2021年の苗場の夏。フジロックに参加して。

記憶は、時間の経過とともに、自分の都合のいい方向に更新されていくものだと思っている。忘れたいことも、忘れてはいけないことも、自然と取捨選択している。2021年のフジロックが終わって1週間が経った。早くも忘れてしまったことも多い。だからこそ、今年のフジロックのことを記録しておきたい。

 20日(金曜)12,636人、21日(土曜)13,513人、23日(日曜)9,300人。計35,449人が今年の入場者だった。木曜に行われる前夜祭は開催されず、時間は告知されていなかったものの花火が打ち上がった。多い年に比べれば、およそ3分に1という入場者だ。キャンプサイトを利用した人数は公表されていないけれど、3分に1より少なかった印象だ。

 出演者やスタッフに関しては、開催2週間前からの検温、およそ1週間前のPCR検査、会場入り直前の抗原検査が求められた。参加者に対しても、希望する人には抗原検査キットが送られ、またエントランス近くでもキットが配付されていた。

 開催することに関して、世の中では反対の意見が多かっただろう。一昨年までと同じように、まったく何も気にしないで、フジロックを楽しむことだけを考えていた人は少なかったに違いない。我が家でも、自分がフジロックに行くことに対して話し合った。話し合っても、何が正解なのか、結局は導きだせない。自分を信じて、自分の行動に責任を持つことしかできない。ただコロナは、自分で責任を持とうと思ったとしても、その思いを簡単に凌駕してどこからともなく侵入してくる厄介なものに他ならない。

 キャンプサイトがオープンした木曜も、人が少なかった。これからフェスが始まるんだという熱気みたいなものは感じられなかった。誰もが気持ちを発散させるのではなく、自分の内に溜め込んでいる。この雰囲気は、ライブがはじまっても変わりなかった。

 初日がスピンオフ四人囃子、村本大輔(ウーマンラッシュアワー)、millennium parade。2日目が角舘健悟(Yogee New Waves)、AJICO→光風&GREEN MASSIVE、THE SKA FLAMES 、MONOEYES、Dachambo、ROVO。3日目がyonawo、cero、SUPER JAM、上原ひろみザ・ピアノ・クインテット、平沢進+会人(EJIN)→電気グルーヴ。これが3日間のフジロックの間に、しっかり見ることができたライブ。そのどれもが、お世辞抜きで素晴らしいものだった。スピーカーから放たれる大音量の音と最高峰のセンスとクオリティが凝縮された光で構成されるライブという時間。室内のライブでは味わうことのできない、音楽と自然のコラボレーションを全身で感じた。

 見ることができなかったライブも含め、すべてのバンド/アーティストのフジロックにかけた思いは大きかったに違いない。葛藤し、自問自答して、ライブという自分に向かい合う。それはステージに立ったアーティストだけではなく、出演を辞退したり(辞退したのは折坂悠太、大友良英GEKIBAN、アトミックカフェトークのMCの津田大介、トークに出演予定だった小泉今日子・上田ケンジ、斎藤幸平)、コロナの陽性が判明したことで出演できなかったアーティストもきっと同じだったのだろう。そして今年のフジロックを作ったスタッフ、実際に苗場に行ったフジロッカーも、参加を断念し生配信を見ていたフジロッカーもその思いを共有した。フジロックを守りたい。フジロックを繋げたいという思い。

 ライブが終わった直後に、楽屋で涙を流しているミュージシャンを何人か見た。それだけ、フジロックのライブにかける思いが大きかったという証明だ。自然と涙が出てくるほどの体験。自分はステージに立つミュージシャンでもなく、ライブを直接支えるスタッフでもないのだけど、ライブ(音楽)からは大きなものをもらっている。大げさに言えば生きていくための喜びであり、生きていくことの救い。新型コロナウイルスによって、自分にとってもそんな大切な場所が失われようとしている。

 アルコールの持ち込み禁止と販売禁止、ソーシャルディスタンスの確保、大声での歓声や会話のNG、会場内でのマスクの常時着用…。カウンターであるはずのフェスは、ルールではなくモラルやマナーで未来への意識を共有する場だった。けれどルールとして感染予防対策を徹底させる。ライブを見ていても密にはならない。ライブがはじまってから、ステージに近づいていこうというファンも少ない。常に自分と前後左右にいる人の位置を確認しながら、ライブと向かい合っている。何度も言うけれど、それだけミュージシャンもスタッフもファンも、誰もが今年のフジロックを成功させたかったし、フジロックを未来につなげていきたいという思いがあった。今年のフジロックの成功とは、フジロックからコロナ感染者を出さないことだ。

 今年のフジロックは静かだった。静かさが、逆にフジロックへの思いの大きさを物語っていたように思う。アルコールを持ち込んでいる人は見かけかったし、大騒ぎをするグループもいなかった。

 新型コロナウイルスの第五波は、まだ抑え込まれていない。緊急事態宣言は21の都道府県、まん延防止等重点措置は12の県に発出されている。そんな状況での移動は、自分だけではなく、多くのリスクも抱えている。フジロックに参加したほとんどの人も、それを認識している。そして現実のリスクとフェスという未来への希望を天秤にかけて、参加という結論をくだした。自分にできることは、できる限りの感染症対策をすること。そしてそのことをなしたことで、次へのステップが開かれていく。

 中止や延期という判断ではなく、いかに今の状況のなかでフェスを実現させていくのか。今年はコロナという命題があったのだけど、今後はもっと大きな問題が降りかかってくるかもしれない。そのことにどう自分で対処していくのか。そのことを、改めて突き詰められた時間だった。

 人と人の交流がなくてはおもしろいものは、なかなか生まれない。現場でしか味わえないリアル感。それを残していくために、参加する前の抗原検査はもちろんのこと、参加した人が帰路につく際の抗原検査をセットにして、行政が支援する体制を望む。事前の検査はフェスでクラスターを起こさせないため。そして事後の検査は参加した人たちが日常に戻ってから感染を広げないために。

 アーティストもスタッフもお客さんも、苗場に参加した人だけではなく配信を見ていた人も、誰もが悩み、考え、その結果としてフジロックと向き合った。このことを忘れないでほしいと思う。

 今年はゴミが少なかった。2022年は、心の底から笑って楽しめるフジロックに期待したい。それは、コロナ前に戻るのではなく、今年の経験を生かして新しいフェスの楽しみ方を構築させてのフジロックへの進化だ。

写真・文 = 菊地 崇

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