YUSUKE CHIBA

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都市のなかのオーガニック交差点。人から人へ伝えられていくライフスタイル。【mumokuteki marche】

mumokuteki marche偶数月の第3土曜日に、京都市の中心部で開催されているマルシェ。無農薬の野菜、クラフト、パン、スイーツ、化粧品…。ここに並んでいるものは、すべてがこだわりのあるもの。そのこだわりには共通して「シンクグローバリー・アクトローカリー」というビジョンが根底に流れているに違いない。ビルの3階ということもあって出店数が多いわけではないけれど、お客さんの滞在している時間は長い。そこにこのマルシェの意義が見えてくる。文 = 宙野さかな text = Sakana Sorano写真 = 林 大輔 photo = Daisuke Hayashi アクセスのいい京都の中心部の寺町商店街。三条と四条を結ぶこのエリアにあるヒューマンフォーラムビルの3階でマルシェが開催されている。〈mumokutekiマルシェ〉だ。2017年の6月にスタートし、2カ月に1回のペースで開催が続けられている。6回目となったのが今年2月17日。「冬の終わりのご褒美」というタイトルが付けられた。 弘法市や天神市などに代表されるように、骨董市や手作り市、ガラクタ市など多彩な市が京都では古くから行われている。市はマルシェやマーケットへスタイルの変容や拡大をもたらしながら、今でも京都の暮らしのサイクルのなかにしっかりと存在しているのだろう。左京区につながりのある180ものインディペンデントなショップが出店する〈糺の森ワンダーマーケット〉などは、クラフト&オーガニックカルチャーの新しい流れとして注目を集めている。

