YUSUKE CHIBA

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食は命をつくる。 美味しい食事は子どもたちに 笑顔と元気をもたらす。映画『いただきます』渋谷アップリンクで公開中。

旬の野菜や玄米を中心にした和食を昼食にする保育園。子どもたちは、残すことなく美味しそうに食べる。美味しいとはどういうことなのかを知る。 福岡県の高取保育園。ここでの昼食は旬の野菜や玄米を中心とした和食。しかも5歳のクラスの園児たちが自分たちで味噌を仕込む。作られている味噌は毎月100キロになるという。この保育園の1年間を追いかけたドキュメンタリー映画が『いただきます〜みそをつくるこどもたち』だ。 高取保育園の開園は1968年。西福江園長の「知育、体育、徳育の基本に食育がある」という教育理念のもと、アレルギーや食育という言葉がない時代から、アレルギー疾患の子どもたちを受け入れてきた。試行錯誤を重ね、行き着いたのが「日本の当たり前の食事」。添加物を使わない本物の食べものを選ぶこと。映像で印象的だったのは、子どもたちが美味しそうに和食を食べていることだ。ハンバーグやカレーといった、いわゆる子どもが好きとされる料理ではなく、味噌汁や玄米を残さずに食べている。なかにはお皿を舐めるように食べている子どももいる。好きという初期衝動が画面に溢れているのだ。 西園長の語録に「食は命をつくる」というものがある。確かに、食べることによって身体は作られ命が育まれる。日常ではついつい忘れてしまいがちな大切なことを、この保育園はしっかりと続け、それが園児に笑顔と健康をもたらしているのだろう。子どもたちは自分で食べるおにぎりも自分で握る。自分で作ったものは本当に美味しい。

埼玉県所沢 日本音楽のレジェンドを中核にするフェス。

小坂 忠 vs 工藤昭太郎(空飛ぶ音楽祭/ MOJO)所沢で新しいフェスがスタートする。出演するのはほとんどがこの町にゆかりがあるミュージシャンたち。所沢で「酒と料理と音楽の店MOJO」を営み〈空飛ぶ音楽祭〉ではブッキングを担当している工藤昭太郎と小坂忠が語る「町の文化」。文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi写真 = 須古 恵 photo = Meg Suko60年代の新しい息吹。ー 小坂さんは66年にザ・フローラルでデビューなさいました。その翌年に細野晴臣さん、松本隆さんらとエイプリルフールを結成。小坂 ザ・フローラルっていうバンドはグループサウンズ。それが僕は嫌でね。バンド内でグループサウンズ志向と違う音楽の志向に分かれていて。それで解散することになって。工藤 僕が小坂さんの存在を知ったのはエイプリルフールでした。同時代に聞いていたわけではないのですけど、それまで聞いていたはっぴいえんどなどとは違うところにある音楽だなって思って。時代に対する起爆剤みたいな印象を受けたんです。ブルースからアバンギャルドまで、やりたいことを全部詰め込んでいる。それが小坂さんに対する最初のイメージでした。小坂 エイプリル・フールが解散することになって、僕はミュージカルに興味があったから『HAIR』に出演することにした。細野くんたちと一緒にバンドをやるような話をしていたんだけどね。細野くんは大瀧(詠一)を誘って、はっぴいえんどになっていった。工藤 はっぴいえんどは、日本語ロックの夜明けだっていう言い方をされたりしています。夜明けというのは、ある程度価値として評価が定まった状態であって、その評価が定まる前の混沌としたところに、象徴として小坂さんがいたように感じていました。だから小坂さんありきで日本の音楽シーンが動いているのかなって思っていた時期があったんです。小坂 そんなことはないんだけどさ。ただ60年代後半っていうのは、僕は一番おもしろい時代だったなと思うんだけどね。音楽だけじゃなく、写真にしろ映画にしろ演劇にしろ、新しいものがどんどん出てきてね。本当に溶岩が噴き出すみたいに、いろんなものがふつふつとしていた時代でね。そういうのが好きだったんですよ。米軍ハウスからの発信。ー70年代前半に、小坂さんは東京を離れ埼玉にある米軍ハウスに拠点を移しました。小坂 Work Shop MU!! というデザイン事務所に居候していたんですよ。大瀧の『ナイアガラ』とかデザインしていたところ。MU!! に飯能出身の人がいてさ。たまたま飯能に帰ったときに、稲荷山の米軍ハウスを日本人に貸し出すっていう情報を得て、みんなで行ったわけ。工藤 何歳くらいのときのことですか。小坂 『HAIR』が終わってすぐだから20歳くらいだね。僕らがアメリカ村最初の住人なんですよ。引っ越した頃はまだ米軍、ジョンソンエアベースがある時代。本当にアメリカっぽかった。家と家の間にフェンスがないし、すごく広い感じがするし。だんだん日本人が入ってきて、日本的になっていくわけ。自分のテリトリーをちゃんと囲みはじめて。工藤 当時、郊外の米軍ハウスに拠点を構えるっていうのがすごいなと思うんです。アメリカ軍がいたから、カントリーやブルース、ロックンロールがあった。基地の近くにいることによって音楽を集める。そういう作業をみなさんがしていたと思うんです。横須賀、厚木、横田と16号線からさほど離れることなく米軍基地が点在している。16号が日本の音楽ラインというか、細野さんとかみなさんが集まって実験を繰り返したことが、今の日本の音楽シーンのひとつの原点じゃないかって思っているんです。小坂 米軍ハウスは家賃がめちゃくちゃに安かったのよ(笑)。工藤 文化が生まれるところって、家賃も含めて物価が安くないといけないっていう思いがあります。日本だけでなく、海外もそうじゃないですか。サンフランシスコのヘイト・アシュベリーもそうだし、ニューヨークのグリニッジビレッジもそう。若い人たちがコミュニティを形成しやすい。渋谷であったり新宿であったりの東京が文化の中心と言われていますけど、東京は評価が定まったものが消費されるところ。70 年代前半に文化が生まれたのは、悶々として米軍たちと情報交換しながら、異文化交流していたところだったんじゃないかと思っているんです。小坂 東京を離れて狭山に引っ越したでしょ。東京から狭山の距離感が、非常に良かったと思っているわけ。カントリーでもなく都会でもないという距離感がね。

