をはじめ、メンバー全員がステージ袖から僕らの演奏を見ていたんですね。うれしいっていう感覚よりも、すごいやりにくかった。PHISHでもデッドでもない、自分なりのプレイを探したいって、そのときに強く思いましたね。
––– そしてマジェスティック・サーカスで活動をスタートさせた。2022年に結成20年を迎えました。
2002年ってタイの〈いのちの祭〉に行った年なんですよ。それまでもマジェスティック・サーカスというイベントをやっていて、タイに行くことで、初期のマジェの形になった。
––– バンドとしてのマジェスティック・サーカスで目指していた音とは?
(児玉)奈央ちゃんという素晴らしいシンガーもいる。延々と長いジャムをやるのではなく、普通にも聞けるんだけど、ジャムの要素も入っている。そのほうが多くの人に伝わるんじゃないかって思ったんですね。
––– 20年続けてきた内なる力ってなんだと思います?
売れたいと思って活動していないってことかな。ビッグフロッグのときは、お客さんが多い少ないで一喜一憂していたんです。もちろん、少しでも多くの人とライブという場を共有したいけれど、たとえ少ないからって、その場の持つエネルギーが低下するっていうことはないなって思っていて。
––– マジェは地方でのライブも多くて、地方の人たちがマジェを応援してくれているような気がします。マジェという存在がカルチャーをつないでいるというか。
かつてはジャムのカルチャーが消えていってしまうのは寂しいから、日本でも次の時代につないでいきたいって思っていました。次の世代が出てくるまで続けたいなとか。アメリカではデッドがいて、PHISHがいて、カルチャーとして受け継がれている。僕らが目指しているものがあるとすれば、ライブをしたときのその場の空気感がよくなること。自分たちの演奏が良かったかどうかではなく、会場の雰囲気がどうだったのかっていうことが大切で。
––– 確かにデッドにしろPHISHにしろ、ライブ後は幸福感に包まれている。最後にギターってどういう存在?
地図みたいな感じですかね。例えばルールもないし道もない、何も基準がない世界があったとしたら、ギターを弾いているときだけ渡っていけるっていうか。ギターを弾いているときだけ開いているっていうか、普段見えていないことが感じられたりもするんです。
取材協力:kinack
1990年にアメリカ・ベイエリアでのカウントダウンランでグレイトフル・デッドを初体験。帰国後、しばらくしてからBIG FROGを結成。日本のジャムシーンの中心的な存在として、PHISHやmoe.をはじめ、数多くの来日アーティストと共演を果たした。2002年にMAJESTIC CIRCUSを始動。インスピレーションを音でデッサンしていくような音の構築をライブで続けている。忍野デッド2026では、MAJESTIC CIRCUSの他に、Oharu&mabeeでも出演予定。
0コメント