伝統と革新と。セッションから生まれる音楽文化。【KYOTO SESSION TALK】

家口 成樹佐藤 元彦EIJIPON2DAICHI東日本大震災後、京都の音楽シーンも大きな変化があったという。移住したミュージシャンがもたらしてくれた新しい刺激。伝統のなかに刻まれてきた自由。古くからセッションという文化が継承されてきた京都で、東京では起こらない、音楽文化のひとつが熟成されつつある。文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi写真 = 林 大輔 photo = Daisuke Hayashi京都という街が持つ自由。ー 〈ボロフェスタ〉や〈京音〉など、京都では街を巻き込んだフェスやイベントが多いように思います。それだけ音楽が街に定着しているということなのでしょうか。京都に住んでいらっしゃるみなさんに、まずそのことからお聞きしたいと思います。EIJI 確かにひとつの街で、ブロックパーティーや街フェスがいくつもあるっていうのは京都くらいかもしれないですね。実際にミュージシャンの人口比率も多いと思いますね。佐藤 ミュージシャンやアーティストを含め、ものづくりをしている人が多いと思います。PON2 大学もたくさんあるので、学生で音楽をやっている人も多いっていうのがその理由のひとつだと思います。いっぽう、磔磔とか拾得とか古いライブハウスもあって、昔から続く独特の文化もあって。家口 大学が多いということはインテリも多い。そしてそこからドロップアウトした人も多いのも京都ならではなんだと思う。京大に入って、そこからドロップアウトしてしまった人ってけっこういますからね。EIJI 大学が多いことで若い世代の層は厚くなりますよね。京都にそのまま残る学生も多いと思うので、文化が積み重なっていっているんじゃないですか。DAICHI 僕は他の街に住んでことがないのでよくわからないのですけど、京都には周りのことを意識せずに、好きなことをずっとやっているところがあるんじゃないですかね。こういうふうになりたいとか売れたいとかじゃなくて、自由にみんなが自分のことをやっている。街の時間の流れ方がとてもゆっくりで、ゆっくりものをつくるにはいいところやなって思っていて。ー佐藤さんとEIJIさんは東日本大震災の直後に京都に引っ越してきました。そしてふたりとも京都で暮らし続けている。つまり京都での暮らしに満足しているっていうことですよね。佐藤 戻らなければならない理由がないんですよね。いろんな部分でストレスがないんです。音楽をするのでも、生活をするのでも。EIJI 逆にライブのために東京へ行くと、スピード感が違っていて、ここでは暮らすことは難しいとさえ感じてしまうことがあります。物事に対する考え方の根本にあるものが、東京に暮らす人と他の地域に暮らす人とは違っているんじゃないかなって。佐藤 モチベーションの置きどころみたいなものが、東京と京都では違う気がします。特に何か制作するとき、あまり焦ってものづくりをしないようになりました。何かに縛られて、そのスピード感のなかで作業を進めていくという感覚は、東京にいたときよりもだいぶ少なくなりました。良し悪しではなく、それが自分にも合っていたんだと思います。セッションが文化として残る特性。ー京都はミュージシャンにとって優しい街ですか?家口 住みやすい街ですよ。幅広く、おもしろいもの、楽しいものがたくさんあるし。EIJI 平日でも音楽イベントが当たり前に行われていますから。それがすごいなって思って。小バコが多いからか、みんなで夜を楽しむイベントが多いんです。気楽にセッションできる場があって、それが日常化している。音楽がみんなの日常にあるというか。佐藤 その文化には、最初はびっくりしましたね。家口 セッションができるっていうことのバックボーンには、ハコ代がかからないっていうことが大きいですね。吉田寮とか京大の西部講堂とかでずっと培われてきたセッション文化というものが京都には今もあるなって思っていて。気楽に食堂に行ってセッションしようぜみたいなノリがあって。それができる場所が、特に左京区にはいっぱいありますからね。EIJI かつては吉田寮でパーティーをやっていたんですよね?PON2 OUTPUTとかやっていましたね。SOFTも出ていました。DAICHI SHOCK-DOライブとかも、2000年前後はかなり盛り上がっていましたよね。当時は京大や周辺のミュージシャンたちが吉田寮に集まって、毎晩のように練習したりセッションしたりしてましたね。家口 今もやっているんですよ。学生の祭りなんやけど誘われてセッションしに行ったんです。食堂もまだやっていて。本日休演あたりのバンドのメンバーとかが、グレイトフル・デッドみたいな熱いことをやっているんですよ。めちゃおもしろかった。キセルとかくるりとか辻あやのとかSHOCK-DOから出て行ったアーティストは少なくなかったですから。PON2 好き勝手にできるっていうことが京都にはあって。それは今も確実に残っている。自分の好きなようにできることが京都の一番の魅力かなと思っていますね。EIJI この街では誰も否定しないし。好きなことを続けていける土壌がある。誰もが学生時代に持っていた目線をそのまま持ち続けていてもいいんだって感じさせてくれる街。可能性が残されている街なんだだと思います。DAICHI たまにはケツを叩いてくれる奴が現れるといいやけど(笑)。PON2 締め切りを自分たちで設定しなければならないんで。ここ数年、SOFTで新しい作品を出さんの?って聞かれたら、いつもレコーディングはしているっていう返事をしているような状態。その会話が5〜6年も続いているかもしれませんね(笑)。今年は結成25周年でもあり、新作を出そうと思っています。佐藤 移住組の感覚で話をすると、東京に住んでいるときにはなかなか出会えかったタイプの人と、一緒になるタイミングがよくあります。さらに若い世代から先輩まで、みんなが同じ目線で付き合うことができていて。あと土地柄、アーティストを含めて海外の人も多く来ますが、東京では大バコに出るようなアーティストもMetroやUrBAGUILDなどのコンパクトなハコに出演するので彼らとの距離感もすごく近くなるんですよね。アーティストも東京にいるときよりもすごくリラックスしているように感じます。そのおかげで僕自身、海外のアーティストとの共演や共作がおもしろいなと積極的に思うようになりましたし、実際そういったチャンスが身近にあると思います。こういう感覚は他の街ではなかなか持てないんじゃないかと思っています。DAICHI きっと街が持っているサイズ感もいいんですよね。ジャンルやフィールドが違っていたとしても、友だちの友だちくらいまでで収まってしまうようなつながり。僕らのような何をやっているのかわからないミュージシャンやアーティストだけではなく、おっさんがブラブラしていても日常の風景として違和感がないんですよ。佐藤 確かにあるかも(笑)。PON2 まだまだ先輩がいますしね。脈々と続いている。DAICHI 精神的に助かりますよ(笑)。EIJI 人に対して街が寛容なのかもしれないですね。家口 好きにさせてもらえるし、変わった奴も多いけど、変わった奴に対する免疫もみんな強く持っていて。振り幅がでかいことをみんなが目にしているから、自由にできる範囲も広い。世代もジャンルの幅としても、広い街だと思いますよ。