yahyel バンドというスタイルに込めた 世界基準のクリエイティブ。

文=クリス スカル text = Sukaru Kurisu2016年の〈フジロック〉初日。ほとんどのステージでライブが終わっていた午前3時。yahyelのライブを見るためにROOKIE A GO-GOに多くの人が集っていた。フジロッカーだけではなく、フジロックにラインナップされていたミュージシャンも少なくなかった。 yahyelは、ボーカルの池貝峻、サンプリングなどを担う篠田ミル、シンセサイザーの杉本亘に、VJの山田健人とドラムの大井一彌が加わった5人。2015年に池貝、篠田、杉本の3人で結成され、2016年春にヨーロッパツアーを敢行。国内外で注目を集め出した時期でのフジロック出演だった。そして〈フジロック〉 に2年連続で出演する。ルーキーステージからの2年連続出演は、去年のD.A.N.の例があるがそれほど多いことではない。「むしろ出られなきゃ困るというくらいの気持ちでいたので、2年連続は基本はないと知りつつ、最低限の目標として達成しなければね、という共通した意識は持っていました」と篠田。「ルーキーは今年のための入場切符みたいな感覚でした。来年も出るぜって人に言っていたんですね。口にしていたことで運気に変わって、それが戻ってきてくれたのかなって思います」と杉本。 去年の11月に初のフルアルバム『FRESH AND BLOOD』をリリース。今年に入ってから〈TAICOCLUB'17〉や〈VIVA LA ROCK2017 〉などのフェスに相次いで出演を果たしている。「去年という1年はバンドにとって濃密な時間でしたね。そして今年になり、ライブとしての規模感は大きくなってきたけれど、こんなもんじゃねえぞっていう傲慢な気持ちも持っています。自分たちが変わったというよりも、周りが変わってきたという印象のほうが強いかもしれないですね。日本のインディーシーンの磁場が変わってきたという実感がありますし、そこで受け入れられて僕らのポジショニングが確立できてきたなって思う反面、別にこれが僕らが持っている最初の目標でもなかったわけですし。自分たちが描いていた行きたかったところまでまったく到達できていない。それが悔しいというか、やっとスタート地点に立ったぐらいなんだろうなと思っています」と篠田。 池貝、篠田、杉本の3人で音づくりをはじめてからわずか2年あまり。ポスト・ロック、ポスト・ダブステップと呼べるだろう音楽性は、無国籍性であり、世界同時多発的なものに違いない。5人が到達したいと思い描いている地点も、まさにそこだ。「僕らが聞いている洋楽と同じ土壌でちゃんと受け入れられること。そしてアメリカ、ヨーロッパ、アジアの人たちが、ボン・イヴェールでもジェイムス・ブレイクでも誰でもいいんですけど、そんなアーティストを聞くのと同じように僕らの音楽を聞いてくれること。そういう状況になりたいっていうのが根本にあります」と篠田。 曲を作ることに限らず、バンド内でいろんなことを話すという。話すことによって、ビジョンも曲も構築され、共有されていく。「曲の制作に関しては、ラップトップを使っているので、出したいと思う音がなんでも出せるんですね。こういう音にしたいというイメージができたのなら、音で直感的にコミュニケーションするのではなく、頭のなかで言語化して捉えることが大切だと思っているんです」と篠田。 杉本と大井はyahyelの他にDATSのメンバーとして、今年の〈フジロック〉に出演することが決まっている。「僕にとってはyahyel がもっともクリエイティブな存在ですね。何も制限されることなく、何にも媚びることなく、自分たちの表現したいものを自由に、誰もが最大限に表現できる場だと思っています」と杉本。 メンバーという意識が芽生えてきたのは、CDなどをリリースするようになってからだという。「5人が違う特化したものを抱えているので、5人が揃わないとこうはならないという意識がすごくあります。そしてそれぞれがリスペクトとライバル心を持っている。切磋琢磨しているような感覚がすごくあります。そういう場としてyahyelが機能しているのかもしれないですね。フジロックではクラブとライブという二面性を出したいと思っています。たぶん没入感と熱量ということ。夜中のはじまりという時間なので、入っていっちゃうような感覚が欲しい一方で、バンドが持っているエネルギーの核みたいなものも感じてもらえれば」と篠田。 y a h y e l のライブはレッドマーキーで金曜23時から行われた。この1年による5人の進化がそこで表現されたことを、多くのファンが目撃した。

神奈川県瀬上沢 未来に手渡していく自然

未来に手渡していく自然。 角田東一人口が減少する時代に突入した日本。横浜では鉄道駅を中心としたコンパクトな市街地の形成がマスタープランとして掲げられている。一方で貴重な森林を住宅地に変える開発も計画されている。未来に残すべきものは何なのかが問いかけられている文 = 宙野さかな text = Sakana Sorano写真 = 林 大輔 photo = Daisuke Hayashi 6月上旬、そこは横浜市内とは思えないほど数多くのホタルが乱舞していた。その数は、1500匹から2000匹と言われている。ホタルが生息する条件はいろいろあるけれど、もっとも基本的なことが「きれいな水がいつも流れている川」なのだという。横浜南部にある瀬上沢。瀬上池を中心に、瀬上市民の森として、この森の自然は守られている。 この森を源にした小川が流れ、谷戸が形成されている。谷戸沿いに隣接する里山で宅地造成と大型商業施設建設という名目の環境破壊の計画が持ち上がっている。計画されている面積は32ヘクタール、およそ東京ドーム7個分に及ぶ。「森があることによって直接的に恩恵を受けているのは、夏が涼しいということです。横浜市がデータを出していますけど、例えば平成15年の熱帯夜が、横浜の中心部では40日だったのに対して、このあたりは11日しかありませんでした。11日というのは大船駅近くでのデータで、瀬上沢はもっと少なかったと思います」と語るのは、開発予定地の近くに住む角田東一さん。角田さんは、12年前にこの開発の説明会に足を運んだことをきかっけに、瀬上沢の自然を守るNPO法人を設立した。 横浜市は、都市計画マスタープラン全体構想において、都市づくりの目標として鉄道駅を中心となたコンパクトな市街地の形成を掲げている。2020年をピークに、神奈川都民が多い横浜市でさえ人口減少が予見されていることを見越したプランだ。「横浜市のなかでも東京から遠い場所にある港南区は栄区は、すでに人口が減っています。これからは街を広げるんじゃなくて、街を小さくすることが必要なんです。駅の近くとか、便利なところに寄せていく。新しい宅地をつくれば、そこに人が入る分、どこかが空いてしまう。瀬上谷戸は、横浜で唯一と言っていいほど水源から谷戸が終わるところまでパーフェクトに残っている場所です。これからもずっと残していかなければならない自然です。国交省は第五次国土計画のなかで、これからは緑地を守ることが大切で、宅地は増やしちゃいけないと書いてある。瀬上沢の自然を壊して、街を広げようなんていうのは、私に言わせれば社会悪ですよ」 市域の緑の減少に歯止めをかけ、緑豊かな横浜を次世代に継承するために、横浜市はみどり税を導入している。この税金が使われるのは、「樹林地を守る」「農地を守る」「みどりを作る」ことに限定されている。「地主さんが相続などで売らざるを得ない状況になったときに、緑地を守るために土地を買い取ることを目的のひとつとした税金なんです。こんなみどり税のような税金があるのは横浜市が最初で、ある意味では先進的ですよね。瀬上沢の自然を残すために財源が必要ならば、みどり税のようなものを使ってもらえればと考えています」 角田さんは、瀬上沢の自然を体験してもらおうとツアーを毎週のように実施している。開発予定地には古代製鉄遺跡や縄文遺跡、160万年前の貝化石なども歴史的な文化遺産も残されている。「子どもにとっても、こういうところでのびのびと遊んで、いろんな自然体験ができるっていうことが大切です。昆虫だとか小動物さとか、実際に見て学べるってものすごく大きいんです。『こんな狭いところの自然を守ったって、地球規模の温暖化防止には影響ないよ』という方もいます。今までいろんな地域の自然を壊してきた先進国の私たちひとりひとりが、身近な自然を守っていかなきゃいけない。人間も、昆虫も、小動物も、木々も、みんな同じ生物です。すべてが繋がりあって生きている。自分だけ、人間だけ生きていられるっていうことがないですから」 開発は日本の至るところで行われている。地域の人でさえ知らないままに進んでしまっている開発も少なくない。角田さんはすべての開発を反対しているわけではない。未来にとって必要な開発と不必要な開発がある。近未来ではなく遠くの未来を描くこと。そのためには今を知る必要がある。