地域で培われた暮らしの智慧を学び 、都市と田舎を結ぶ農園。【mumokuteki farm】

mumokuteki farm廣海 緑朗佐々木 英雄宮本 亮太山口 二大今は京都市に合併された京北と福井県境に近い美山。豊かな自然が残されたこのふたつの場所で農園を続けるmumokutekiファーム。脱都市を目指すのではなく、地域社会と関わりを持ちながら都市と田舎を結ぶことを実践している農園だ。地球の時間を受け入れながら、土に触れることで感じられる食への視点は、これからの暮らしには必要なものだろう。mumokutekiファームでさまざまな挑戦が行われようとしている。文 = 宙野さかな text = Sakana Sorano写真 = 林 大輔 photo = Daisuke Hayashi京北と美山のmumokutekiファームから。ーまずそれぞれがmumokutekiファームどのように関わって行ったのかをお聞きしたいと思います。佐々木 僕は去年の正月から。その前の4~5年くらいは、滋賀や京都でいろんなことをしながら生きていたんです。田舎で暮らしてみたいなっていう思いも心のなかにあって、そんなときに美山に行ってみないかというお話をいただいて、トントン拍子で進んでいきましたね。宮本 僕は社内脱サラと言われています(笑)。前は系列の若い女の子向けのファッションブランドのバイヤーを東京でしていました。バイヤーといっても、生産のために1ヶ月の半分くらいは中国に行って、物をバンバン作って作ってということをやっていたんですね。ありったけの消費を作ってきたのに、こんなに多くのものが本当にいるのかなって思うようになって。違う生活をしたいなと思うようになったんです。会社と辞めることを前提に話していたら、京都の田舎でファームを構築していく仕事もあるということを知って。それで自分にできることなら、やらせてくださいとお願いしたんです。美山に暮らしはじめたのは去年の9月からですね。山口 東京から9年前に京都市内に引っ越してきました。なんとなく、いつかこういう田舎で暮らしてみたいと思っていました。2年前、子どもが生まれたのをきっかけにあちこち探したんですけど、なかなかピンとくる家がなくて。そんなときに仕事で京北に来たら、京都市内から車で1時間くらいなのに、環境はいいし野菜も安い、空き家もある。地元の人にも子どもは大歓迎やでって言われて決めました。関東の感覚だと車で1時間っていうのは、それほどの距離じゃないんですね。こちらの人には遠くに行ったねと言われますけど(笑)。それでmumokutekiの施設の修繕などを手伝ううちに、いろいろなことに声をかけていただいて、深く関わるようになったのは去年の10月からです。ー mumokutekiファームが京北で「ヒューマンフォーラム村」としてスタートしたのが2007年でした。ヒューマンフォーラムの研修施設としての機能も有していたと聞きましたが。宮本 僕もかつては研修でここに来ていましたし、今も新人の研修をここでしています。農業体験をプログラムに入れた5日間の研修です。実質的には農業の経験値を上げるというよりも、人材育成を目的にしたものなので、夜は勉強会をして。佐々木 僕もたまに参加させてもらっていますけど、濃い時間ですよ。勉強会も1日にあったことをしっかり振り返って、思ったことを発表して。「褒める、指摘する、褒める」ということをしているんです。日に日に参加している子たちが成長しているのがわかります。農業としては、研修生が草刈りなどを手伝ってくれています。実際には美山と京北の農作業を数人でやっていますから、手伝ってもらわないと全然追いつかないという状況なんです。廣海 京北でやっている研修では、地元のおばあちゃんで草餅などを作る名人がおって、その人に草餅作りのワークショップをしてもらったりだとか。僕らは単純にワークショップを企画するだけではなくて、それを継承するような人が出てきてほしいと思っているんです。佐々木 草餅はまだ可能かもしれんけど、栃餅は本当に大変な作業で。山口 だから栃餅が道の駅なんかで売っていたら、迷わずに買ってしまう(笑)。手間を考えたら本当に安く感じますし、そういう失われつつある文化や伝統というものが田舎には残っていて。農家さんにとっては普通のことなんでしょうけど、柿を干して干し柿にするとか、大根を干してたくあんにするとか。誰もやらなくなってしまったら、無くなってしまう文化ですよ。米や野菜を作ることをしながら、そういうこともみんなで学んでいけたらと思っています。

歌えるメロディをインストで奏でる。【jizue】

jizueロック・フィーリングが高いインストで、〈フジロック〉や〈朝霧JAM〉などのフェスでも人気を集めているjizue。昨年秋にはメジャーデビューを果たした。結成以来、京都をベースに活動を続けている。バンドとして京都にこだわり続ける意味とは。文 = 菊地 崇  text = Takashi Kikuchi写真 = 林 大輔  photo = Daisuke Hayashiー 結成は2006年でした。どうやって知り合ったのですか。井上 男子3人は子どもの頃からの友人で。育ちは滋賀なんですけど、サッカースポーツ少年団でずっと一緒にやっていて。そこからバンドやろうぜみたいになった仲間です。そしてたまたま京都で暮らすことになって、たまたま片木に出会った。片木 ずっとピアノをやっていて、高校ではクラシック、大学では現代音楽の作曲を勉強していたんです。粉川と共通の友人がいて、スタジオに入ろうと連れて来られて、それで僕のバンドがあるんやけどって言われて知り合ったのがjizueに入った経緯です。それまでの音楽体験とはまったく違う感覚でしたね。人の音と合わせたときの、音のエネルギーや厚みに感動しました。井上 それまでは演奏メインの歌ものをやっていたんですよ。これからインストでやっていきたいと決めていて、その最初だったんですよ。これだったらなんでもできるわぁっていうのが3人の実感でした。

バンドとプロダクションという ふたつのベクトル【WONKインタビュー】

ジャズ、ヒップホップ、R&Bなどのブラック・ミュージックを現代のバンドサウンドとして再構築すること。2月には初のヨーロッパツアーも敢行したWONKのさらなるビジョン。文=菊地 崇 text = Takashi Kikuchi写真=伊藤愛輔 photo = Aisuke Ito––– 去年あたりから急激にWONKとい名前をメデイアなどで見るようになりました。アラタ 結成は2013年なんです。ライブを定期的にやるようになったのが去年の1月からですね。––– どういった経緯で結成に繋がっていったのですか?エザキ 僕らは大学のブラック・ミュージック系のサークルで出会ったんです。ジャズなどのブラック・ミュージック系のサークルってソロで活躍する人も多くて、例えば慶応のジャズ研と早稲田のジャズ研が一緒にライブをすることもよくあるんです。いろんな流れのなかで、いろんな人たちと繋がっていった。そしてアラタが声をかけて集まったのが、今のメンバーなんです。アラタ 一緒にやれる、一緒にやりたいなって思ったのがこのメンバーでした。グルーブのあるベースのカンさん、ジャムセッションの記憶が鮮明に残っていたアヤタケ、声がすごくいいナガツカさん。けれど全員が集まってくれるとは思っていなくて。カンさんはすでに働いていたし、アヤタケはバンドをやるタイプではなかったし。エザキ 僕らはみんな、実はミュージシャンになろうと思っている人たちではない気がしていて。音楽はものすごく好きで大切なものではあるんだけど、音楽だけで生きていくっていう気持ちを持って人生を歩んでいるわけではないんですよね。生活のなかで音楽にお金をかけていないことを実感している。YouTubeを無料で見る世代で、単純に音楽だけで暮らしていくことは難しいことなんだろうと。音楽サークルから出て、今も音楽を続けていて、音楽レーベル事業もやろうとしているし、ファッション・ブランドも立ち上げた。それを同時に考えられる世代なのかなと思っています。今は自分たちの価値観を最も提示できるのが音楽というだけ。自分たちの音楽を、ただただ音を出すということだけじゃなくて、いろんな角度から見つめられているのかもしれないですね。イノウエ ものすごく珍しいバンドだと思います。やりたいことをそれぞれ抱えていて、それぞれプロフェッショナルとしてそれを続けている。一方で、共通項である音楽で一緒に結ばれている。––– WONKをはじめたときは、どんなバンドの音をイメージしていたのですか。アラタ Jディラのビートを生バンドでやるっていうコンセプトは決めていました。エザキ 僕らが大学のジャズ研に入った頃は、ロバート・グラスパーなどが出てきた時代。そういうバンドが海外でも出てきたという共通認識を持っていましたね。今は、オーストラリアのハイエイタス・カイヨーテだったり、カナダのバッドバッドノットグッドだったり、同じような音楽を聴いて育ってきたけど、それぞれの国の独自性みたいなものをエッセンスとして何かしら残しているようなバンドになりたいと。––– WONKというバンド名にはどんな意味が込められているのですか。アラタ セロニアス・モンクのMをひっくり返してWにしただけなんです。エザキ 『Sphere』というファーストアルバムのタイトルはモンクのミドルネームですし、「epistroph」というブランドはモンクの楽曲。ジャズピアニスト界でも特異な存在であるセロニアス・モンクがバンドのアイコンになっていることで、WONKのもろもろがまとまっていると思います。アラタ モンクくらい攻めたいですよね。その勇気はまだないけれど。エザキ モンクのように、聴いた瞬間にWONKだとわかる音を作っていきたい。––– 去年の9月にそのファースト・アルバムをリリースし、今年3月にはヨーロッパツアーへ行きました。アラタ 好きな音楽が海外のもので、それを自分たちで追い求めているのだから、世界への視野はずいぶん前から持っていました。エザキ 音作りに関して、アラタとカンさんが中心にやっているんですけど、バンドでありつつ生音至上主義みたいなものを排斥しようという考えなんですね。アラタ 打ち込みの音に生音を近づけるという作業がけっこう多いかもしれないですね。イノウエ ミックスって引き算って言われるように、生音を生かして上品に仕上げていくというのが日本で多くやられていることだと思うんですけど、WONKの場合は、ミックスでどう音を付けていくのかっていうことも重要なんです。歪ませたり高音をカットしたり。ミックスも作曲の一環として捉えていますね。エザキ ベルリンとパリでライブをしてきました。日本でやっていることをそのまま自然な流れで受け入れてもらえたっていうのが成果のひとつ目。もうひとつはライブを企画したプロダクションのメンバーが同世代だったことで、ビジネスだけではなく半ば学生のノリが残っているもの同士が繋がりを持つことができたこと。その繋がりがあれば、ある種の壁は簡単に乗り越えられるんですよ。アラタ 国内だけではなく、インディペンデントで海外にも積極的に出ていく。その一歩を踏み出すツアーでしたね。いろいろあったけれど。

Oregon Clips 宝船はスペースシップとなり【DACHAMBOアメリカ・オレゴン紀行】

太陽が月によって覆われる皆既日食。ほぼ1年に1回、地球のどこかでこの天体ショーは行われている。今年8月21日、北米大陸を横断するように皆既日食が起こった。アメリカ、オレゴン州の沙漠地帯で開催された野外パーティーが〈OREGON ECLIPS〉。世界各国のパーティーオーガナイザーが集結して、世界各国からアーティストを招いて7日間に及ぶパーティーを開催した。日本を代表して出演したのがDACHAMBOだった。日蝕という特別な時間に受け取ったものとは何だったのか。文 = AO YOUNG text = AO YOUNG写真 = 宇宙大使☆スター photo = Uchu Taishi ☆ Star 皆既日食。 結論から言えば、はるかに想像を超えていた。噂でも写真でも知っていたし、ましてや2009年の奄美大島では、薄曇りだったが体験している。しかし、乾ききった壮大すぎる大地の果てで、ゆっくりと月が太陽に重なってくるなか、ぐんぐんと気温が下がりだし、はっきりと太陽と月と自分と地球が、ひとつの直線で結ばれた瞬間、鳥肌が止まらなかった。肉眼で見えるブラックホールな太陽と、それを取り巻く淡く青い光、間接照明のような360度のパノラマ夕焼けのなかで、口をぽっかり空けて立ちすくみながら、涙が止まらない感じ。奄美大島の時の涙はなんだったんだ!?(DVD『ECLIPSE ROAD』参照)てくらい、言葉にするほど嘘っぽくなるような、そんな全身で受け止める体験でした。 そして、そんな体験をしたその夜、あの一番デカいステージでライブをやれるなんて… 地球規模でこんなに光栄なことはないよって思ってしまう。

歌という音楽の核を発信すること【T字路sインタビュー】

一回耳にしただけで忘れられない声がある。そんな声はエネルギーに満ちている。歌という言霊。小さなバーでもビッグフェスでも、自分たちの歌を届けるというふたりのスタンスは変わらない。文=菊地 崇 text = Takashi Kikuchi写真=北村勇祐 photo = Yusuke Kitamura––– どんな経緯で、ふたりでT字路sをはじめたのでしょうか。妙子 ずっと3ピースのロックバンドをしていたんですけど、突然解散することになってしまったんです。弾き語りでもやろうかと思ったんでが、どうも心もとなくて。他にスカバンドでギターを弾いていたんですけど、そのバンドのライブのときに対バンで出ていて顔見知りになっていた篠に、何曲かベースを弾いてもらえないかってお願いして。やってみたら、なかなか調子が良くて。篠田 何本かライブをやったら、周りの人も「いいじゃん、いいじゃん」って言ってくれて。じゃあやってみようかということになったんです。––– それが2010年?篠田 はい、そうです。本格的にライブを始動させる前に、まずはデモを作ろうとふたりで話し合って、オリジナルですぐに作りはじめたんです。妙子 そのデモ盤を持って旅に出て。篠田 いちおう、そのデモ盤がファーストCDなんですけどね(笑)。ドラムがいないことで、居酒屋やバーのような場所でライブをさせてもらえた。ライブハウスだけではなく、いろんな場所でライブをするという文化を、多くのミュージシャンが開拓してくれていたおかげで、自分たちもいろんなところから声をかけてもらたんですね。––– T字路sというバンド名。なかなか個性的だと思います。妙子 人生どんづまりみたいな感覚になっていたときだったんですよね。十字路じゃなくて、壁にぶち当たっているからT字路。後付けとしては、ふたりを基本にして、いろんなミュージシャンに関わってもらいたいという気持ちも込めるということ。篠田 右に行くか左に行くか、みたいな心境ですね。––– ブルース的なニュアンスも聞こえてくるから、ロバート・ジョンソンの十字路をもじっているのかと勝手に思っていました。妙子 それもよく言われるんですけど、まったく考えていませんでした(笑)。もうひとつ、これも後付けなんですけど、日本語では丁字路が正しいじゃないですか。けれど今では、ニュースでさえTでいいとされている。篠も私も、昔の音楽がすごく好きで、それをさらに日本語で自分たち流に解釈してやっていくということも、丁字路じゃなくてT字路って感じがするなって思っていて。 やはり昔の音楽は好きなのですね。篠田 今の音楽も好きですけど、自分らが曲を作るとなったときに頼るのは、やっぱり古い音楽になっちゃいますね。妙子 新しいものも聞くけど、新しいものでも古い香りがするものが好きだったりするし。

今という時代の新しいシティポップ【Yogee New Wavesインタビュー】

自分たちが暮らす「東京」を自分たちの言葉と自分たちの音で表現するバンド。Yogee New Wavesのような音楽はシティポップと呼ばれている。90年代生まれによる新しい世代のシティポップが誕生している。文=菊地 崇 text = Takashi Kikuchi写真=林 大輔 photo = Daisuke Hayashi––– 2014年のルーキーアゴーゴー以来、3年ぶりの〈フジロック〉出演が発表されましたね。粕谷 バンドとしても、僕らの意識的なところも、大きく変わっていったのはそのルーキーアゴーゴーのステージでした。それまでは、大学のインディーバンドの延長のような感覚だったのかもしれないですから。––– 結成したのは2013年?角館 そうです。前にファンクバンドをやっていたんですけど、そのバンドを止めて新しいバンドをやりたいって気持ちが大きくなって。そう思ったときに対バンでライブをしていた粕谷に「お前、やれよ」と声をかけて。粕谷 僕も同じようにファンクバンドをやっていたんですね。別の大学でしたから、ある種のライバル意識もあって。角館 かつてはもっとゆるゆるとライフスタイルを大事にした音楽をやろうと思っていたんですよね。そのときの俺たちの合言葉的には「食うために仕事をして、生きるために音楽をしよう」みたいなことを言っていたんです。けれどなんかもっと本気でやらないとおもしろくないというか。音楽というこれだけ楽しいことが目の前にあるのに、20代のホットタイムを逃す手はないと考えて、音楽に全振りしようと決めて。粕谷 僕は会社を辞めて、健悟は大学院を退めて。角館 そしていろんな経緯があって、今年になってふたりに入ってきてもらって、今に至っているんです。––– ふたりはYogeeに入る前と入った後では、バンドに対する印象に変化はあったのですか。竹村 『PARAISO』を出したときに見ていて、それからはしばらく見ていなかったんだけど、メチャクチャ浮遊感がある音楽だと感じていました。入ってみると印象とはまったく違ってキッズなんですよね。音楽をすることの喜びとか衝動のようなものを、特に健悟は大事にしている。キッズの延長なのかもしれないけど、ピュアな愛情があって、それは人であったり物であったり現象であったり、さまざまなんだけど、いろんなことに対する愛情がストレートに出ているんですよ。そんなバンドに加われることが、本当にうれしいですね。上野 元気いっぱいでエネルギーに満ち溢れている。音楽を作ることも、全力じゃないと気が済まないというか。出てきたアイデアをすべて注ぎ込む。できるだけいいものを作りたいっていうエネルギーがものすごいんですよ。

音楽の消費速度が速くなっている 現在への提唱【D.A.N.インタビュー】